思い出エッセイ〔422〕映画雑記帳181「【レ・ミゼラブル】感想」

 【レ・ミゼラブル】(ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライド、エディ・レッドメイン、ヘレナ・ボナム=カーター、監督:トム・フーパー)。今年の終わりにこの秀作を見られたことを幸いに思いました。

『レ・ミゼラブル』には、個人的に思い入れがあり、そのためとも言えますが、ミュージカルは見たことがありませんでした。
評判は聞いていたものの、積極的に見たいと思わなかったところに、この映画が来て、とにかく見てみようと思ったのです。圧倒されたし、おそらく舞台とは異なる、映画の力というものも感じました。

子供の頃、「世界少年少女文学全集」で、『ああ無情』というタイトルで読んで、感激して何回も読みました。戦争中のことです。
敗戦後、疎開先から帰京して、荻窪の小学校に通っている時、前進座が、近隣の小学校を廻って、『レ・ミゼラブル』などを公演しました。敗戦の翌年昭和21年(1946)です。
河原崎長十郎がジャン・バルジャンを演じ、夫人の河原崎しづ江がコゼットとファンテーヌの二役を演じたと記憶していますが、小学校の講堂を精一杯使って、舞台装置や衣裳も工夫し、例えば成長したコゼットは、真っ白な華やかな衣裳で現れ、暗いことばかりの世の中で、本当に食い入るように見つめ、心の底から感動しました。私にとって、『レ・ミゼラブル』=この時の舞台だったのです。


ヴィクトル・ユゴーによる壮大な原作と、子供のためにやさしく書き直されたダイジェストは異なるものですが、私には、不思議なほど、昔の感動と、非常にスケールの大きいこの映画から受けた感動が同質のものに思えました。
と言って、誰もが知っている、あら筋を書くのはあまり意味のないことに思え、ほぼストーリーに沿って感想を書いてみたいと思います。

冒頭、巨大な木造船の中で、全身が海水に浸ったまま、多くの囚人が、おそらく船を陸地に繋ぐため、必死に太いロープを引いている。囚人達は、苛酷な運命を次々と歌い上げる。
最初から意表をつく場面で、虐げられている者の姿を、大胆なシーンで見る者に印象づけます。

飢える姪のためにパン一個を盗んだだけで、19年も服役した、ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)もいる。
彼は、漸く仮釈放となるが、その場を離れようとすると、監督官のジャベール(ラッセル・クロウ)が、折れた国旗掲揚塔を運ぶように命じる。常人には動かすこともできない巨大なポールを持ち上げて運ぶ。その怪力ぶりが後に彼の前身が疑われるきっかけとなる。
ラッセル・クロウが酷薄なジャベール役にピッタリだし、その歌声にも驚かされます。

仮釈放状が身分証明書であるジャン・バルジャンは、仕事もなく、その日の宿もなく、教会の司教の好意で一夜泊めてもらう。
その恩に背いて、彼は銀の食器を盗んで、立ち去るが、すぐ捕まる。
司教は、それは彼にあげたものだ、こっちの銀の蜀台もあげたのに、持って行くのを忘れたね、とジャン・バルジャンに持たせる。

子供の時も最初に感動したシーンですし、この司教の慈悲によって、ジャン・バルジャンは真に立ち直る。
名前を変えて、工場経営者として成功し、市長にまで上りつめる。
ジャベールは彼の配下として警部になっている。

バルジャンが経営する工場で働く、ファンテーン(アン・ハサウェイ)は、トラブルに巻き込まれ、仲間の女工からも誹られ、工場を解雇される。
一人娘のコゼットを抱え、借金も負い、病身でもあり、遂には娼婦に身を落とす。
本当に美しい女性として現れたファンテーンが、長い髪を切って売ることを強要され(本当に切ったそうです)、歯も抜かれ、文字通り娼婦にしか見えない、姿まで堕ちて行く様が無惨です。
ジャン・バルジャンは、死の床にいる、ファンテーンにコゼットの面倒をみることを約束する。

一方、ジャベールは、馬車の下敷きになった男性を、馬車を持ち上げるという信じられない力を発揮して助けた市長が、ジャン・バルジャンに違いないと確信を持つ。

ジャン・バルジャンと間違えられた男が逮捕され、収監されようとしていた。
自分こそ本人だと名乗り出るが、捕えられたら、コゼットを保護するというファンテーンとの約束が果たせない。

その場を逃れて、コゼットが働いている、安宿の主人、テナルディエ(サシャ・バロン・コーエン)とその妻(ヘレナ・ボナム=カーター)に大金を払って、コゼットを引き取る。
このヘレナ・ボナム=カーターが、本当に達者で、神出鬼没と言いたくなるほど、あれこれ多くの映画に全く異なる役柄を演じていますね。
【スウィーニー・トッド】では、ジョニー・デップと共演して、人肉パイをせっせと焼くパイ屋を。
男の子がパイを食べたら、ガリッと何かを噛んで、取り出したら、親指の爪のようなものが・・・ゾーっ、今でも思い出します。
どんなマイナス・イメージのものも引き受けるという感じで、テナルディエという名前は、子供の時から覚えていますが、本当に得なところは何もない、嫌われ役。えらいと思います。

執拗なジャベールの追跡を逃れ、ジャン・バルジャンとコゼット(アマンダ・セイフライド、成人後)は、馬車の下敷きになっているところを助けた男性の伝手で、広い屋敷の一隅に隠れ住む。
コゼット役は、ちょっとイメージと違った感じでしたが、歌がうまいし、愛する人と結ばれるあたりから輝くような表情を見せ、オーラも感じられるようになったと思います。【マンマミーア】に出ていたそうですが。

子供向けの本には登場しなかった下りが、学生達が、民衆と一緒になって、革命を起こそうとするシーンです。
1789年のフランス革命後、ナポレオンが登場し、彼の失脚後、ナポレオン三世登場まで、王政が再び復活し、革命勢力が蜂起した頃については、殆ど知らないのですが、この映画でこの下りは、新鮮な、しかし力強い魅力を生み出しています。

面白いと思ったことは、革命を起こそうとする、ブルジョア階級の大学生達は、服装や雰囲気が現代の(今現在という意味ではありません)学生の雰囲気があり、彼らを取り巻く民衆、乃至群衆は、まさしく19世紀前半の衣裳であり、雰囲気であることです。この違いが、ブルジョア出身者と庶民を隔てる、埋めることのできない深い溝のようなものを巧みに表しているように思えました。
ストーリーの最初から、民衆の活気、活力は並みではありません。日本人とは違うと思わせられました。この映画の迫力に繋がるものでもあります。

また学生達の、雰囲気だけでなく、その若々しい歌声が、ジャン・バルジャン達、一つ前の世代と対比して、若さを主張しているように見えます。

後にコゼットと結ばれるマリウス(エディ・レッドメイン)役の俳優も、正統派二枚目でオーラもある、きれいな声、歌もうまい、スター性が際立っていたと思います。
マリウスと共にリーダー役を務めるアンジョルラス(アーロン・トヴェイト)もよかった。

そして何歳なのか、ガブローシュと言う小さな男の子が大人顔負けの大活躍をしますが、この子が撃たれて死ぬ。落涙しない人はいないでしょう。

学生達が作るバリケードのために、人々は、大事な家具もあらゆる物を出して協力する。革命を全面的に応援していると見える。
しかし、実際に戦いが始まると、戸を閉め切ってしまって、出て来ない。学生達は絶望する。そして彼らは破れ、遺体が並ぶ。
民衆は烏合の衆なのか、その面もあるが、現実主義者でもある。心の奥は醒めている。彼らには日々の生活がある。自分が死んでは困る、家族もいる。学生達に勝ち目があれば、また実際に勝てば、彼らの側につく。もうひと言言えば、学生達にはっきりした意思表示をさせる。行動も起こさせる。それが彼らの役目だと思っている。

興醒めなことを書くようですが、この革命の下りを見ていて、何故か日本国のことを思い浮かべました。今現在の国の姿もちょっと浮かびましたが、歴史、国民性、一人一人が個性を持っているか、強いて言えば、そんなことを考えたかも知れません。何故なのか、自分でも分からないのですが、ふとそんなことに思い至ったという方はいらっしゃらないでしょうか。

最初は、マリウスにコゼットを奪われる、という思いを持っていたジャン・バルジャンは、瀕死の重傷を負ったマリウスの姿を見て、コゼットが一番大事に思っている者が死にかけている、何としても救わなければならない、彼を背負って、壮絶な逃避行を続ける。
ジャベールに見つかる。マリウスを病院に運ぶまで、一時間だけ猶予をくれと懇願する。
ジャベールは、その前に、ジャン・バルジャンに命を助けられていた。それでも使命は使命。今迄のジャベールなら許可するはずがない。
ジャベールは敗北した。

コゼットとマリウスの結婚を見届けて、ジャン・バルジャンは去る。


見終わってすぐ、もう一度この映画を見たいと思いました。絶えてないことです。
三回も見た【ウエストサイド・ストーリー】以来かも知れません。
よく出来ている映画でもちょっとダレル、と言うか退屈になる部分があるものですが、最初から最後まで文字通りの釘付けでした。

以前は映画を見て、涙を流すことは殆どなく、いつ頃からか、一つのシーンに思わず涙することがよく起きる現象になりました。年の所為かも知れません。
この映画は、涙が目尻から流れて止まらないことが何度かありました。

この映画のどこがよかったか。圧倒的な迫力、スケールの大きさ、民衆の存在は背景として扱われることが多いのに、一人一人の顔が見える、個性を感じる、結果としてストーリーの、際立った具現性にも繋がっている。
勿論、ヒュー・ジャックマンを始めとする俳優陣の好演、歌のうまさ、他。
この映画がミュージカルでなかったら、かなり違った印象になったはず。言わば音楽の力。そして舞台ではなし得ないことを可能にする映画の力。
マジメくさって書いてしまいましたけど、そして自分が思いがけないほどこの映画に惹かれた理由がまだはっきり掴めていないのですが、ひと言、ホントによかった、とりあえずこう書いておきます。  《清水町ハナ》

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