テーマ:子供時代

思い出エッセイ〔496〕「子供時代:思い出したこと」

 少し前に、子供の頃のことを思い出せるだけ思い出して書き出したいと言う意味のことを書いたのですが、以後何も書かないまま日が過ぎて行っています。昔の記憶は、思い出そうと思って思い出せるものではなく、キッカケがあって思い出すからかも知れません。 最近、いとこ夫妻と会って、長時間、昔話に花を咲かせ(何とも平凡な表現ですが)、忘れていたこ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔316〕「昔の昭和:東京の寒い冬」

 家の中でちょっと寒いと感じるとすぐエアコンの温度を上げる。外へ出てもバスも電車も出先の建物も暖かい。寒い所で働いている方には申しわけないと思いますが、その日の気温を長時間体感することが殆どない。子供の頃冬の寒さは厳しかった。地球温暖化のことも頭に置いて、子供の頃の冬、その寒さに焦点を置いて、思い出したことを書いてみたいと思います。 …
トラックバック:0
コメント:4

続きを読むread more

映画雑記帳118「映画:気儘に、思いつくままに7」思い出エッセイ〔310〕

 昔見た映画を語るのに、‘気儘に、思いつくままに’という便利なタイトルを思いついたのに、ある程度の系統性を持たせなければという気持ちがどこかにあって、書き始めたところでストップしたまま、なかなか前に進みません。とにかく気楽な気分で、思い出すままに続きを書いてみたいと思います。 中学二年の二学期の終わり近く、東京から関西に越して、本…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔307〕「昔の昭和:ちょっと思い出したこと1」

 子供の頃のことと言うのは、系統的に思い出すというより、偶然何かを思い出し、他のことを連鎖的に思い出すこともあれば、忘却の深い淵に沈んでいたことがある時突然表面に浮かび上がって来たり、と脈絡なく記憶としての形をとることが多いようです。一つの文にまとめられる程、記憶が形を作ることを待っているより小さいことでも思い出したことを書き留めておく…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日常雑記16「ちょっとした事2」思い出エッセイ〔303〕

1.“ブスブス犬の映画”【ターナー&フーチ】 (実は1.と2.の順番を入れ替えました。2.が硬い調子のプライベートな記事、それも長文になってしまって、ワンちゃんの記事の前に置くには重いと思ったからです) 所謂ネタバレです。と言って、詳しく紹介するわけではないし、これから公開される映画でもないので、ワンちゃんに関心のある方、よろし…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔294〕「昔の昭和:子供の夏」

 今朝、初めてエアコンをつけませんでした。何十日も続いた酷暑、必要な時以外外出を控えて、年も年だし、夏の思い出と言えることもありません。子どもの頃の夏を思い出してみました。 昭和と言っても、ずっと昔、昭和10年代の後半、16年(1941年)から19年頃のことです。東京の荻窪から馬橋(現高円寺南)に越して、19年に北陸に縁故疎開する…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

食の雑記帳23「食べもの事情(9)戦中・戦後の甘いもの・おやつ2」思い出エッセイ〔286〕

 戦中・戦後の甘いもの・おやつ事情と題して前編を書きましたが、いよいよ本当に甘いものは何もなくなる時期に入ることになって、おやつの前に食糧難ありき、ではないかとちょっと思いましたが、子供時代の思い出とは切り離せない、おやつ、甘いものが手に入らない具体的な事情、情景、時代背景を書き残すことも多少の意義があるのではないかと思い、後編に当たる…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

食の雑記帳22「食べもの事情(8)戦中・戦後の甘いもの・おやつ」思い出エッセイ〔285〕

 太平洋戦争後半、それと戦後長く、子供達のおやつ、甘いものやお菓子類は、殆ど手に入らないか、代用食の日々が続きました。今回は子供達が一番欲しがる、甘いもの、おやつがどんな状況だったかを中心に思い出してみたいと思います。それが子供の心身の成長にどのような影響を与えたか、食育と言ったらいいでしょうか、根拠のある説明を得たいところです。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔257〕「映画:気儘に、思い出すままに5」映画雑記帳96

[子供時代の映画2]  ブログを書き始めてそれ程経ってない頃、吉本隆明氏が、故淀川長治氏について、常に映画の中に入り込んでいるから現実と向き合っていないという意味のことを述べているのを目にしたことがあると書きました。出典を記憶していませんし、淀川氏評として当たっているかも疑問ですが、私の学生時代、映画はまさしく現実を忘れさせてくれる…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

食の雑記帳19「食べもの事情(5):戦中・戦後の食事-鯨のことなど-」思い出エッセイ〔255〕

 今年の米アカデミー賞で「ザ・コーヴ」なる、和歌山県太地町のイルカ漁を取材したという映画が選ばれ、その一シーン、何十頭というイルカを入り江に追い込み、それに続いて海が真っ赤に染まるシーンがニュースで紹介された時には大きなショックを受けました。 「まだ、こんなことやってるの」それが家族共々、口をついて出た言葉で、嘘でしょう、という思…
トラックバック:1
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔249〕「映画:気儘に、思い出すままに4」映画雑記帳92

☆2月24日、「おすすめブログ」にご紹介いただきました。 [子供時代の映画1]最近、映画を一本観て感想を書くというスタイルが定着してしまって、映画そのものについて思い出を語ることが殆どなくなってしまいました。ブログを始めた頃のスタイルに戻って、昔のあの映画、あの俳優のこと、その時代、周囲のことを思い出すままに書くことを再開してみたいと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

食の雑記帳15「食べもの事情:思い出すままに(2)」思い出エッセイ〔198〕

 偶然の一致にも色々あります。一編のブログを書き上げて、ふとテレビを見ると、氷の配達風景が流れています。慌てました。ブログの中に書いたばかりです。 何か悪いことでもしたように殆ど推敲もせず、公開してしまいました。 案の定、後から読むと、そのブログは、三分の一位は、別のタイトルにした方がいい内容で、時既に遅しということになりました…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔177〕「記憶の中の杉並区2」

 人からよく、昔のことを覚えていると言われてきました。四、五歳の頃の記憶で、家の間取りや当時の出来事を再現できたりすることがあるのですが、実は、高校時代の同級生の名前を半分も思い出せなかったり、今日が何月何日かカレンダーを見てもすぐに言えないこともあります。 認知症の症状の一つとして、昨日食べたものが思い出せない、今日が何月何日か…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

食の雑記帳14「食べもの事情:思い出すままに(1)」思い出エッセイ〔172〕

 子供の時、戦後の極端に食べ物が少ない時期を生き、お金と機会さえあれば、どんなものでも手に入る‘飽食の時代’も経験し、そろそろ我が一生の食生活を振り返ってもいい年になってしまいました。 究極の美味と言われるものも、一応口にする機会はあり、一方、家畜の餌まで食べて、人間として、と言うか、日本人としてと言うか、これほどバラエティに富ん…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔167〕「記憶の中の杉並区1」

 何日か前に、テレビをつけたら、卒業生が母校で授業をするという番組で、「先生」が向かわれている先が、私の母校だったので驚いた話を書きました。 しかもその母校は、昨年廃校になっていて、私はこの番組で、母校の建物がまだ残っていることを知ったのです。 他の人には何の関係がないことでも、私には、テレビをつけたタイミングも含めて、こんな偶…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔163〕「母校のことなど」

 テレビをつけたら、全身マッカッカな人が歩いていました。緋色というか朱色というか、着ているもの全てが、燃えるような赤。小物、アクセサリーもド派手。 マジシャンとか、ストリート・パフォーマーとか、そういう類いの人かな、でも知っている人ではない。 あれ、風景に覚えがある。そこを右に曲がれば・・・あ、立ち止まった。 そして緋色の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔16〕 「自分が最も輝いていた頃とは」   

                                                 台所仕事をしている時、満州、とか引き揚げという言葉がテレビから聞こえてきて、居間に行ってみると、満州引き揚げ体験を数人の著名な、文化人と呼ばれる人が語るという番組を家族がみていました。手を放せなかったので、音を大きくして、チラチラ見ながら…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔8〕「読書する子どもⅡ-《馬橋》の思い出-」

 《馬橋》とは現在の南高円寺の旧名です。地名として消えたわけではなく、馬橋小学校とか馬橋神社などという形で残っているようですが。 前回、荻窪・清水町にあった母の実家について書きましたが、わがZ家の第一の拠点が「清水町」の家だったとすれば、《馬橋》の家は第二の拠り所でした(拠点ではありません)。 母の長姉である伯母と伯父の家があり…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔7〕 「荻窪界隈 (「清水町」の家)-1940年代-」

 1946年初め、日本の敗戦から半年、東京・荻窪にあった母の実家は満杯になりました。 唯一空けてあった応接間に私達母子三人が入ることになったからです。 祖父の代からの軍人一族で(一族と呼んでいいほどの大家族でした)、当然敗戦と共に運命は百八十度変わりました。この家も一族と運命を共にしたと私は思っています。 日露戦争に参戦した祖…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

思い出エッセイ〔6〕 「読書する子ども-西荻の中村さんのこと-」

 「本のムシ」という言葉は、今は死語に近いでしょうか。マンガは相変わらず全盛。インターネットでどんな情報もとれる。それでなくてもテレビなどのメディアからも必要以上の情報が入って来る。一冊の本の重みが軽くなったように思います。そんなことはないという声が聞こえるような気もします。私は立派な本のムシだと。 確かにムシという言葉はまだ健在のよ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more