テーマ:昭和

思い出エッセイ〔257〕「映画:気儘に、思い出すままに5」映画雑記帳96

[子供時代の映画2]  ブログを書き始めてそれ程経ってない頃、吉本隆明氏が、故淀川長治氏について、常に映画の中に入り込んでいるから現実と向き合っていないという意味のことを述べているのを目にしたことがあると書きました。出典を記憶していませんし、淀川氏評として当たっているかも疑問ですが、私の学生時代、映画はまさしく現実を忘れさせてくれる…
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食の雑記帳19「食べもの事情(5):戦中・戦後の食事-鯨のことなど-」思い出エッセイ〔255〕

 今年の米アカデミー賞で「ザ・コーヴ」なる、和歌山県太地町のイルカ漁を取材したという映画が選ばれ、その一シーン、何十頭というイルカを入り江に追い込み、それに続いて海が真っ赤に染まるシーンがニュースで紹介された時には大きなショックを受けました。 「まだ、こんなことやってるの」それが家族共々、口をついて出た言葉で、嘘でしょう、という思…
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思い出エッセイ〔249〕「映画:気儘に、思い出すままに4」映画雑記帳92

☆2月24日、「おすすめブログ」にご紹介いただきました。 [子供時代の映画1]最近、映画を一本観て感想を書くというスタイルが定着してしまって、映画そのものについて思い出を語ることが殆どなくなってしまいました。ブログを始めた頃のスタイルに戻って、昔のあの映画、あの俳優のこと、その時代、周囲のことを思い出すままに書くことを再開してみたいと…
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思い出エッセイ〔247〕「昭和の記憶-零戦のことなど」

 何かをきっかけに、一つのことを思い出し、それが次々に一見相互に関連のないことを思い出させる、その繋がり方と言うか、それと分からぬ連鎖を探ってみたい、そんな感じで書いてみたいと思います。一貫性のない夢をそのまま綴るような感じになるかと思いますが、テレビで戦中の戦闘機、「零戦」を見たのがきっかけです。 少し前に「NHKスペシャル」で…
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食の雑記帳18「食べもの事情(4):戦中・戦後の食事」思い出エッセイ〔245〕

 今の食生活からは想像もできない、戦中・戦後の食事情についてまとめてみたい、とは以前から思っていました。しかしいつ、どんな形で‘まとめる’ことができるか、大体まとめることが可能だろうか・・・記憶が残っている中にまとまらない形でも書き留めた方がいいと思って、“思い出すままに”書いてみることにしました。 アメリカでもベトナム戦争を知ら…
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食の雑記帳16「食べもの事情:思い出すままに(3)」思い出エッセイ〔204〕

 ‘もったいない’という言葉がクローズアップ(この言葉、ちょっとフルイ感じですね)されて、外国でも通用する日本語になっているとか。この情報自体が少々古いのですが、言葉は活き続けているようです。特に食べものについて、この‘もったいない’は、私の子供の頃と微妙に違うニュアンスで使われているように思います。 我が家で‘もったいない’とい…
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時事雑記帳35「NHKドキュメント「ヒロシマ日記帳」」思い出エッセイ〔201〕

 家族がテレビのチャンネルを次々に廻していて、戦時中と思える女学生達の姿が映し出されたところで、それちょっと見たいと止めてもらいました。昨日8月9日、長崎原爆投下の日です。 原爆の特集番組で、二つか三つの異なるドキュメントを放送していて、その中の最後の番組であったようです。NHKのホームページで調べてみると、タイトルは、‘少女たち…
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食の雑記帳15「食べもの事情:思い出すままに(2)」思い出エッセイ〔198〕

 偶然の一致にも色々あります。一編のブログを書き上げて、ふとテレビを見ると、氷の配達風景が流れています。慌てました。ブログの中に書いたばかりです。 何か悪いことでもしたように殆ど推敲もせず、公開してしまいました。 案の定、後から読むと、そのブログは、三分の一位は、別のタイトルにした方がいい内容で、時既に遅しということになりました…
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思い出エッセイ〔177〕「記憶の中の杉並区2」

 人からよく、昔のことを覚えていると言われてきました。四、五歳の頃の記憶で、家の間取りや当時の出来事を再現できたりすることがあるのですが、実は、高校時代の同級生の名前を半分も思い出せなかったり、今日が何月何日かカレンダーを見てもすぐに言えないこともあります。 認知症の症状の一つとして、昨日食べたものが思い出せない、今日が何月何日か…
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食の雑記帳14「食べもの事情:思い出すままに(1)」思い出エッセイ〔172〕

 子供の時、戦後の極端に食べ物が少ない時期を生き、お金と機会さえあれば、どんなものでも手に入る‘飽食の時代’も経験し、そろそろ我が一生の食生活を振り返ってもいい年になってしまいました。 究極の美味と言われるものも、一応口にする機会はあり、一方、家畜の餌まで食べて、人間として、と言うか、日本人としてと言うか、これほどバラエティに富ん…
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思い出エッセイ〔167〕「記憶の中の杉並区1」

 何日か前に、テレビをつけたら、卒業生が母校で授業をするという番組で、「先生」が向かわれている先が、私の母校だったので驚いた話を書きました。 しかもその母校は、昨年廃校になっていて、私はこの番組で、母校の建物がまだ残っていることを知ったのです。 他の人には何の関係がないことでも、私には、テレビをつけたタイミングも含めて、こんな偶…
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思い出エッセイ〔157〕「昭和の生活と遊び4:20年代前後(東京のお正月)」

 「私の故郷ではね、お正月のお雑煮のお餅に餡子が入っているんですよ」ずっと以前、料理研究家の土井勝さんがテレビで言われたことです。 (場所が)変われば変わるもの、と思いました。 土井勝さんは、私が最も敬愛した料理人の一人です。主にNHKの「きょうの料理」を通してそう思っていたのですが。 助手を使わず、最初から最後まで淡々と…
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思い出エッセイ〔140〕「喪われた時、場所2」

‘喪う’という言葉を書く時、私は旧仮名遣いを使いたいという気持ちに駆られます。バ行とパ行という濁音、半濁音を持つハ行は、何とない儚さがあるように思え、喪ふ、喪はれた、と書いた方が、自身の喪失感に副うように感じられるのです。“蝶が舞ふ”と書けば、蝶がひらひらと舞っている姿そのものが目に浮かびます。 既に棄て去ったものを求めても詮ない…
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思い出エッセイ〔118〕「喪われた時、場所1」

一度自分のブログの原点に立ち戻ってみたいと考えました。小学生の時、疎開した北陸の地で空襲に遭った時のことを第一回のブログとしています。あえて固有名詞は書かず、その分自由に書けるかどうか分かりませんが、虚構の思い出を書く姿勢で、思い出せるだけの記憶を綴ってみたいと思います。私にとって身近なある人の、短い追憶の記ともなるはずです。 …
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思い出エッセイ〔100〕「昭和の生活と遊び:20年代前後(東京の冬)3」

 長い間、私は手袋というものを使ったことがありません。旧い衣類を探せば、皮革の手袋がニつや三つ、出て来るかも知れませんが、ちょっと気に入って、買ってみても、あの臭いと肌触りがあまり好きではなく、ご用済みとなります。子供の頃、東京では、冬の手袋は必需品でした。母の手編みで、鈎針で、太い毛糸をザクザクと編んだものが多かったと思います。鉤針編…
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思い出エッセイ〔98〕「昭和の遊び:20年代前後2」

 前回、「とおりゃんせ」「かごめ、かごめ」などについて、書いてみましたが、こういう童歌を歌いながらの遊びについて、もう少し書いてみたいと思います。歌って、遊んでいる本人が、意味が分からないままに、そのことを気にせず、無心に遊んでいる風景。自分でありながら、自分でない存在が、異界に捉われているような感じさえします。子供は、自分が理解できな…
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思い出エッセイ〔97〕「昭和の遊び:20年代前後1」

 子供達が遊んでいる声がうるさい、というクレームも出るそうですが、私が住んでいるマンションや、隣接している小さな公園では、子供達が、グループで遊んでいるのを見かけたことがありません。私は、世代的に、例えば、鬼ごっこ、かくれんぼ、と言った、普通の遊びから、今や伝説になった、「とおりゃんせ」、「花いちもんめ」、「後ろの正面だあれ」(かごめ、…
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本の雑記帳8「『敗戦国ニッポンの記録 上巻』感想」思い出エッセイ〔94〕

 『敗戦国ニッポンの記録 昭和20~27年 上』米国国立公文書館所蔵写真集、半藤一利編著、アーカイブス出版刊。帯に次のようにあります。「戦後のニッポンは、廃墟からはじまった。過去は懐かしむためのものではない。未来のために用意された教訓である」。私は、‘過去は懐かしむためのものではない’と言い切ることには、抵抗があります。しかし、この写真…
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映画雑記帳24「「Always 続・三丁目の夕日」と昭和33年頃」思い出エッセイ〔92〕

 同タイトルの続編です。主演、助演は、登場順に紹介します。前編とも言える、最初の作品は、観に行ってみようかなと思っている中に、終わってしまいました。今回、早い時期に見てみたいと思ったのは、このニ作品が、昭和33年、34年という時代設定であると知ったからで、この年が、私にとって、大きな意味を持つ年であったという、プライベートな理由、昭和の…
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時事雑記帳7「NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」」思い出エッセイ〔83〕

 NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」(2007・10・8放送)。副題が、新聞の番組と番組紹介欄で、それぞれ、‘地獄を見た・家族の半世紀’、‘知られざる半世紀の記録’、と異なっています。NHKは、新たに1万5千ページに上る資料を、世界中から得たそうで、これは、‘帰国船’シリーズがこの後も続くと考えていいのかと思いますが。朝鮮総連の元幹部と、…
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思い出エッセイ〔70〕「弟を背負う少年」

 ここ数日の、二つの訃報記事が、私を過去に引き戻しました。一つは、アメリカ人の写真家、ジョー・オダネル氏の死去を伝える記事で、忘れることのない一葉の写真が付されていました。十歳になっているかどうか、おぶい紐で赤ちゃんを背負って、直立不動の姿勢をとっている裸足の少年の写真です。初めて見た時、赤ちゃんがよく寝入っていると思うのですが、火葬場…
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思い出エッセイ〔46〕「「福井空襲そのⅠ」に加える‘聞き書き’」

 ここのところ何回か吉祥寺が続いているので、ちょっと他へ出てみようと、荻窪のお蕎麦の名店、「本むら庵」に行くことにしました。めずらしく家族の一人が、その日お休みで、一緒に行ってもいいと言ったのです。一人で行くと、お酒におつまみというわけにもいかないので、私も楽しみにしていたら、暑い中、遠路?歩いて行ったのに、「厨房設備緊急修理」とかで、…
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思い出エッセイ〔30〕「空襲・・・満開の桜」

 情報過多というより、情報無限の時代です。自分で意図して、探し当てた情報は、元も経路も覚えていますが、たまたま、目に入った、聞こえて来た情報は、自分に必要な情報そのものは、覚えていても、出所は忘れてしまいがちです。 1945年3月11日、人は一人もいないのに、上野公園の桜は満開だった、という記事にショックを受けたことがあります。東京大…
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思い出エッセイ[22] 「雑記 記憶の断片を集める」

 遠い昔を思い出すことに集中し、書きとめ、更に形を得た過去の事実の周辺に思いをめぐらせていると、忘れていた新たな事実を思い出すことがあります。自分史をまとめるという最初の目的には程遠い作業ぶりですが、まずは記憶を拾って、集め、記録することに専念してみることにしました。 「エッセイ」などという大袈裟なテーマをつけてしまいましたが、こ…
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思い出エッセイ〔21〕 「食の雑記帳1:おふくろの味とは」

 おふくろの味イコール肉ジャガと言われるようになったのはいつ頃のことでしょうか。ずっと違和感を覚えていました。何年位前か覚えていませんが、小林信彦氏が、週刊誌のエッセイで、肉ジャガはおふくろの味とは言えないと書いておられました。肉ジャガがポピュラーな惣菜ではなかったということだったか、おふくろの味という言葉に異議を唱えておられたのか記憶…
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思い出エッセイ〔20〕 「敗戦前後の映画(娯楽)事情-思い出すまま」

 1945年8月15日、日本の敗戦の日です。その前後といえば、一日を生きるのが大変な日々 でしたが、今回はそんな中でも映画などの娯楽は存在したということを思い出すままに書いてみます。私は前年の秋、東京から福井市に縁故疎開をし、敗戦の一ヶ月前の7月19日、空襲に遭い、敗戦の「玉音放送」は、当時身を寄せていた農家で聞きました。東京へ戻っ…
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思い出エッセイ〔16〕 「自分が最も輝いていた頃とは」   

                                                 台所仕事をしている時、満州、とか引き揚げという言葉がテレビから聞こえてきて、居間に行ってみると、満州引き揚げ体験を数人の著名な、文化人と呼ばれる人が語るという番組を家族がみていました。手を放せなかったので、音を大きくして、チラチラ見ながら…
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思い出エッセイ〔15〕 「道一つ隔てて-馬橋の思い出2-」    

 記憶というのは本当に不思議なものだと思います。私は、昔のこと特に子供の頃のことをよく覚えているので、感心されることが時々ありますが、実はその一方で、高校時代の同級生の顔や名前を半分も思い出せません。更には、例えば、以前長年住んでいた所について、毎日のようにバスで通っていた道筋の、どこに何があったか、よほど目立つものでないと、覚えていな…
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思い出エッセイ〔9〕 「疎開(そかい)世代」

   疎開(そかい)とルビをふってみました。疎開とは、簡単な辞書で引くと、「戦災を逃れるために都市に住む者が安全な地方へ引っ越すこと」とあります。今も世界のどこかで起きていることであり、言葉そのものは死語とは言えないでしょう。しかし現在の日本ではこの言葉を知らない人の方が多いかも知れません。  以前は疎開派という表現も使われました。…
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思い出エッセイ〔8〕「読書する子どもⅡ-《馬橋》の思い出-」

 《馬橋》とは現在の南高円寺の旧名です。地名として消えたわけではなく、馬橋小学校とか馬橋神社などという形で残っているようですが。 前回、荻窪・清水町にあった母の実家について書きましたが、わがZ家の第一の拠点が「清水町」の家だったとすれば、《馬橋》の家は第二の拠り所でした(拠点ではありません)。 母の長姉である伯母と伯父の家があり…
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