小説『はるかなるインドシナ23』思い出エッセイ〔0-1-23〕

夫人は、ユウの両親のことについて、どう聞いているかと尋ねた。
タイで自動車事故で亡くなったと聞いている、浩司が事実だけを答えた。

「自動車事故は事実ですけど、実はその場所、詳細は不明のままです。
日本に齎された通知は、タイ国境の近くで、事故。車両が燃えて、遺体も不明、ということだったそうだけど、当時、ユウのお父さんは国際機関で仕事をしていて、私が国際機関というのは、公的な機関を言っているのではなくて、便宜的にこの言葉を使う場合もあるとお考えくださいね。その機関が、ある目撃者の話から、調べ直して、事故は、実は大きな事故ではなく、ご両親は密かにどこかに連れて行かれたらしいという情報を得ました。

それが、ベトナム戦争当時だったから、一層それ以上の詳しいことが分かりにくかったんですね。
最初はタイ国内ということだったけど、カンボジア、ラオス領という話もあったわ」
アマリア夫人は、時として、ノートを読み上げ、また自分の言葉でも話した。

「哲の属していた機関は、事故の相手方のトラックの運転手を特定して、ところが接触しようとしたら、運転手は、もう死んでいて、彼と親しかった友人から、少し話しを聞いたそうです。

加害者は、相手を傷つけない程度の接触事故を起こすように言われた、その後は自分のトラックを置いて、逃げるようにと言われて、少し走って、道の脇の草叢から下へ降りられる急坂を下る前に後ろを見たら、日本人の男女二人が、歩いて、いつの間にか来た軍用車らしき車に乗るのを見た、たまたま通りかかって、救助されたのかと、あまり気にも留めなかったとも話していたそう。

一種の当たり行為を頼まれたように理解していたらしい、かなりの報酬をもらったと言っていたらしいけど。頼んだ相手が何者か、本当に知らなかったように見えたと言っていたそうです。

二人が乗っていた車が炎上したことを聞かされて、非常に驚いていたとか。
報道されなかったも同然だったからか、別に思い当たることがあったのか。
まさかって言って、続いて何か言おうとして、急に口をつぐんだ。
それから何日もしないで、加害者のトラックの運転手は、崖から車ごと落ちて、亡くなったそうです。

事故を起こした車も、崖から落ちた車も、加害者の車ではなくて、友人も裏に何かありそうと、他の人には話さなかったそうです。
運転手と会う約束をしていたのに、現れなかったから、電話で聞いたこと、短い会話だった。

とにかく、タイのその筋からは、最初の事故報告だけで、それ以後何もない、というか、もう終わったことという態度で、ユウのおじい様や親しい方は、ユウには、事故以外の情報は知らせなかったのね。

でも亡くなられる前、ユウに、それまで聞いていたことを話したそうなの。もう年月が経っていて、それきり何の情報もないし、トラックの運転手が見た二人というのも別人だったのかも知れないという結論も。

私達夫婦は、ユウが生まれる前からご両親と親しくて、最初の出会いは、ベトナム戦争前のサイゴンでした。
夫は日本を拠点にして、東南アジアを中心に仕事をしていて、それからアメリカにも特殊なコネを持っていたんだけど、とにかく諦めないで、機会があれば、調べました。

何年か前に、ベトナム戦争が終わりに近づいていた頃、アメリカ軍側に少人数の北ベトナム兵が接触して来て、その中の一人が、この兵隊達は、旧日本軍兵士だ、降伏する形で、引き取って、日本に帰してもらえないかと、英語もベトナム語も日本語も達者な指揮官らしい人が、交渉して、引き渡して、自分はまだこの仕事を続けると言って、ジャングルに戻って行ったそうなの。

夫のゲルハルトは、その指揮官らしい人の写真を見る機会があって、ユウのお父さんの哲に似ていると思って、当時のアメリカ側の関係者に会ったりしたけど、誰も知らないとか、自分は関係がないとか言って、有力な情報は得られませんでした。
明らかにその場に居合わせた人も、覚えていないとか、その話はしないという態度だったということです。

ユウが大学に入ってから、私達は相談して、確実なことじゃないけど、こんなことがあると話しました。
その時ユウは黙って聞いていたけど、それから、あらゆる手段で、とりあえず、その時の日本兵という人達を探しにかかったらしいの。ユウは、あまり詳しいことは話さなかったわね。私達に新たな負担になっても悪いとでも思ったんでしょう。そういう人なのよ。彼は。

事故当時哲が在籍していた国際機関もとっくに解散しましたけど、この事件には、その機関の上部機関、当時哲と親しかった友人も、今でも情報を得ようと努力しているそうです。
ユウにも有形無形の協力をしてくれているらしいの。これはユウ自身から聞いたことです。

ベトナム戦争が終わって、北ベトナム軍に加わっていた旧日本兵の一人に会うことができたらしくて、その人から、日本が戦争に負けた後、かなりの兵士が、中には、佐官級の人もいたということですけど、ホーチミンの率いる、当時は、共産ゲリラに加わって、後にフランスとの第一次インドシナ戦争、第二次インドシナ戦争、つまり、アメリカとのベトナム戦争にもリーダークラスとなって、北ベトナム兵を指導、指揮したということを聞いたそうです。

日本軍兵士は優れていたから、北ベトナム兵士もよき指導者として従ったし、ベトナム戦争が終わった時は、そのまま残るより、日本に帰って、また活躍してくれという意向で、これは北ベトナム側だけの対応かどうかは分かりませんけどね。
東側の国々には、ソ連の意向が絶対の時代ですし。

帰国にトップも協力したというわ。但し、北ベトナム兵として動いていたことは秘密にして、一般市民として生活していたということにするよう、かなり厳しく言われたと言うか、文書を交わしたというケースも聞いています。内容は事実と違うことが記載されていたそうですけど、一種の暗号のようなものかしら。これはユウも見る機会がなかったそうです。

ある種のカモフラージュか、北ベトナムの女性との結婚が奨励されて、家族を持った人もいて、そういう人は残ることが許されたのか、自ら残る道を選んだのか、日本に帰国しなかった人もいるそうです。

だから、最初から北ベトナム側、つまり共産勢力側に協力していた人はさして問題もなく、帰国させてもらったけど、問題になったのは、南の勢力についた人達ね。

つまり日本敗戦の前、日本軍は、明号作戦という軍事作戦を実行して、フランス総督府勢力を廃して、傀儡政権という捉え方もあるけど、実態は、不安定ながら、独立した政権だった、南ベトナムの政権が誕生した。大戦中のことですよ。

その政権の義勇軍養成も日本軍が主導して、ベトナム共産主義勢力に対抗する勢力を軍隊として組織し、その勢力にも、日本に帰らず、加わった日本軍兵士がかなりいたそうなんですけど、その人達は、それぞれに非常に複雑な、つまり部外者には分かりにくい事情を抱えていたようです。

日本の敗戦と時を同じくして、一旦ホーチミン勢力は、一夜にして掲げる旗を変える形で、全土を覆いましたが、フランスが旧領土を取り戻しに来た第一次インドシナ戦争で、ベトナムも北と南に分かれて、南に与していた人は、個人個人でどう対応したか、分からないわけです。

今更旧日本軍だったとも言えず、どうなったか、消息不明のままという人達がいるようです。この辺りは、手元に詳しい資料もないので、それと本筋と関係ありませんし、あらためて、機会があったら、お話ししますわ。

それから、それ以前、日本の敗戦によって、日本に帰るより、ベトナムに留まって、この国の眞の独立を助けることを選んだ人が結構いるそうなのね。民間人も含まれているということです。現地妻と別れ難くてというケースもあるそうですし、私の知人で、日本に帰国したのに、またベトナムの家族の所へ帰った人も何人かいます。

北勢力と違って、半強制的に残されたのではなく、自分の意志で残ったケースが多いと言われていましたけどね。戦中の旧南ベトナム政権側から北ベトナム軍に鞍替えした人もいたそうです。

更に別のケースがあります。
第二次大戦の戦勝国、つまり連合国側と言っても、アジアでは一人勝ちのアメリカの意向で残された人がいるらしい、らしい、と言うのは、私がはっきりしたことを知らないということで、真相を知っている人はいる。

残された人自身、その周囲、特に上官筋とか。
このケースの人達は、少数で、日本に一旦帰国して、またベトナムに戻された人もいるし、日本に家族がいない人が主と聞いたこともあるけど、自身の意志と関係なく、相手、例えば戦勝国のアメリカが決めたことで、能力が問題にされたようです。

日本に復員して、港に着いたら、そのまま米軍の車に乗せられて、当時のGHQに囲い込まれた人もいるそうです。以後インドシナ担当、特務もさせられた。
これは、インドシナに限らないことのようですけどね。

あら、話が関係のない方に行ってますね」

「いえ。非常に興味深く伺ってます。どんなことでも伺いたいですし、僕達は今伺ったような背景をよく知りませんので、是非。
実は、こちらの蘭の父親が、戦後ベトナムから帰国していません」
そう言って、浩司は蘭の顔を見た。


"小説『はるかなるインドシナ23』思い出エッセイ〔0-1-23〕" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント