思い出エッセイ〔390〕映画雑記帳159「【マーガレット・サッチャー】感想」

 【マーガレット・サッチャー -鉄の女の涙-】(メリル・ストリープ、ジム・ブロードベント、監督:フィリダ・ロイド)。原題は“The Iron Lady”。

政治家の一代記とか生涯を描いた映画と言うのは、是非見てみたいという気になれません。この映画については、【マンマ・ミーア】以来、本格的に?贔屓になったメリル・ストリープがサッチャーを演じると言うので、見てもいいかなという気分になっていたという程度です。

マーガレット・サッチャー英国元首相は、存命であり(1925年生まれ、現在86歳)、認知症を患っていると言われ、映画化について、誰が承諾したのかということもちょっと気になりました。

来日したメリル・ストリープが、テレビで語っていたのを、途中からちょっと見かけたという程度なのですが、それも映画についての宣伝ということではなく、軽いインタビューという感じでしたが、彼女は、サッチャーについて全面的に肯定的に語ってはいず、(正確な言葉を覚えていませんが)あの髪型、(服装の)ファッションはひどい、軽蔑する、という言葉も使っていたと思います。
しかし、サッチャーの時代、英国、特に政界では、男性絶対であり、そういう状況で首相になったこと自体を評価するというニュアンスの発言をしていました。

そうした、はっきりした、メリル自身の客観を根元に保ったままの演技であるということも、彼女の演じるサッチャーを見てみたいという思いに繋がりました。
遠方の知人が、よかった、絶対に見た方がいい、(彼女は批判精神?に富んでいて、そんな手放しの賞賛を聞いたことがありません)第一英語が全部聞き取れると言ったことで、行くことを決めました。


冒頭、老婦人と言うより老女と呼んだ方がいいような、高齢の女性がお店で牛乳を買っている。動作の全てがゆっくりで、後ろの若い男性が、自分の番が来ると、当て付けるように数秒で買い物を済ますというシーン。

これがマーガレット・サッチャーで、メリル・ストリープ・・・なかなかピンとこない。
それほど老けメイクが見事です。
【J.エドガー】のディカプリオや友人役の老人メイクは、ここまでするかと思う程、そして老いは醜いと主張しているような、目を背けたくなるものでしたが(老いたエドガーに対してと言うより、ディカプリオとイーストウッドが、そこまで凝るか、という思いに捉われて)、「サッチャー」は、確かに、首と手の老いだけは隠せないと言われているように、紛れもない老いさらばえた首筋、しかし醜いとは感じない、皮膚を手入れし続けてもこれが限度という顔、でもまだ若い頃は美人だったと思える輪郭を残している、観客がまず感じるのは、登場した老婦人が精神力とか気力というものを失いかけている、余韻に頼っている、という印象ではないかと思います。
無表情に近い風貌だけではなく、テロを伝える新聞記事にゆっくり反応するなどで。

そして人はいるのに、ガランとした感じの自宅で、片付け物を始めたり、身の周りの世話をする人(か、と思ったら、これが警護の人のようですが)を鬱陶しがったり、そうかと思うと夫デニス(ジム・ブロードベント、若い時:ハリー・ロイド)がパンにバターをつけ過ぎると注意したり、とバラバラのシーンが、まるで連続していることのようにさり気なく投げ出される。

サッチャーの首相時代を知っていると言うか、同時代を生きた人でも、いささか戸惑うと思います。
孫が来ない、必ず来ると言っていたのに、息子も来ないと言っている、電話をかけなきゃ、と言い、娘のキャロル(オリヴィア・コールマン)が、彼は今南アフリカにいるのよ、と言い聞かす、その場面ではっとすることになります。

サッチャー元首相が認知症を病んでいることは、日本ではあまり知られていないことかも知れません。
映画の進行と共に、特に夫のデニスが実際に一緒にいるような場面が頻繁に出ますが、それが、単なる回想か、彼女の幻影か、見ている者には分かりにくいということになります。それでいいのかも知れません(デニスは2003年に死去)。

映画は、ストーリーとして、彼女の生い立ちや来し方を描きます。
イングランド東部のリンカンシャー州の生まれで、生家は食品雑貨を扱う店、所謂グローサリーを営んでいた。
父は地元の名士で、市長を務めたこともあるが、学校は出ていない。階級社会の英国では中流の下層と位置づけられる(Wikipedia、他)。

しかしオックスフォード大学に合格し(専攻は化学)、経済学も学び、マーガレットは、次第に掃除や料理に明け暮れる主婦業に甘んじたくないという思いを持つようになり、下院議員に立候補するが、落選。
この頃のマーガレットを演じる、アレクサンドラ・ローチが、ちょっと可愛いけど、何となく垢抜けない、言っていることは頑固だけど、ひと押しすると転んでしまいそうな、(言葉は悪いのですが)田舎娘的な雰囲気を巧みに出しています。

そんなマーガレットに求婚し、彼女が考える生き方にも賛同すると言うデニス。彼のことを好きだったマーガレットには最初から最高の伴侶に恵まれたというわけです。

下院議員に当選。党首への立候補も考えるようになる。
この間の、文字通り、女性は、サッチャー一人、黒服、黒い靴の行列の中に、女性のヒールのある靴が目立っているシーン、女一人といやでも目立っているが、男性議員はサッチャーに意地悪な目を向けるだけでなく、露骨に足を引っ張る。
英国で言う上流階級に属しているはずの男性議員の品の無さ、いずこも同じと思わせられます。

そんな中で、サッチャーの素質を見抜き、党首に相応しいよう、徹底的に教え込む先輩議員が現れる。
甲高い声や訛りをヴォイス・トレーニングで矯正する。
あの独特の、上がって、ストンと下がる、イントネーション、少々ドスの効いた(品のない言い方ですが)サッチャー節の出現です。
豊かな髪を利用しない手はないと言って、丁寧にセットした、一人では絶対に?できないヘア・スタイルを作り上げ、一種の看板にする。

髪を‘セットする’という言い方も最近はあまり使われないように思うのですが、サッチャーの髪型は、文字通り完璧にセットしたヘア・スタイルで、見事なものでした。
見惚れると言っても言い過ぎではありません。
60歳過ぎても、豊かな髪と手の込んだセットは変わらず、カツラではと思ったこともありますが、生まれつき恵まれた髪だったということのようです。

一度、洗い髪のままのようなスタイルで現れたことを記憶しています。何か大きな事故かテロが起きた時だったと思います。これも言わばパフォーマンスと言っては言い過ぎかも知れませんが、就任中ずっと、それ程手がかかるセットをしていたということでしょう。

メリル・ストリープはこの髪型を軽蔑するとまで言っているわけですが、髪形と言うのは、言うまでもなくその時代の流行があります。
後ろでまとめて、アップにして高く結い上げる、それこそ今そんな髪型をしていたら、何て言われるか、ちょっと思いつきませんが・・・
ブローという言葉がなかった頃です。

と言って、それより更に二十年以上前、日本で猫も杓子もこの髪型だったのは、ヘップバーン・スタイルという、ごくあっさりした髪型です。
ツィッギーもサッパリしたスタイルでしたね。何と彼女はもう61歳だそうです。
脱線してしまいました。

メリルは、サッチャーよりニ世代位年下ですから、髪型そのものに対する考え方が違うわけです。
メルケル独首相のようなヘア・スタイルを支持しているのでしょうか。ただのオカッパですから、いくら何でもそれはないかも(私は、メルケル首相の、公けの場でのパンツ姿をかっこいいと思っています)。

チャーチル以来の名宰相とも言われるサッチャーの、政治家としての手腕と、その時代について、映画を見た後意外に記憶に残りませんでした。
IRAなどによる爆弾テロ、思い切った経済政策をとったものの、人頭税など、サッチャーの命取りになった政策もあり、映画では激しいデモが繰り返される。
その中で、国際的に一躍マーガレット・サッチャー首相の名を知らしめたのが、フォークランド紛争です。
映画でもかなり詳しく取り上げられています。

英国に領有権があるが、アルゼンチンが実効支配していたフォークランド諸島をめぐって、1982年、アルゼンチン側が強硬手段に出て、サッチャー首相は、米国の反対、英海軍などの消極的な態度を押し切って、軍事行動に出る。アルゼンチン軍艦の攻撃をサッチャー自ら命令したと映画では描かれています。

女性首相、戦争を仕切る、と言うのが、当時の国際的な、少々野次馬的な見方だったように思います。
結局約三ヵ月後に、アルゼンチン側が退くという形で終結しましたが、艦艇などの被害は英国の方が大きかったと言われています。

この紛争(戦争という呼び方の方が多く使われているそうです)に対する毅然とした対処が、サッチャー首相にカリスマ性を大きくプラスしたと言えるようです。

紛争からも、映画のストーリーのメインの部分からも少し外れたことになりますが、この映画の中で、興味のあるやり取りがありました。
首相が強硬手段に出ると知って、アメリカの国務長官が多くのスタッフを同行して、英国に来て、思い留まらせようとする場面です。

国務長官はサッチャー首相に向って、2万哩も離れた、イギリス人など僅かしかいない、あんな小さな島に、何故そんな対応をして戦争への道を歩もうとするのかという意味の(正確なセリフは覚えていませんが)ことを言って、まず和平交渉をするように迫る。

それに対して、サッチャーの言葉。
ハワイはどうか。日本による真珠湾攻撃の時、アメリカは日本に和平使節を送って、東條と和平交渉をしようとしたか。
その発言に対して、アメリカの国務長官は引き下がってしまうのです。

(追記:上記について、サッチャーは当然反語的な意味合いで言ったわけですが、国家のプライドがかかっていることを強調するための、単なる言葉のやり取りで、深い意味はないと後で気づきました。以下の、私の意外感もトーンダウンしたことを付け加えます-2012/04/06-)

これを聞いて、私は愕然としました。そうか、ハワイは、アメリカにとってフォークランドだったのか、と。
サッチャーの言うようなことを、日本人の誰も思いつかなかったのではないか。
ヨーロッパで只一国、ドイツと戦っていて、アメリカに早く参戦してもらいたいと考えていた英国にとって、アメリカが日本と戦争を始めることなどメリットはなかったという状況はありますが。

家族に話したら、ケースが全く違う、単なる勘違いだと言われてしまいましたが、サッチャーにそういう発言があったことは事実と思われ、私はこの場面を忘れることはないと思います。

この映画を見てまず感じたことは、マーガレット・サッチャーという一人の女性が、多くの国事に対応して来た首相時代から、当時のことなど殆ど忘れて、家族と過ごした日々の思い出に浸る、時として幻影を見る、老いた女性への過程、或いは変化と言うか、一人の人間に年月が齎したものがごく自然に、すんなり受け容れられる形で描かれているということです。
政治家の映画ではなく、一人の女性の一生が、気負いのない形で語られているとさえ感じる。
ただ、原題が“The Iron Lady”であることを考えると、老いて、家族のことしか考えない老年を過ごしていることも含めて、これぞ鉄の女という観点のみを実は強調していると考えられないこともないのですが・・・
鉄の女であり続けるには、強固な意志というものを保ち続けなければならない、その人間の真の姿を見られるのは・・・穿ち過ぎですね。

以前、メリル・ストリープが、冗談半分に、私みたいな年になったら、映画で使ってもらえないと言っていたのを聞きましたが、この映画は、彼女の女優人生での代表作となることは間違いないと思います。しかもそれは彼女の後半生に訪れた作品で、マーガレット・サッチャーをこれ程演じ切れる、似ているだけでなく、自身のサッチャーを演じられる女優は出ないのではとも思えます。

首相でなくても、生き方は違っても、自身の一生を振り返る機会を与えてくれた、遠方の友人はそんな風に思ったのではと、ふと考えてみました。  《清水町ハナ》

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