雑記「ちょっとしたこと8:ドラマのことなど」思い出エッセイ〔350〕

 最近気に入って見ているドラマ、【おひさま】と【相棒】(再放送)についての気楽なオシャベリです。

テレビ・ドラマは、以前はよく見ましたが、最近はあまり熱心なファンとは言えません。最近と言うより、結構長い間、必ず見るドラマと言うのはなかったと言えます。

昔は、と言うか、テレビがウチに来た頃、それからずっと、アメリカのドラマを中心にほんとによく見ました。【ローハイド】とか【サンセット77】【逃亡者】ドクターものの【ベン・ケーシー】・【ドクター・キルデア】・・・

それが最近まであまり見なくなっていたのは、ドラマの出来が悪いとか言うことではなく、時間的な問題他で、わざわざ理由を書き出すようなことではありません。

NHKの朝のドラマ、【おひさま】はこの頃注目している井上真央さんの主演で、見てみようと決めた割には、つい忘れる、はっと気がついたら時間を過ぎてる、等々で、毎回見るようになったのは、あるちょっとした思い込みが間違いだったことからです。
(当然、大震災のことばかりが報じられていたし、私もそのことしか関心がなかった時期と重なっているという理由もありますが)

ドラマのプロットなどに、ポツポツと穴が開いたままの記憶になっています。
ここ数日で、真央さん演じる「須藤陽子」の‘おかあさま’が子爵家の一人娘だったことを知りました。そう言えば、若くで亡くなった原田知世のおかあさんは並でない品がありました。東京から安曇野に移ったのは、心臓病の持病があったからだそうですが。

昔、結核になると、小説などでは、例えば堀辰雄の【風立ちぬ】など、長野の高原の病院で療養していると決まっていた?ものですが、一家で、父親(寺脇康文)は職を辞してまで長野に移住すると言うのはよほどお母さんを愛していたからでしょう。
ただ心臓病なら、(医師の所へ行くのに、リヤカーで連れて行く場面があったと思いますし)東京の方が大きな病院があったし、当時の東京は今よりずっと空気もきれいだったのでは、などとつまらないことを思うのは、やめにして、まだ今ほど有名ではなかった安曇野で、ちょっと違う雰囲気を持った家族の姿が自然に描き出されています。

井上真央は、最初とにかく可愛いという雰囲気で、あーあ、初恋も失恋しちゃった、お父さんやお兄さん達も見ている者も、だいじょうぶかなあ、と心配する、そんな雰囲気だったのが、私が、私がと主張するタイプの存在感ではない、周囲を気遣い、たてて、いつの間にか欠かせない存在となり、本当の主役となった、そんな感じがあります。

女学校時代の三人グループもよかったですね。
特に真知子役のマイコさんのクラシックな美しさには瞠目しました。私事ですが、ずっと以前に亡くなった美貌の叔母に目元とか雰囲気が似ていて、姿を見るのを楽しみにしてしまいました。

陽子は、戦前から戦争中、敗戦直後という困難な時期に女学校、師範学校に通い、そして母校の小学校の教師を務めるわけですが、ドラマは、正面きって時代と向き合っているという感じはないものの、却ってそのことが、例えば都市部ではなく農村部に住んでいる人達はそのように特に全体の状況を意識することなく毎日を過ごしていたかも知れないと思わせるわけです。

私は陽子先生に教わっている国民学校生徒の世代でした。
ですから、オルガンの伴奏で、「~お国のために戦った、兵隊さんのおかげです」と歌う教師と生徒とか、終戦後、何故か分からず、教科書を墨で塗り潰すというところなど、悲しい懐かしさと共にすっと場面に入り込めました。

最初の方に書いた、私の、間違った思い込みとは、陽子は松本のお蕎麦屋の息子、丸山和成(高良健吾)にひと目惚れをして(品のない言葉ですが)、勿論和成も陽子を好きになって、結婚式を挙げるのですが(花嫁姿、ほんとにきれいでした)、この辺りで二三回見逃していたかと思うのですが、和成が戦死してしまうと思い込んでしまったことです。

陽子を好きになったのに、当然召集令状が来る、陽子を未亡人にしてしまうと思った和成は、結婚を断ったはずなのに、次に見た時は結婚式の場面。
その時に、結婚をして二人が一緒だったのはこの一日だけ、という意味のナレーションがあったと思うのです。
和成は戦死するのだと思い込んでしまったのです。

陰膳を供えて、和成の面影も度々浮かび上がる・・・そんなシーンも何度かありましたし、可愛い中にも凛とした雰囲気が感じられるようになった陽子は、和成を失ってしまうのかと思うと、いつ戦死の報が届くかとドキドキしていました。
高良健吾というスターを、思い出の中の人としてだけ登場させるなんて、という思いも持ちました。

映画【ノルウェーの森】で、繊細な傷つきやすい精神の持主という役どころを演じていたのが、私が見た一番最近の作品ですが、若い人のファッション・リーダー的な存在なのではと思える、兵隊さんのイメージは凡そ思い浮かばない、きまったファッションの人という印象を持っていました。

キリっとした、古典的な雰囲気さえ持つ二枚目ぶりで、朝のドラマに新たなスター誕生と言う観さえありました。

一方で、陽子の好ましいお兄さん達も出征するのですが、最初に次兄の茂樹(永山絢斗)が予科練に入るところで、ちょっとアレっと思いました。軍人になってこの家を守るというセリフがありましたが、それなら海兵こと海軍兵学校ではとチラと思ったのです。
合格は最難関と言ってもいいので、急に受けると決めるところではないのですが。

永山絢斗は瑛太の弟さんだそうですが、静かな中に葛藤を秘めているイメージが感じとれて、いい俳優だと思いました。
以前「スタジオパーク」で、特技としてアイロン掛けをあげていて、私など及びもつかない丁寧さで、袖とか襟にアイロンをかけているのを見て、じっくりと細かいことにも神経を行き届かせる演技に繋がるのではと思ったのですが。

長兄の春樹(田中圭)が戦死してしまったのにはガッカリ(という言葉は軽くてよくありませんが)しました。
乗っていた潜水艦が敵に撃沈されたというのですが、あれ、潜水艦に軍医は乗っていたのだろうかと思いました。

これは根拠のない疑問で、ただ直感的に潜水艦に軍医・・・陸上の戦いだったら、前線で負傷すれば、後方の野戦病院に送られて、治療を受けるので、潜水艦は海軍の最前線のようなものですから(任務を終えたら、母艦に収容されることもあるように記憶しています)、限られた艦内に軍医、ということに、他の軍艦、例えば駆逐艦などの聞き間違いではと再放送で確かめたのですが、潜水艦でした。
潜水艦に、衛生兵はいるかも知れませんが、もし軍医が乗っているとしても、戦争の末期に、と本筋と関係のないことを、しかも事実は一つなのに、結構拘ってしまいました。

もしかして春樹はまだ医師の資格を取っていなかったのではとも思いましたが、自分は医師と名乗って、子供を治療しているシーンがありましたし、何よりも弟が葉書で兄の戦死を知らせて来る直前に(ここも海軍にいるからと言って、潜水艦の撃沈をすぐに知り得るとは思えないのですが)、春樹は戦争が終ったら、安曇野の実家で小児科を開業するつもりということが説明されたので、やはり医師になっていたわけです。

戦時、日本海軍は早い時期に制海権を大きく失い(1945年1月、サイゴン湾に碇泊していた多くの艦船を米軍の攻撃で失ったことも大きな理由)、潜水艦だけは敗戦間近まで航行していたと言われるので、安易に選んだのではといううがった考えもチラと頭を掠めました。潜水艦がどうこうと言うより、戦死が安易に扱われているように感じたということです。

別のことになりますが、上記のような希望に溢れた場面を出して、その直後に戦死の報。悲しみは深まるというわけですが、イージーにこういう対比を出すことには少々の疑問を抱きました。

それから春樹が、自分が生きて帰れないかも知れないからと、思いを寄せる真知子に自身の心情を綴った手紙を陽子に託し、死ぬかも知れない者が自分の気持ちを伝えたいと思うのは当然ではという意味のことを語ったと思うのですが、それはどうだろうと思いました。
和成はそれと反対の思いを持ったから、陽子と結婚しないと一旦は決めたのでしょう。
更に真知子ははっきり春樹が好きだと陽子に告白しているのに、陽子はそれを春樹に伝えたのでしょうか。
この先真知子は春樹への思いを抱いたまま人生を過ごしていくことになるのもちょっとという感じです。

和成のことに戻りますが、ある日、来週の予告で見たのか、何と和成が帰って来ることが分かったのです。映像が出たのか、示唆だけか、覚えていないのですが、驚天動地は大袈裟ですが、本当に驚きました。
その回を絶対見逃してはいけない、そう思っても、もしかすると、途中から見ることになってしまうかも知れない、何しろそのチャンネルにしていても、他の用事で立ってしまったりするので。
BSプレミアムで30分早い時間に放送していることを知って、待機していました。

そして、本当に和成は陽子のところに帰って来たのです。
ラブシーンと言う言葉は死語に近いでしょうけど、陽子と和成の再会のシーンは、ユーモアがあって、しかし自然で、そして強い思いがはっきり分かって、名場面だと思います。

あのナレーションは何だったのだろう、という思いはあるのですが、ま、いいか。
復員して来てからは、いるだけで、存在感があり、陽子と和成が何気ないやりとりをするだけで、一回のドラマが成り立つという雰囲気がありました。
ただこういう時代と言うか時期を扱うと、戦後の生き方をどう描くか、戦中の緊張がなくなってしまうので、難しいところではないかと思えます。和成もどうイメージを変化させて行くか楽しみでもあり、難しいところであるようにも思えます。

長野のような生産地でも食料は不足して、その中に農地改革などで、蕎麦が栽培できなくなり、お蕎麦屋を廃業せざるを得なくなる。丸山家では新しい方向を模索し始めた頃、陽子の妊娠が分かる。

そして突然祖父の子爵が亡くなり、祖母(渡辺美佐子)が陽子を訪ねて来るというシーンで先週は終っています。
華族制度の廃止は戦後結構早い時期ですが、と言ってすぐ特権階級のプライドが失せるわけではないと思いますが、一人娘の葬儀にも来ない祖母に、無条件に好意を持つ陽子には多少の疑問も抱かされます。

大体このドラマは悪い人は出て来ない。人がいい、明るい、楽天家の人達が登場していると思うのですが、それはそれで、気分よく見ていればいいとも思いながら、あまり生活感がないという印象は拭いきれません。
見る人によっては、須藤家の人達の行儀のよさにそれを感じるかも知れません。

陽子は友人以外誰に対しても常に所謂です・ます調、丁寧体で話しかけます。登場する殆どの人が正座を崩しません。
昔は普通のことだったと思うのですが、それと私は陽子の美しい、正しい日本語とマナーに、一種の安らぎも感じるのですが、硬さが見られるとしたら、この部分かなと思います。

その後の陽子、と言うか、年月が経って自身の越し方を振り返るという形でこのドラマは進行していますが、その若尾文子さんは貫禄のある、自由な話し方をしているので、次第に自分の話し方を身に着けていくのだろうと思いますが。

時折あれと思うことがあります。
ご苦労さま、という言葉は目上から目下、お客と売り手など(これはあまり適切な言い方ではありませんが、例えば配達の人、新聞の集金に来る少年などに私はこの言葉を使います)の立場で交わされる言葉で、子供がお使いをして来て、お母さんがご苦労さまと声をかける、そんな風に使います。もっとも言葉の使い方は変わって行くものですが。
ずっと以前のことですが、首相が天皇にこの言葉を言ったと話題になったことがありました。

人の家を訪問して、「お邪魔します」という挨拶も、昔は使われなかったと思います。これは陽子の言葉ではありませんが。

こんなアラ探しをしないで、折角主役として満点に近い井上真央を得て、夫役にオーラのある高良健吾も加わったところで、ドラマそのものも登場人物も大きく成長していくと期待しています。

「東日本大震災」の直後に始まったドラマであり、番組的にも大きく影響を受けたと思いますが、【おひさま】という明るいタイトルで、太陽から名前をとった陽子が一生懸命生きて行くという、日本人が元気をもらうのに相応しい主人公と内容なのですから。


【相棒】(テレビ朝日、再放送)。所謂刑事ものですから、【おひさま】とは何もかも異なるドラマです。私も勿論、両者を比べようなどと言う意図は全くなく、今欠かさず見ている、とまでいかなければ、そういう姿勢で臨んでいる?二本のドラマのもう一本ということです。
平日月曜から木曜まで(偶に金曜も)、4時から1時間枠(2時間の時もあります)。過去に放送された分の再放送です。今は相棒関係を解消している杉下右京(水谷豊)と亀山熏(寺脇康文)コンビの活躍が再び見られるというわけです。亀山は陽子のお父さんです。

テレビ・ドラマとして放送されている時は、時々は見たかなあという程度です。
一番最近の映画、【相棒】では、右京の相棒は既に及川光博に替わっていました。寺脇とは相当雰囲気が異なります。これもありとは思いますが、亀山と右京の息の合っていること、得難いコンビと改めて思わせられます。ただ若干騒々しい、クールな相棒もありということかも知れません。

見始めたら、画面に吸い寄せられて、ちょっとの間も目を離したくない気分です。
一度など電話が鳴って、ここはどうしても見て置かないと、と思って、画面に目をやったままゆっくり受話器をとりに行ったら切れてしまいました。

このドラマの何にこんなに惹きつけられるのだろう。そう考えてみて、一つは密度の濃いストーリー、つまり無駄な画面がない、ちょっとでも見逃すと、重要なヒントを見逃すことになる。それは最初から最後まで全く飽きさせない、ドラマとして、よく出来ている、面白いということでもあります。
その時によってストーリーの出来不出来と言うか、好き嫌いは多少ありますが、決定的につまらなかったということはなかったと思います。

右京の魅力も並べて挙げられます。あの独特の丁寧な日本語。全くブレのない態度と言うより人間性。剛柔使い分けるというタイプではなく、あくまで冷静な態度、対応を通して、感情的になることは絶対ない。でも言うべきことは必ず言う。やるべきことは必ずやる。杉下右京というユニークな刑事像を、水谷豊がごく具体的に作り上げている。

お馴染みの「はい?」と言うひと言で強い疑念、意外な気持ち、何を言っているのかとたしなめる、聞いてないですよ・・・まだまだありますね。
他の人に言われたら、それこそ、はい?と聞き返してしまいますが、彼が話す、独特の日本語は全て右京語として認定です。家庭であの調子で言われたらやってられない、なんていうことは考えない。

偶に「雨宿りさせてもらいたいと思って」などと言う、見知らぬお宅、人に頼むのには、ちょっと、「はい?」と言いたいこともありますが。まあ、右京語に飽きた時はこのドラマに飽きる時だと思いますが、結構見てますけど、まだずっと聞きたいと思っています。

既にかなり褒めましたが、私としたことが?、朝新聞を見て、あ、今日もあるとほっとするほどこのドラマに入れ込んだ理由をまだ全部はっきりは掴んでいません。
進行が非常にスムーズです。周囲を固める人も皆うまい。官房長・警視監、というえらい役職で時々右京の前に現れる岸部一徳も独特のアクの強い役柄をサラッとこなして、際立った個性となっているし、鑑識の何という名前だったか、オカッパ眼鏡の人も主演の映画がありましたね。

特命係の部屋に「暇か」と言って入って来るだけが役目みたいなニ課長?とか、常に右京達の妨害をする、敵役の捜査一課?の人達も、その毒舌や嫌がらせがあってこそ右京と亀山が引き立つというわけです。

ほんの小さい日常的な出来事から事件が始まるというスタイルのドラマがいくつかありましたが、例えば下町の一角、どうやら右京の行きつけの、彼の元妻が一人で切り盛りしている小料理屋の隣組と言った、近隣のお話らしい。右京は馴染みらしいお豆腐屋でお豆腐を一丁買って、それを女将に渡すという味な(なんていう言葉、死語でしょうか)場面。

その隣組の商店主とか、いかにも下町という雰囲気の人達が生活臭の滲む会話を交わすような中で殺人事件が起きる。右京達が調べる中に、ごく素朴な印象の人々の事情、裏側、素性が炙りだされて来るという、この状況からストーリーが生まれるのだろうかという思惑が見事にひっくり返されるというのがありました。

「センミツの~」というタイトルで、センミツ、聞いたことがあるような言葉だ、と思っていたら、千に三つしか本当のことを言わない、根っからの嘘つきのことで、実際に存在する言葉のようです。
皆が嘘つきと知っているから、どう対応すればいいかということだけが問題となるのですが、現実には、嘘つきと軽く呼ばれるような代物ではない、虚言癖、或いは虚構作りとでも名づけたいような、結構ガッチリとした嘘つきもいますけど、まあ、ここは追求すれば、次々にちょっとした嘘を拡げて行くタイプの男が主人公です。

その男が別荘地で空き巣をやったと簡単に認めて、実刑覚悟で逮捕される。
それを怪しいと睨んだ右京達が、調べて行く。センミツが夢を託した、思いもつかない、宝の隠し場所、あっと驚かされました。センミツを寧ろ隠れ蓑にしている、その辺りのストーリーの運びも巧みです。

そうかと思うと、昨日は「山茶花(サザンカ)が咲く頃」という古典的なタイトルで、キャリア官僚が組んで、日本版CIAを作るために軍事衛星を作ろうとするなんていう壮大なお話しをギリギリの現実感でまとめていました。山茶花が重要なキーになり、その理由がへーと感心することで、ちょっと調べてみたら、確かに何カ国語かで殆ど同じで、ただスペルが若干違うということがどうなんだろうと思いかけて、どうということない、順に試せばいいだけということ(完全なネタバレを避けるために曖昧な書き方になりましたが)。

隠居の身には深夜、そして夕食の仕度の前の、三時、四時は結構テレビ・ドラマを見るのに格好の時間です。ずっと再放送してくれるといいんだけど・・・テーマや内容が多少旧くなるという難点はあるのですが、それも一興ということで。
ミステリー・サスペンス分野のよく出来たエンターテインメント・ドラマです。

ちょっと時間を置いたら、このドラマのもう一つの魅力が分かりました。
杉下右京は東大法学部出身のキャリア組なのに、何らかの理由で「特命係」という窓際部署に置かれ、警部止まりのまま。それはつまり現場捜査ができるということです。
非常に優秀で多くのことに蘊蓄があるらしいことはチラチラと示されます。ロンドンに留学していた頃とか、ワインに詳しかったり、簡単に言えばあらゆることに通暁している。
そういうスーパーマンタイプの人が、クールに捜査をして、必ず犯人を捕える。どんなに圧力がかかっても、正義を通すためには身を賭す。そういうことが一番の魅力と言えるかも知れません。

この一文にはダラダラと時間をかけてしまいました。その間にドラマは進み、日付、内容、他、多少のズレが生じました。申し訳ありません。  《清水町ハナ》

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