本の雑記帳27「『点と線』-テレビ・ドラマとの比較感想」思い出エッセイ〔335〕

 松本清張『点と線』(新潮社文庫)について、既読を前提として、核心的な部分に触れています。ご留意ください。(続けて数行書いたところで‘大地震’が起きました。一旦書き続ける気が失せたものを甦らせるのは難しいことですが・・・)

テレビ・ドラマはあまり見ない方です。嫌いなのではなく、きちんと見る時間がとれない(そんなに忙しいわけでもないのですが)、中途半端に見て、その中興味を失ってしまうと言うところです。

大震災より前のことです。「BS朝日」で、『点と線』のテレビ・ドラマ前編を見て、後編の放送時間を忘れないように家族にまで頼んで、文字通り釘付けで見ました。
2007年の制作で再々放送のようです。
こんなに熱心に見ても、細かいところはかなりの部分忘れてしまいました(今は更に忘れました)。

ドラマとして傑作だと思いましたが、それだけでなく、あれこれ思い出したり、思いついたり、疑問が湧いたり、それが拘りのような思いとなって残ったままで、とうとう『点と線』を読み直してみました。
言わばドラマの力のようなものを感じたとでも言ったらいいかと思います。
感じたこと、考えたことを、思いつくままに、いささかランダムに、つまり寄り道、脱線あり(相当)で書かせていただきます。

言うまでもなく『点と線』は松本清張の最初の長編であり、初期の代表作の一つです。
昭和32年(1952)から33年にかけて、日本交通公社(現在のJTB)発刊の雑誌『旅』に連載され、33年光文社から単行本として出版された。

雑誌『旅』は戸塚文子さんという名物編集者が有名で、私もかなり長く愛読していましたが、連載当時の清張は遅筆で、いつも『点と線』だけ原稿待ちで、病気と偽って実は九州に出かけた清張を、戸塚編集長が空港で待ち伏せたなどというエピソードも知られています(Wikipedia他)。

自分のことを書くのも気が引けますが、子供の頃から本の虫で、文学本中心の乱読派。
ミステリーもかなり入れ込んで、内外を問わず片端から読みましたが、読む傍から忘れるという感じでした。ミステリーはプロットを忘れるのが普通と言われていますが・・・

『点と線』を読んだ時の鮮烈な印象は長く残りました。それまでのミステリーとは全く違う。この小説は忘れることはないと思いました。

テレビ・ドラマは博多署の鳥飼重太郎刑事をビートたけし(今や‘さん付け’にしないと落ち着かない気分ですが)、警視庁捜査二課の三原紀一警部補を高橋克典が演じています。
原作では、最初に登場するのは、もう一人の重要人物、安田辰郎で、鳥飼は地方警察の刑事として地味な感じで登場し、寧ろ三原警部補の方が主役の感じですが、ドラマでは、原作にはない、鳥飼が上京する場面を加えたりして、最後まで主役。存在感のある力強い、それでいて渋い演技に、惹き込まれました。

高橋克典の刑事も、昭和30年代初めの都会の若い刑事(と言っても30歳過ぎ)の雰囲気が出ていましたね。
神武景気とやらで、‘もはや戦後ではない’などと言われ始めたものの、庶民にはあまり実感がない、まだ戦後を引き摺っている感じがあった頃の警視庁の刑事、仕事一筋だけど、お洒落?にもちょっと気を遣っている、昭和人間には懐かしさも感じさせる・・・

ポマード、コッテリなんていうところも当時の男性に共通のことでした。リーゼントスタイルと言うほど目立つ髪形ではなかったと思いましたが・・・
私が在学した関西の高校は、ブラスバンド部が有名で、プロ並みだったそうですが、中でも目立つスターはハンで押したようにポマード、コテコテ、リーゼントスタイル。一年か二年先輩ですが、高校生には見えませんでした。同級生や下級生など相手にしていないような感じでしたね。
私と同学年の秀才少年は皆坊主頭。髪を伸ばしていた男子学生は殆どいなかったと思います。東京からの転校生が長髪で目だって、話題になっているような雰囲気でしたから。

だからリーゼントスタイル・ブラスバンドは高校生と言うより営業をしているという感じで、某私立大学に揃って進学したと聞いています。

今知ったことですが、本来のリーゼントスタイルは、お馴染みの、前髪を高くカールさせたものではなく、横の髪をポマードでピッタリと後ろへ流すスタイルのことだそうです。
つまり高橋克典の三原刑事は正しいリーゼントスタイルだった可能性が高いということになります。


前置きが長くなりました。
(実はテレビ・ドラマの前編を途中から見て、冒頭を見ていないのですが、後の方の場面から推察して、上記の三原刑事と、原作ではちょっと顔を出す程度の、鳥飼刑事の娘をそれぞれ宇津井健、池内淳子が演じて、思い出話をするという形式がとられていたのだと思います。

テレビ・ドラマでは、鳥飼刑事の娘が三原に好意を持つという設定でしたが、原作は婚約者がいて、間もなく結婚するということになっています。
ドラマは鳥飼刑事の奥さんは既に亡くなっていて、いつもかぶっている帽子が奥さんの手作りです。
原作は、奥さんが用意した、雲丹、いかの刺身、干鱈など(当時としては)ちょっと贅沢な肴に晩酌2合という、刑事としては少々多いのではという量。
特にイカのお刺身と言うのは、当時は他の魚類のお刺身と違って、今ほどポピュラーなものではありませんでした。九州のような産地では普通のことだったのかも知れませんが。

私の父方の祖父は、東京法律学校(というような名前だったと思いますが、現中央大学法学部の前身)を出て、警察畑に入った人で、父の話では、晩酌は必ず一合だけ(何があってもすぐ駆けつけられるように)、肴で欠かさないものは湯豆腐だったそうです。

ここまで書いて、遂にドラマのDVDを注文してしまいました。気軽に買える価格ではなかったのですが、ドラマの細かいところがはっきり思い出せないこともさることながら、昭和30年代初めという私にとっても懐かしい時代の背景が忠実に再現されていたことも、もう一度詳しく見ながら、原作と比べてみたいという誘惑?に負けてしまったということです)


福岡県の香椎海岸で男女の服毒死体が発見され、心中と片付けられるところから始まります。
男性は佐山憲一。某省の課長補佐。ある汚職事件の取り調べが進行中の役所である。
女性は赤坂の料亭「小雪」のお時という女中だった。
二人は一週間前に東京を出て、特急「あさかぜ」で博多に来ていた。

特に問題もないとされ、遺体はそれぞれの家族に引き渡されることになる。
博多署の鳥飼重太郎刑事は、佐山の遺留品の中にあった列車食堂の領収証に気を引かれる。
‘お一人様、340円’とある。女性がどうして一緒に食堂車に行かなかったのか疑問を抱いたのだ。
更に佐山は、福岡市内の旅館に数日間一人で泊まっていたこと、その間電話が来るのを待っていたことが分かる。

帰宅した鳥飼は、婚約者の新田と映画を見に行って、帰って来た娘のすみ子に、新田が何か食べたいと言った時、自分はおなかがいっぱいだったら、一人外で待っているかと聞いてみる。コーヒーでも付き合うとすみ子は答える。

男性の遺体は、兄の銀行支店長が、女性は母親の60歳位の‘老婆’と料亭の女中仲間のとみ子が引き取りに現れた。(当時60歳の女性は老婆なんて書かれたんですよね)
殊に男性の兄は、弟が海千山千の料理屋の女中などと心中をしたことに無理矢理せがまれたのに違いないとひどく怒っていた。

とみ子は、お時について、浮いた噂一つない、佐山とつき合っていたことも全然知らなかったと話す。
しかし東京駅で二人が15番ホームから「あさかぜ」に乗るところを見たことも話し、同輩の八重子と汽車の近くまで行って、二人が楽しそうに話しているのを見たと言う。

鳥飼は現場の香椎海岸にもう一度行ってみた。黒いゴツゴツした岩場で、およそ心中の現場にふさわしくない。
佐山の兄とお時の母親に電報を打った。どちらかがこの海岸に来たことがなければ、このような場所を選ばないだろうと思ったからだ。
更に今まで西鉄香椎駅に二人が降りたとばかり思っていたが、国鉄の香椎駅に降りた可能性もあると気づいた。

国鉄の駅近くの果物屋に当夜男女を見かけなかったか聞くと、ひと組見たと言う。
買い物客が鳥飼を追いかけて来て、西鉄香椎駅でも同じ頃男女を見たことを話し、自分の傍を通る時、女が「ずいぶん、寂しい所ね」と言ったという。

電報の返事が来た。佐山の兄は、佐山が出張で度々博多に行ったことがある、お時の母は、お時は博多に行ったことがないと言って来た。
(鳥飼が郵便局から打った電報について、長距離電話というわけにもいかないだろうから、電報が普通なのだろうか、相手が返信をきちんと打ってくるだろうか、などちょっと疑問に思って、少し調べたところ、‘警察電報’とか‘往復電報’というのがあるらしいと知りました。鳥飼がこの時打ったのがどれかは分かりませんが、一刑事がふと思いついて、郵便局から電報を打つだろうかと思ったので)

鳥飼は更に、駅員から香椎駅をよく利用する三人の乗客の情報を得て、当夜見かけた男女の二人連れについて詳しく聞くが、いずれも佐山とお時には該当しなかった。

署へ戻ると、係長が東京の警視庁から人が来て、鳥飼に会いたがっていると告げる。
警視庁捜査二課三原紀一警部補の登場です。
テレビ・ドラマの高橋克典とはいささか違った風貌です。
背は高くなく、血色のいい童顔、がっしりとした体格は「なんとなく箱を連想させた」と言うのですから、ちょっとガッカリです。もう少し後に「保険の外交員のような男」と更にガッカリさせ(勿論外交員の巧みな口上を指しているのでしょう)、続けて「さすがに警視庁」と頭が切れることは認めて、少々挽回。

「微笑してすわっていた」「にこにこして名刺を」出す、と言うのは、高橋のイメージに合うように思えますが。
いつも微笑しているという印象がありますよね。
清張の小説の登場人物に今で言うイケメンはどの位の割合で出現するんでしょうか。

原作はこの辺りから、つまり事件が起きて間もない頃から、一気に主役はこの三原警部補に交代です。

警視庁捜査二課、と聞くと、すぐ贈収賄罪担当と思ってしまいますが、原作に「知能犯罪の担当」と書いてあることにアレと思って、調べてみたら、“贈収賄、振り込め詐欺をはじめとする詐欺、横領、背任等の「知能犯捜査」”とありました。案外すぐに出て来なくて、‘~とは’で検索して、警視庁のホームページで定義と言うか紹介が出ていました。

鳥飼は二課と聞いて、佐山課長補佐のことを調べに来たのだと直感する。
某省庁の汚職事件が進行で、新聞が大さわぎをしており、佐山の属していた課がその中心、同僚の課長補佐が一名既に逮捕されていた。

三原は、佐山のことを調べに来たとすぐに切り出し、鳥飼が佐山情死に異論を持っていると聞いた、それについて聞かせて欲しいと言う。

鳥飼が食堂車のお一人様の領収証のことを言うと、三原はすぐに「あさかぜ」の主な停車駅の到着時間を読み上げ、問題点を絞ってみせ、現場に同行して欲しいと頼む。

ここでやっとDVD入手。今日は日曜。昨夕、少なくとも今朝配達と思っていたのが、お昼過ぎになっても来ず、もしかして下のポストにと見に行ったらやはり入っていました。ちょっと声をかけてくれればいいのに・・・

早速見て、やはり圧倒される力強さを持った作品、ビートたけしの演技は存在感があって素晴らしい。高橋克典も警視庁のスマートな、しかしキビキビした敏腕刑事ぶりがビートたけしと対照的な存在として好演。更に助演の柳葉敏郎、脇を固める、小林稔侍、橋爪功、市原悦子、他、達者な演技です。夕食を挟んで、2卷とも見てしまいました。


テレビ・ドラマの配役をご紹介しておきましょう。
【点と線】制作;テレビ朝日(ビートたけし、高橋克典、柳葉敏郎、内山理名、小林稔侍、樹木希林、市原悦子、竹中直人、橋爪功、かたせ梨乃、大鶴義丹、江守徹、宇津井健、池内淳子、本田博太郎、夏川結衣、坂口良子、名高達男、他、ナレーション:石坂浩二、監督:石橋冠)

原作とは別ものとも言える。本来別に紹介すべきかも知れません。しかし、上記のおしゃべり・スタイルを続けることにしたいと思います。

このブログを書き始めた時に「東日本大震災」が起きた。日本国の運命も既に変えた大災害です。
一ヶ月以上も経って、続きを書こうとしても、読み直した原作についてもテレビ・ドラマについても、印象が薄れている、細部を忘れている。書くつもりだったことも輪郭しか思い出せない。
原作を再読み直し、ドラマのDVDを求めた、迷った末に。

結果、ある種の元気を得、気を鎮める効果がありました。昭和30年代前半という、敗戦日本にとっても新たな始まりを予感させる、しかし懐かしさの向こう側に沈んでいた時代を、小説と映像の力が鮮明に思い出させてくれたと感じています。

(以下、(b)は原作、(d)はドラマ)
『点と線』を読んだことがない方でも、この小説の有名なシーン、アリバイである、‘東京駅の13番線ホームから15番線ホームを見通せる4分間’(昭和32年の国鉄ダイヤによる。b)のことは聞いたことがあるという方もおられるのではないでしょうか。

原作では冒頭、重要な役どころの安田辰郎(柳葉敏郎、d)が行きつけの料亭「小雪」の女中、とみ子と八重子を、食事をご馳走すると銀座に連れ出し、食事後、鎌倉の自宅へ帰る自分を東京駅まで送ってくれと13番線ホームに来させ、15番線ホームを男性と話しながら歩く、同じ料亭の女中お時の姿を、「あれはお時さんじゃないか」と二人の注意を引くシーンで始まります。二人は九州へ行く、「あさかぜ」に乗り込む。
好奇心に駆られたとみ子と八重子は、15番線のホームまで行って、窓越しに談笑する二人を確認する。男は某省(産業建設省、d)の課長補佐、佐山憲一で、十日後二人は福岡の香椎海岸で心中死体となって発見される。

ドラマは、老いた三原(宇津井健)と鳥飼刑事の娘(池内淳子)が再会する場面で始まり、その場は‘あの13番線から15番線が見通せるアリバイ’と短く三原が口にするだけですが、その後何回も実際に安田と二人の女性が13番線に立つシーンを、見る者に刻みつけるように映し出します。
撮影に当たって、当時の東京駅のホームをセットで再現したそうです(Wikipedia)。

また原作が、まずは、博多署の鳥飼の行動をのんびりと描いているのに対し、ドラマは、最初から汚職事件を精力的に追う警視庁捜査二課の様子を博多署と交互に出し、三原警部補(高橋克典、d)も原作より早い段階で博多署に現れ、警視庁刑事らしい、全く無駄のない敏捷な動きで、国鉄と西鉄の香椎駅の付近で鳥飼刑事と一緒に行動する。スピーディーな進行が強調されていて、見る者を引き込む。

心中事件と片付けた博多署と異なり、警視庁二課は重要参考人を失ったという認識で三原も早い内から殺人事件と感じている(d)。

二人の遺族が遺体を引き取りに来た場面でも三原は既に立ち会っており(d)、とみ子の、東京駅で佐山とお時を見かけた話も聞く。
更にお時の母親は、娘が一度結婚して、別れたことを原作でも話していますが、娘がいる、自分が引き取っているという、原作にはない事実も話す(d)。娘を残して死ぬはずはないという鳥飼の判断にも繋がる。

ところで、三原刑事の髪型ですが、最初見て、あれ、ポマード、コテコテというほどではない、寧ろ控え目、‘正しいリーゼント’と言えるほど横の髪が伸びていない、見間違いだったかとガッカリしたのですが、ストーリーが進むに従って、横の髪が長くなって、後ろへ流している、しかもポマードでピッタリと撫で付けている、前髪も遠慮がちに小さくカールさせている、というタイプも確かに見ました。撮影中に髪が伸びて、こういう風になったのかも知れませんが。

原作はこの辺りで、三原はさっさと東京へ戻ってしまい、二度と鳥飼とは会わないのですが、ドラマは違います。
三原は鳥飼の家を訪ね、娘のすみ子(内山理奈)とも会い、お互いに、特にすみ子の方が好意を持って、喫茶店で話したりもするのですが、結局結ばれなかったことは冒頭の、老いた二人の再会シーンでも分かります(d)。

本庁から電報が来て、安田辰郎と(汚職問題の渦中にある)産業建設省(d。bでは××省などと表記)の原大臣(江守徹)は友人であると知らせて来る(d)。
原作には大臣クラスは登場しません。××省の部長止まり。

余談になりますが、昭和30年代辺りは、政治家は今よりずっと権力がある、コワイ存在という感じがあり、新進作家だった松本清張は、役所の名称が推し量れるような名、大臣を登場させることなどは避けたのではとも考えられます。某省の部長を守るために多くの人が動いたり、殺人事件が起きたりというのは、何か迫力に欠ける感じがしますが。

昭和20年代に既に昭電疑獄事件、造船疑獄、他大きな汚職事件が起き、後の総理大臣の逮捕を阻止するための指揮権発動など、騒然とした世の中でしたが。

ストーリーに戻ると、ドラマでは、鳥飼の直接の上司(小林稔侍)がちょっと小うるさい、しかし鳥飼のことを思っている役どころを巧みに演じますが、そろそろ退職をと言わば肩叩きをして、それが鳥飼の、東京へ行って、事件を調べるという行動に繋がる、引き続きビートたけしが主役を務めます。


テレビ・ドラマと言うのは、面白いと思い、引き込まれるように見て、堪能しても、さてそれについて書こうと思っても、肝心なところも含めて、思い出せないことが多々ある。
単に私の記憶力の問題かも知れませんが、今回見直してみて、それもこれについて書くつもりで簡単なメモをとりながら、見てみると、全く初めて見たということはなくても、新しい発見が多くありました。

原作とテレビ・ドラマの違いは、鳥飼刑事が全編通しての主役、つまり原作では姿を消すに等しいところで、東京へ行って、彼なりの捜査を続ける、三原と一緒に、或いは単独でということにより、ストーリーは別の展開を見せます。

原作とドラマは別ものと私が感じたのは、まずこの点ですが、もう一点あります。
本(新潮社文庫)の「解説」を文芸評論家の故平野謙氏が書いていて、そこでこの小説を傑作と認めながらも、欠点の一つと挙げていることは、ある意味有名なことですが、心中死体となって発見される佐山とお時が、東京駅の15番線ホームを‘楽しそうに何か話し’ながら歩いているところを13番線から安田が見つけて、二人の仲間の女中に目撃されるという、最も有名なシーン、アリバイについて、平野氏は僅か4分という、限られた短い時間にこの二人に15番線ホームをどうやって歩かせたのか、その説明がない、ということを指摘しています。(アリバイ、不在証明、と言うよりは、存在証明とでも言った方がいいかも知れませんが)

確かにその通りで、私は自分で勝手に、目の前の間もなく出発する「あさかぜ」に乗ろうという二人が、「楽しそうに話しながら」歩くものだろうか、汽車に目をやりながら、自分の乗る車両はどこかという感じで歩くのではないか、という蛇足を考えてみたのですが、テレビ・ドラマは、その点について、何点かの説明(ちょっと不自然に感じることもありますが)を試みています。

上記に直接関係あるとは言えませんが、原作では、お時の母親は、五人も子供がいて、お時には言わば無関心という態度と書いているのに対し、ドラマでは、前の結婚で娘がいる、その子を自分が預かっている、つまり心中などするはずはない、ということを言わせ、この母親はその後も捜査のキーとなることに関わって来ます。

また主役の鳥飼刑事を、妻が病死し、捜査の鬼などと言ったら、陳腐な表現ですが、こうと思ったら、何でもする、誰にでも何でも言う、ひとかたならない意志、或いは根性の持ち主として、遂には東京へ行く、病んでも倒れても、捜査を続ける、ビートたけしの個性、好演が新たな鳥飼像を作り出したということもドラマの功績と言えます。

当初、軽くドラマと比較するつもりで、最初に書いたように、ストーリーの殆ど全てについて触れるつもりでした。
しかし、ドラマは原作から独立したものとも言えると思った時、少なくとも後半は簡単に紹介することで、完全種明かしになることは避けることにしたい、そうするべきと思いました。

この小説は、言わばアリバイ崩しが本筋ですが、ドラマはその中に人間ドラマ、一人一人の生き様、悲しみと言ったものを盛り込んでいます。その辺りも別評価できます。
ということで、以下はドラマを軸として、少々足早に、しかしムダ話はありで、書きたいと思います。


鳥飼刑事は、帰京する三原を係長と駅まで送るが、列車の出発間際乗り込む。
係長はそれに気づいて、車掌に、鳥飼をよろしく、という電文を三原に渡すよう頼む。強引な東京出張ということである。

三原は困惑しながらも、汽車の中で早速東京駅で13番線ホームから15番線ホームを見渡せる可能性について、車掌に調べてもらったりして、結局東京駅で六時少し前に4分だけ見渡せることが分かる。

鳥飼と三原が、喫茶店で、聞いたばかりのことを実践する場面があります。
メニューをホームに見立てて、マッチ箱を安田と二人の女中として置き、お絞りを汽車にして、動かしてみるのです。

マッチ箱も昔見たことがあるようなものと思いましたが、ドラマは小道具も当時のものを出来る限り再現していると思われました。
安田が愛用しているタバコは白地に日の丸のような大きな赤い丸のデザイン。覚えているけど名前が思い出せない。後の方で、証拠品ともなるので、何度も銘柄を見ようとしても、失敗。調べてみても見つからない。
あらぬ所にメモを見つけました。「ラッキー・ストライク」。調べると、同じデザイン。やった!洋モクと呼ばれたアメリカのタバコです。今も売っているのかしら。

これはちょっと脇道に逸れたのですが、上記の、喫茶店のお絞り。
「おしぼり」そのものは、私が子供の時にもあって、お客などが見えると、特に手を使う果物を出したりする時、おしぼりを添えたものですが、昭和32年にごく庶民的な喫茶店でお絞りを出しただろうか。戦後、復興して来ると、お絞りがお店で出すところも出て来たというような曖昧な記述を見つけただけです。小道具として目立った使われ方をしていたので、ちょっと書いてみました。

鳥飼は三原と、安田辰郎(柳葉敏郎)に会いに行く。
安田は愛想よく二人を迎え、どんな質問にも余裕で答える。
それにしても、清張は人の容貌については素っ気ない書き方です。
目は丸いと決めているかのように、安田は「愛嬌のあるまるい目」三原も「まるっこい目」鳥飼も「目ばかり大きい」(b)。

安田は、東京駅ホームのことも詳しく説明する。
料亭「小雪」の馴染みの女中、とみ子と八重子の二人を銀座に夕食に誘い、「コックドール」でフランス料理をご馳走する。
(「コックドール」という店名に、洋食のチェーン店を思い出される方もあるかと思いますが、元は、銀座にあったフランス料理店です。羽振りのいい安田がわざわざ高級料亭の女中を忙しい中連れ出して、夕食を奢るのですから、それなりのお店だったわけです。
一回父が連れて行ってくれたことがあるのですが、いつか覚えていなくて、結構昔、私は東京、父はまだ神戸に住んでいた頃で、東京に用事があって出て来た時だと思います。二階がフランス料理の「コックドール」だったと記憶しています。チェーン店になって、更に違う形態になり、最近営業を止めたという記事を読みました)

(結核を病んでいる)妻が、療養を兼ねて、鎌倉に住んでいるので、週に一度訪ねる。その日だったので、とみ子と八重子に、東京駅の横須賀線ホーム、13番線まで見送って欲しいと頼んだ。そこで15番線を歩く佐山とお時を自分が見つけ、二人に言った。
(新幹線もまだない頃です。ご存知のように横須賀線も今はホームが別の所にあり、東京駅と言っても、今とは全く姿が違う頃ですが、それにしても、鎌倉までの見送りを頼むかどうか。東京駅まで、銀座からちょっとありますしね)

原大臣とは、親しい、例えば、危険分子の制圧などを引き受けている、というようなことをケロッと言う。
佐山とお時が心中した日前後は、北海道に行っていたと意外なアリバイを言う。

柳葉敏郎も贔屓の俳優ですが、安田役も達者なものだと思いました。言わば成金なのに、鎌倉の屋敷で、品のいい薄茶色の紗(おそらく)の着物にカンカン帽姿で、美しい妻と坂道を降りて来る姿など決まっていましたね。


鳥飼は一旦博多に戻ってから、湯沢にお時の母親を訪ねる。お時の娘と暮らしている。
母親(市原悦子)は鳥飼の推測に怒り、娘に男などいないと言って、鳥飼に出て行くように言う。鳥飼は、(疲労からか)土間で倒れる。
その姿を見て、市原が、下手な芝居をして、と秋田弁で憎々しげに言う辺り、トボケっぷり、樹木希林と双璧ですね。

何時間かして、鳥飼は目を覚ます。バスもないから泊まって行けと言われる。
毛糸ほどきなど手伝って、心がほぐれてきたのか、母親は、お時が、世話になっている人がいる、結婚するつもり、奥さんは病気と話したことがあると打ち明ける。

一方三原は鎌倉の安田の別荘に、妻、亮子(夏川結衣)を訪ね、安田の友人と偽って上がり込む。
亮子は「南林」という同人誌に随筆を書いており、「春の海」という一文では、「私にとっての春の海は、福岡県の香椎~」、夫との新婚の地であり、二人が好きな大伴旅人が詠んだ歌にも香椎が出て来るからだという主旨で、三原は確信を持つ。
(ここのところ、三原が上の一文に目を通して、愕然として、同人誌を借りたいと言うと、亮子はあっさり、どうぞと言うような場面だったと思いますが、内容を分かっていて、動じもしないのは、既に覚悟していたからなのか・・・)

夏川結衣は美しく、品があり、儚さも感じさせ、それでいて、ふと憎しみに近い表情も見せ、好演です。

鳥飼から、犯人は安田に間違いないと電話があり、決定的なひと言もつけ加える。
しかし、警視庁二課も、産建省から強いクレームが出て、課長(名高達郎)が一旦捜査打ち切りを告げる事態ともなる。(既に退職をしている)鳥飼には捜査権もないと言う。

安田は佐山とお時が心中した夜、北海道にいたという鉄壁のアリバイがある。
よき理解者の主任も上には逆らえないと言う。
鳥飼は三原の態度に怒って、激しい殴り合いになる。

最後は主任も三原の味方をし、課長も折れる。
安田の北海道行きのアリバイ崩しが始まる。
ここから結構延々たる、アリバイ崩しとなり、実は、一番肝心なところなのに、原作もドラマも、私は少々退屈しました。

この小説は、実は、冒頭から犯人を提示している、変型コロンボ・タイプのミステリーと言えるのではないかと思います。
只、情報がすぐには入らない、人によって情報を得る時期が違う、などの事情で、ストーリーが複雑になり、それが面白さともなっているように思えます。
そして、人間関係や登場人物の人間そのものが描かれている部分、それを演じる俳優の演技力が人物像に広がりや意外性も与えている、そんな風に感じました。

登場人物がアリバイ崩しだけに動き出すと、面白みが欠けるのはその所為ではと思います。
鳥飼が、安田と原大臣が戦地で知り合った間柄と聞いて、自身の戦地経験、死んだ戦友に対する思いを語り、黙って聞いている安田が何を思っているか、それぞれ推察することは異なると思います。

非情な殺害方法、しかし犯人は誰のためにそんなことをやったのか。組織を守る、そういうことも多少はあっても、戦友との約束を守る、ただそれだけではなかったのか。自身の死は愛する者のためならどうということはない・・・私はそんな風に思いました。

事情や状況が変わったのに、最初から統一性を見直すことなく、そのまま書き流して行ったために、長いばかりで、繰り返しもあり、焦点のない文になってしまいました。
ただ、昭和32年頃という時代に、あらためてその頃を振り返ることもいいのではという思いを持ちました。それからドラマの冒頭に、D51ならぬD571という機関車が力強く走る映像に、元気をもらえました。

大伴旅人の歌に心惹かれました。平和な風景です。

いざ児ども 香椎の潟に白袴(しろたへ)の 袖さへぬれて 朝菜摘みてむ

老いた三原に鳥飼の娘が、今は香椎も埋め立てられ、工場群が立っていると告げていましたが。  《清水町ハナ》

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