映画雑記帳118「映画:気儘に、思いつくままに7」思い出エッセイ〔310〕

 昔見た映画を語るのに、‘気儘に、思いつくままに’という便利なタイトルを思いついたのに、ある程度の系統性を持たせなければという気持ちがどこかにあって、書き始めたところでストップしたまま、なかなか前に進みません。とにかく気楽な気分で、思い出すままに続きを書いてみたいと思います。

中学二年の二学期の終わり近く、東京から関西に越して、本格的に?映画を見始めました。
大の映画好きの父が外地から復員して来て、休日に映画に連れ出してくれましたし、当時学校の規則は厳しかったのですが、映画だけは子供達だけで行くことが許されていたと記憶しています。
私の中学時代は戦後の混乱期で、映画位しか娯楽がなかったし、非常に厳しい母も実は映画好きだったので、大目にみてくれたように思います。

前々回、イングリッド・バーグマンとビング・クロスビー主演の【聖メリーの鐘】について少し書きました。
バーグマンは敗戦直後の日本で(1940年代後半~1950年代前半)で最も人気のあった女優の一人だったと思います。

シスター姿の登場だったわけです。
何しろカトリックの尼僧役(と書いたらTVで台湾の尼僧と言ったのでビックリしました。どんなことにも偶然の因縁を見出す方なので)ですから、しかも妥協を嫌う、堅いが上にも堅い役柄だったと思うので、私にはいささかインパクトに欠ける登場であったわけです。

【カサブランカ】【ガス灯】などの方が早く封切られていたようですが、私は後になって、みました。当時の映画館は封切館以外、新しい映画は遅れて、二本立て、三本立てが普通でした。
ただちょっと不思議に思うことは、上記二作は1946年、47年に日本で上映されているようですが、当時はまだ焼け野原時代、どこで上映されていたのかしら・・・
(この一文を書き終える頃、焼け残ったのか、新築か、敗戦の翌年1946年に、日比谷映画劇場とスバル座があったことを知りました(net)。)

【誰が為に鐘は鳴る】は1943年制作ですが、日本上映は十年も経ってからのようです。
アメリカで戦中に制作された映画が、戦後、順不同に?日本に入って来たので、映画が日本で上映された日付はそれぞれの制作日の順番とは大きく異なることが多かったのです。

バーグマンを最初に見たのが尼僧役というのが、結構強い印象として残った所為か、実は私は、その後もバーグマンは普通に好きな女優でした。
まあ、【カサブランカ】など、良さが分かる年ではないんですよね。
ハンフリー・ボガートの渋さなんて分からないし、煙草をくゆらす姿がたまらなくカッコいい(という言葉は当時はなかったと思います)って言われたって・・・

ローレン・バコールという、25歳も年下のスタイル抜群の女優と結婚しています。
水着姿だけの人という感じを持っていましたが、年をとるにつれ、素敵な味のある女優になりました。ボガートの薫陶のお蔭かも知れません。

クロスビーは、非常に有名な歌手で、映画でもボブ・ホープと組んで、コメディのシリーズに出て、人気を博していました。
ボブ・ホープは、当時のアメリカの喜劇俳優のトップで、彼とクロスビーでアメリカの大蔵省(名称が違うかも知れませんが)を買い占められるなどという記事を読んだことを覚えています。

私はコメディアンではダニー・ケイが断然好きでした。
どの映画がどういう内容という記憶はないのですが、とにかく笑い続けで、今では古典的というか、古いというか、忍び込んだ部屋に人が入って来て、デスクの下に隠れると、敵は彼の足を掻き始め、慌てて相手の足を掻く、膝をポンと叩かれれば、すかさず相手の膝を叩く・・・というシーン、二人羽織とは似て非なるものかも知れませんが、雰囲気は似ていますね。

ダニー・ケイがやると、どんな動作でもおかしくて、涙がこぼれるほど笑ってしまいました。
今でも思い出すことがあるのですが、何故か犬や猫が、体の一定の場所を掻いてやったりすると、全く別の所を自分で掻き出すことを思い出してしまいます。

シスター役と言えば、デボラ・カーを初めて見たのも、【黒水仙】のシスター役だったと思います。この映画は、「聖メリーの鐘」と違って、ちょっと毒々しい雰囲気のある映画で、彼女の仲間のシスターが還俗(と言うとおとなしい言葉ですが)して、恋に狂って、精神を病み、当時の映画としては、非常にむごい死に方をするのが忘れられない映画でした。

デボラ・カーは完璧な美人ですが、それだけにオーラとか迫力に欠けるような感じがありましたね。
政界を引退した河野洋平氏のお父さんの河野一郎氏が、デボラ・カーと会って、オードリー・ヘップバーンより十倍も美しいと言ったことが話題になったことがあります。

グレゴリー・ペックも戦後早い時期に登場しています。
特に当時の子供達にとって忘れられない映画は、【仔鹿物語】です。
子役のクロード・ジャーマン・ジュニアは、金髪の美しい少年で、今だったら、さぞ騒がれたでしょう。
優しい父親役がグレゴリー・ペック、母親がジェーン・ワイマン。全然美人ではないけど、有名な女優でした。
人生や生きて行くことの厳しさを学ぶためとは言え、何故殺さなければいけないんだろう、子供の観客はそう思って、お母さんを恨んだと思います。

グレゴリー・ペックは大スターですけど、若い人は何と言っても【ローマの休日】でお馴染みになったかと思いますが(テレビでも何度も放送していますし)、顎が角張って、ガッチリした感じで、今あまりモテるタイプではないように思われるでしょうけど、若い頃は、寧ろ面長で、非常にハンサム。ファーリー・グレンジャーという美男俳優に似た感じで、品がありました。
医学部卒で、演劇に転向したそうです。

父と一緒に行った【イヴの総て】は、父が往年の(当時から見て)スター、ベティ・デイビスを懐かしがったのですが、私は随分出目金の人だと思いました。
マリリン・モンローが端役で出ていたのですが、その時は全く話題にならず、何年かして【ナイアガラ】と言う映画が初めての主演映画だったと思います。

下品な女優であることは確かだけど、見どころもある、などと、週刊誌だったかの映画評に書いてあったことを覚えています。アメリカでの見方をそのまま前提としているような書き方でした。
結構長い間、マリリン・モンローは偏見つきで見られていたように思います。【七年目の浮気】あたりからポピュラーな女優になったように思えます。

古典的な雰囲気の【わが谷は緑なりき】も、主演のモーリン・オハラと共に、長く忘れられない映画です。
モーリン・オハラの髪は灼熱の赤毛と言われましたが、モンローのような染めた金髪ではなかったと信じています。
子役のロディ・マクドウォールは、【猿の惑星】では顔が分かりませんでしたけど、【ポセイドーン・アドベンチャー】でウェイター役をやっていました。結構早く転落死してしまいましたが。

ついでに書くと、最後に近い方で、昔水泳の選手だったという設定で、人助けのために水中を無理をして泳ぎ、発作を起こして命を落とす、スゴイ肥った女性は、昔主役クラスだったシェリー・ウィンタースです。
【陽の当たる場所】で、モンゴメリー・クリフトの婚約者を演じた時は、まだ痩せていましたが、やはり水中で死ぬ役でした。

ロシア映画の【シベリア物語】は、【石の花】に続く、二番目のカラー作品でしたが、シベリアの風景を背景に、「バイカル湖のほとり」など、朗々たるバリトンが素晴らしく印象に残る映画で、とこんな風に書いて行くと、いつになっても終わらないのですが、今日はそろそろこの位にして・・・

私が14歳か15歳、中学三年の頃みた映画で今も忘れられない映画に、【田園交響楽】と【ハムレット】があります。
前者はアンドレ・ジッドの原作を、映画化したものですが、私が唯一追っかけ的に映画を見た、ミシェル・モルガンに初めて出会った映画で、盲目の少女が目が見えるようになって、最初に目にしたものを見つめる、その美しい目、凝然と見入ってしまうモルガンの美しさが焼き付けられました。

【ハムレット】はローレンス・オリビエ、ジーン・シモンズのハムレット、オフィーリアでしたが、私にとってハムレットはいつまでもこの映画です。

高校に入ると、ちょっと違った事情が加わりました。
学校で、月に一回か、そんなになかったかも知れませんが、学校ぐるみの映画鑑賞と言う、私には何よりの楽しみが増え、新作と共に旧い名作を観る機会も得られました。例えばフランソワーズ・ロゼーの【外人部隊】、【格子なき牢獄】など。

私は教わっていないのですが、確か物理担当の先生で、非常な映画好きの方がいて、その先生のセッティングで、学校も認めてくれたわけですから、寛容な、素敵な高校だったということです。
父も連れて行ってくれたし、友人とも行ったし、私の映画鑑賞史?の中でも最もバラエティに富んだ、懐かしい時期でもありました。ただその頃のことを書こうとすると、新作としてみたのか、懐かしの映画としてみたのか、はっきりしない場合があることが唯一の困ったことです。  《清水町ハナ》

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