映画雑記帳112「【瞳の奥の秘密】感想」思い出エッセイ〔293〕

 【瞳の奥の秘密】(リカルド・ダリン、ソレダ・ビジャミル、監督:ファン・ホセ・カンパネラ)。アルゼンチン映画。原題のスペイン語の英訳は“The Secret in Their Eyes”で、邦題はほぼその通りの意味と言えるようです。アカデミー賞の「最優秀外国語映画賞」をはじめ、多くの賞を受賞しています。私にとって今年ベストの映画の一つとなると思います。

台風接近で私が住んでいる辺りもゲリラ豪雨に襲われ、体調的にも外出に難ありで、どうしようかなとちょっと迷いましたが、何よりも数十日ぶりのこの涼しさ、出かけることにしました。電車はかなり遅れましたが、映画を観て、この上なく充たされた思いを得るという全く久しぶりの経験を得ました。


(事件の犯人は割りと早い段階で分かり、その後にいくつかの展開がある筋立てですが、犯人逮捕に至るまでとその後もミステリー仕立てなので、それも知りたくないと思う方は以下をお読みにならないでください。ただその下りは少しぼかす努力をしましたが)
舞台はアルゼンチン・ブエノスアイレス。25年前の1974年に起きた殺人事件をめぐって繰り広げられる物語という設定です。
主人公のベン・ハミン・エスポシスト(リカルド・ダリン)は、裁判所を定年退職した。
(役職は事務官というのとも違い、現場で捜査もする。アルゼンチンの裁判所組織について知識がありませんが)

エスポシストは25年前の事件を小説に仕立ててみようと書き出すが、一向に進まない。
元の勤務先の裁判所を訪ね、嘗ての女性上司、今は検事の、イレーネ・メネンデス・ヘイスティングス(ソレダ・ビジャミル)と会う。
二人の子供の母で、老眼鏡もかけているが、相変わらず美しい。

イレーネは、まだ完成していない手書きの小説の下書きに目を通すが、こんな字じゃ読めないと、古いタイプライターを貸してくれる。事件の当時も使っていたタイプライターである。

物語は、エスポシストの小説の形で、25年前に遡り、その後の経過を辿り、彼がブエノスアイレスを去ることになった結末までを、当時、その後、現在と時を移しながら描く。

朧な過去の風景が、淡い色彩で、水彩画と言うより水墨画に色を加えたような色調で人も景色も形までが流れて行くような、魅力的な最初の画面にまず吸い寄せられます。

新任の若きエリートとしてイレーネが登場する場面、上司が、(ホラホラ、ハーバード出の大秀才だよ)という感じで紹介すると、小声で(実はコーネル大よ)と囁く、そんなちょっとしたシーンにも読みとれる雰囲気があります。

書類が山と積まれ、担当事件の押し付け合いなどしながら、同僚のパブロ(ギレルモ・フランチェラ)達と早口のスペイン語で交わす会話が、常に軽口、皮肉、ダジャレなどに満ちていて騒々しく、早くも文化の違いを実感させられます。

若い女性の暴行殺人事件が起きる。
銀行員モラレス(パブロ・ラゴ)の新婚の妻で、遺体は凄惨極まりない。
これも‘押し付けられた’事件で、エスポシストは気がない風で出かけるが、遺体の、息をのむ姿と夫の悲しみに打たれる。

すぐに犯人が挙げられる。その家で作業をしていた、二人の職人と告げられ、会いに行くが、拷問による強制自白と見ただけで分かり、逮捕した同僚に抗議に行くと、そんなこと一々という感じで、1975年当時のアルゼンチンの世相が垣間見られるシーンです。

エスポシストは捜査を始める。
被害者の夫、モラレスを訪ね、被害者の結婚前のアルバムを見せてもらう。
たくさんの写真の中から、友人達と写っている一枚の、被害者に執拗な視線を送っている一人の男に関心を持つ。
モラレスにその男の現住所の確認の電話を実家にしてもらうが、その男ゴメス(ハビエル・ゴディーノ)はその時点で行方をくらましてしまう。

裁判所には内緒で、同僚で、アル中のパブロと、ゴメスの実家に行き、留守中に忍び込んで、手紙の束を見つけるが、母親に見つかってしまう。
その上、手紙からも何の手がかりも得られなかった。
エスポシスト達の不法行為は何とか表沙汰にならなかったが、同時に事件の捜査も途切れてしまう。

一年後、エスポシストは、駅に座り込んでいるモラレスと会う。
いつか犯人が駅に現れるのではないかと仕事が終わった後、場所を変えて見張っているのだと言う。
エスポシストはイレーネに頼み込んで、事件捜査再開の許可を得る。

事件関係の書類から手紙の束がなくなっており、パブロの仕業だったが、彼は事件とは関係なくても、そこに書かれている多くの人名からある重要な鍵を見つけ出していた。
酒に溺れ、度々事件を起こし、妻にも愛想を尽かされているパブロだったが、その指摘は当たっていた。

サッカー場での大捕物の末、ゴメスは逮捕されるが、頑として自白しない。
イレーネは、突然ゴメスにあらゆる侮辱の言葉を投げつけ、煽り、怒り狂ったゴメスはその術中に陥る。

ゴメスは終身刑を宣告されるが、モラレスは、終身刑でも途中で釈放される、死刑になっても一瞬で死ぬ、自分の気持ちは癒されないとゴメスの逮捕にも関心を示さない。

ある日、エスポシスト達は、テレビの画面に、ゴメスが大統領のSPとして映し出されているのを見て、愕然とする。
彼は特殊な能力を買われて、釈放されたのだと分かる。

イレーネと二人でのったエレベーターに乗って来たゴメスは、制服を身につけ、ピストルを取り出して見せて、二人を威嚇する。それは以前の貧相なゴメスとは別人だった。

泥酔したパブロを自分の家に寝かせて、エスポシストは彼の妻の所に行く。
その間にパブロは何者かに惨殺される。エスポシストの身代わりとなり、最後の友情の証としたのだ。

身に迫る危険を逃れるために、エスポシストはイレーネの配慮で転勤し、ブエノスアイレスを去る。
物語はまだ続きます・・・


古臭い表現を多用して、長々と映画の荒筋を書いてしまいました。
この映画にまず旧い懐かしい映画の雰囲気を感じました。
例えば大サッカー場の、熱狂する満員の観衆のシーンなどを見れば、間違いなく現代のアルゼンチンであることが分かるのですが。

しかし、この映画を観ている最中にも胸が締め付けられるほどの懐かしさを感じたのは何故でしょう。
このように丁寧に薄い紙を一枚ずつ重ねて行って厚さを持たせていくような、重層的という言葉を使いたいような映画に長い間出会っていないように思います。
エピソードも豊富で、その一つ一つがキメ細かく、繋げ方も巧みです。
ある意味通俗性も結構あると思うのですが、私は映画にはエンターテインメント性が必要と考える方で(若い時のように人生とはこういうものだとか、かくあるべきと他から言われるような年でもないので)、その点でも満点でした。

小道具一つ、セリフひと言も練り上げられていて、(と言って、例の如く殆ど忘れてしまいましたが)、例えば、エスポシストが小説の形を借りて、過去の事件について語り、イレーネへの思いをそれとなく吐露する、そのきっかけにイレーネが当時のオリベッティのタイプライターを貸す、古いタイプは昔と同じように調子が悪く、aが打てない(日本語のワープロでaが打てなかったら使い物になりませんが)。そうやってそのタイプを使っていた頃に主人公も観客も引き込む。

私は勝手にオリベッティのタイプライターの重いキーをガタン、ガタンと打っていた学生時代を思い出すというわけです。

犯人を逮捕しても頑として白状しない。イレーネが女性にあるまじき?伏字表現を叩きつけて、犯人を煽り、男はついにのせられてしまうシーン、一種の見せ場ですが、私はちょっと古臭い、常套手段と一瞬感じながら、そのシーンのスゴイとしか言い様のない緊迫感、息がこれ以上ない程合っている、特にゴメス役の俳優の演技の確かさに感心しました。
大統領のSPに取り立てられると、同じ人間とは思えない程、態度だけではなく、姿形も変わって見える。

更に監督は、上司の判事に、博士号を持つキャリアのイレーネと高卒のエスポシストを比べて、言葉は全く違っても同じ意味合いの罵声を浴びせさせることによって、身分や階級による格差が歴然としてある社会であると主張しているようでもあります。
エスポシストはイレーネへの思いを表に出すことは決してしないのに、わざわざ、所詮高嶺の花だと分かっているだろうと言わせているのです。

25年という間のアルゼンチンの時代背景、社会的背景の変化、或いは相変わらず変わらない部分もさり気なく取り入れています。

私などアルゼンチンと言うと、ごく表面的な知識しか持っていないのですが、学生時代心酔したチェ・ゲバラ(もっとも彼がアルゼンチン国籍と知るのは少し後のことですが)、女優、大統領夫人で、夫の死後世界最初の女性大統領となったイサベル・ペロン、それから何と言ってもタンゴ。ダンスは全くしないのに、何故かタンゴは好きで、公演や映画を見に行ったこともあります。サッカー、まあ、こんなことを並べても仕方がないので、映画に戻ると、殺人事件が起きた1974年頃は、人権抑圧もピークの時代とされ、出入りしていた職人を拷問で自白させ、犯人にでっち上げるという、それもごく普通の関係者が忙しさを免れるために当たり前のことのようにやって、そんなことでツベコベ言うなよという態度をとることでその時代を象徴としているように思われます。
改善されたとしても、年月が経っているのに、被害者の夫は、「この国には司法がない」と叫びます。

一方で国民も考えないとまで言いませんけど、サッカーへの熱狂ぶりも他に関心事がないのかと思わせられるほどです。
人種差別もあると以前アルゼンチン日系二世の知識人層に属する人から聞いたことがあります。日系はとにかく目立たないようにしている。職業も慎重に選ぶ。医師や弁護士はいいが、絶対政治家にはならない。
ペルーのフジモリ大統領就任以前のことですが。

また映画から外れましたが、私がかくもこの映画に魅せられた理由は何か、今は自分でもはっきり言葉にすることができないのですが、とにかくよかった、面白かった、昔のフランス映画のようだった、それが単純な感想で、それから、主人公やイレーネの大人ぶり、際立って成熟した一個人であることが魅力的だった・・・
特にイレーネが素敵でしたね。

日本映画ではこうした役どころを作るのは難しいように思えます。
企業人間、専門家、仕事をきちんとこなすということでは誰にも遅れをとらないけど、一個人として成熟している人となるとどうなのでしょう。と言うか、一人成熟しても、大人になっても、浮き上がってしまうような社会が展開しているように思えます。

もっと書きたい気持ちがありますが、学生時代映画をよくみたけど、その後仕事や家事が忙しくて、あまり映画館に行っていない、また映画でも見始めてみようかなと思っていらっしゃる方、お薦めです。
旧き佳き時代の、すぐれた映画を彷彿させる出来になっています。  《清水町ハナ》

(追記:と、上記、書きましたが、目をそむけたくなるシーンがあることを書き添えます)

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