時事雑記帳38「Nスペ「真珠湾の謎-悲劇の特殊潜航艇-」思い出エッセイ〔231〕

 「NHKスペシャル:真珠湾の謎-悲劇の特殊潜航艇-」(12月12日13時30分~14時20分、NHK衛星2)。「あなたのアンコール・サタデー」と題した再放送番組です。

ハワイ大学の調査団が、真珠湾の湾外で、海底400メートルの所に沈む、旧日本海軍の特殊潜航艇を見つけた。
1945年12月8日、日本海軍が真珠湾を攻撃した際の潜航艇と見られ、この番組は、日米合同で調査、撮影したものに拠る。

調査には、旧日本海軍軍人で、特殊潜航艇要員、植田一雄氏(82)が協力した。
真珠湾攻撃の際には、飛行機だけでなく特殊潜航艇と呼ばれる二人乗りの小型潜水艦が5隻同行したが、海底に沈む艇は、その中の一隻と思われた。

戦艦‘アリゾナ’を轟沈させたのは、この特殊潜航艇であると当時大本営から発表され、戦死した9人は、九軍神と称えられた。

日米共同チームの調査により、この特殊潜航艇の全貌が明らかになった。
艇は、真珠湾の沖合い6キロの所に沈んでいる。

日本の連合艦隊の飛行機は太平洋を北から真珠湾に向かい、特殊潜航艇は南から湾に向かった。

潜航艇の乗組員は、20代の独身。

湾には、潜水艦の侵入を防ぐためのネットが張られており、艇の前部に、ネット・カッターを装備していた。
空爆後に湾に侵入、残った敵艦を攻撃することになっていた。

攻撃の翌朝、座礁した一隻の潜水艇に乗り組んでいた、酒巻和男少尉はアメリカ軍の捕虜となる。日本の捕虜第一号である。
他の三隻は攻撃を受けて沈んだが、横山正治中尉と上田定兵曹が乗り組む、残る一隻の行方が分からなかった。

調査チームに同行した旧日本海軍軍人、植田は、水深380メートルの海底に沈む潜航艇を見て、ネット・カッターが確認できれば間違いないと言い、そして、8の字のネット・カッターは発見される。

出羽吉次(90)は、通信兵で、横山正治中尉と同じ軍艦で行動を共にし、中尉と電話で最後に話した。
横山中尉は、(親)潜水艦に戻ると、送り狼(アメリカ軍)を連れて来ることになるから、戻ることはないと語っていた。

日本の飛行隊の爆撃が始まり、出羽は、出撃から22時間後、「キラ」という信号を受ける。
「キラ」ではなく、「トラ」と打ったつもり、つまり「トラ・トラ・トラ」であると受け取ったと、出羽は当時の通信帳に記した。

大本営は「奇襲成功せり」と発表した。
その際、戦艦アリゾナは、横山艇が轟沈したと発表された。

米軍側の犠牲者、2400人の半数は、アリゾナの乗組員である。
アリゾナは、全長185メートル、主砲12門の主力艦である。

アリゾナの潜水調査が合同チームに特別許可される。
船体の大部分は泥に埋まっているが、魚雷に拠る攻撃の跡は見つからなかった。つまり横山艇の攻撃による確率は低い。

それを裏付ける資料が、アメリカ国立公文書館で見つかる。
巡洋艦、‘セントルイス’は、2本の魚雷攻撃を小さな潜水艇から受け、湾の出口の方へ逃げ出した。
当時の乗組員ハギンズ氏(87)は、魚雷が2本向かって来たが、サンゴ礁に命中したのを目撃した。

この潜水艇こそ、横山艇ではないかと植田は考える。

(真珠湾攻撃の総指揮官)、淵田美津夫中佐の手記が4年前に公開され、アリゾナ轟沈についての驚くべき記録が残されていた。
当時、海軍軍令部の有泉中佐が、淵田に、アリゾナの轟沈を特別潜航艇にくれないかと言い、淵田は苦笑して、アリゾナは無理、後世モノ笑いになると言うと、有泉は怒って出て行った。

しかし、潜航艇が轟沈と発表されたことについて、淵田は、海軍軍令部がやったと考えている。

米側の捕虜となった、酒巻和男の姿は、写真から消され、酒巻以外が九軍神となった。

当時、朝日新聞の門田記者(95)は、「任務を遂行せば、自爆は覚悟」と書いたが、“九軍神ということで阿吽の呼吸で発表した”と語っている。

横山正治中尉をモデルにした映画も、開戦二年の記念として制作されたし、植田にとっても、横山はアイドル的存在だった。

植田は、鹿児島の横山の実家を訪ねる。姪が残っている。
横山は、貧しい農家の13人兄弟の6番目として生まれ、海兵に進む。

(新たに分かった)経緯を姪に伝える。鹿児島では、横山がアリゾナを轟沈させたと信じられている。

植田は、海軍、そして特殊潜航艇要員を目指した。
広島の基地で、3000人が訓練を受ける。
水中に潜る訓練で多くの若者が命を落とした。

短期間の訓練であり(横山は一ヶ月)、下士官もいるのに無理と、植田は考える。
海軍は更に特殊潜航艇の開発に力を入れる。

日米調査チームは、もう一つの謎、海底に沈む潜航艇の胴体が切断されていることに(注目する)。
滑らかな切り口は、人為的であることを示していると思われ、日本海軍にはないチェーンや電気コード、ワイヤーが巻き付けられている。

弾丸によるものではない。24メートルの胴体は、三つに分断され、一部がない。

軍事研究家のスティーベンソン氏は、アメリカ海軍が、引き揚げてから、また沈めたと推測。しかし記録は残っていない。
戦争中に引き揚げられ、記録を米海軍が隠蔽した可能性がある。

2002年に発見された潜航艇には、真珠湾攻撃より前に受けたと見られる、アメリカ軍の砲撃の跡がある。

駆逐艦‘ウォード’は、攻撃の直前に真珠湾の入り口で警戒に当たっていた。
真珠湾攻撃の一時間以上前に潜航艇を発見、攻撃。2発目が当たり、沈んで行った。

当時のウォード乗組員(お名前を聞き逃しました)の証言によると、警戒水域で潜航艇を発見。
(米太平洋艦隊)司令部に、何度も、訓練ではないと通信を送り続けるも、反応せず。

その後ルーズベルト大統領は、調査委員会を設けるが、当時鯨などの誤射があり、それだろうと(片付けられてしまう)。

(横山艇の)引き揚げは、米海軍の責任を問われる可能性がある。

既出、スティーベンソン氏は、(横山艇が)乱暴に扱われ、分断され、棄てられたとみる。
それより前に発見された潜航艇があったから、情報価値はないと判断されたと(考えられる)。

座礁した酒巻艇は、調べ尽くされた。
そして、再び組み立てられ、アメリカ全土を廻り、「東條の葉巻」というニックネームで、国債売り上げに(大いに貢献した)。

ルーズベルトは、潜航艇をタネに、戦意高揚に利用した。
日米で利用された、日本が横山艇を持ち上げたため、米側はわざとゴミのように扱ったとスティーベンソン氏はみる。

植田は5人乗り特殊潜航艇、「光龍」で訓練を受けた。
桜島を望む丘に横山の、周囲よりひと際大きい墓があるが、遺骨はない。
横山の母と姉三人は終戦の二ヶ月前、空襲で亡くなった。

植田は、調査船の窓から、遺族に預かった写真を、海底に沈む横山艇に見せ、大きな声で呼びかけた。

(以上、メモの取り間違いがありましたら、お許しください。  敬称略)


衝撃的な内容の番組でした。
制作意図、主張の一つは、特攻攻撃の原点が、真珠湾に沈んだ特殊潜航艇にあるということかと思われますが、戦時中、子供であり、疎開派でもある私には、そこまでの結論と結びつける気にはなれませんでした。

親潜水艦に戻ることもできたと思いますが、横山中尉(後少佐)が語ったように、送り狼(米軍)を引き連れて来てしまう可能性が大きいため、戻らないと決心していた点では、特攻行為に繋がる考え方があったと言えるかも知れませんが、戦中の、子供も含めた、一種の覚悟は、現代の人には、計り知れないことでしょう。

「海行かば」が事あるごとに流され、歌った日々です。

「海行かば、水漬く屍(みづくかばね)
山行かば、草生す屍
大君の経にこそ死なめ
還り身はせじ」

子供の頃には、意味もよく分からず、クサム スカバネと歌っていたものです。そう切った方がいいメロディでしたから。

ひたすら死へ、それも、例えば特攻攻撃による死は、名誉ある戦死と考えられていましたが、そうでなくてもいい、海の藻屑と消えようとも、山野に屍を晒し、朽ち果てようとも、生きて還ることは考えないという激しい歌詞です。

学徒動員の式典で、代表の、「生等は元より生還を期さず~」(はっきり記憶していないので、間違っているかも知れませんが)という壮行の辞に対する批判を聞くこともありますが、当時この言葉に違和感を持つ人はいなかったでしょう。

戦後の、性急過ぎる反省、言い訳、言い逃れ、更には戦中の行為や、確かにある精神状態に浸り込んでいたことを、じっくり検証しないままに、他者を批判、精々被害者意識を声高に言い立てるだけで、戦争を経験した者もそうでない者も社会の急な変貌に呑み込まれてしまった、という点もあるのではないかと私は感じています。

横山中尉の姪御さんは、今でも月に二回、お墓の掃除をしているそうですが、植田氏から真相を聞かされ、「これからは、もう・・・」と呟かれるのを聞いて、涙がこぼれました。
今迄護ってきたことが一瞬にして崩されてしまったわけです。

一方、捕虜一号となった酒巻和男氏は、一度は自決を試みるものの、模範的な捕虜として過ごし、帰国してからは、トヨタに勤務し、平静な一生を送られたようです(Wikipedia)。

書きたいことはたくさんありますが、今回は番組の紹介に留め、一点、私は初めて知ったことをもう一度繰り返して書いておきたいと思います。

映画、「トラ・トラ・トラ」は、比較的事実に忠実だと思われますが、真珠湾攻撃に向かう日本側の攻撃機に気づく場面が、飛行練習をしているセスナ機の上を通り過ぎるという、これは作り物かと思えるシーンと、もう一つあったか、はっきり覚えていないのですが(つまり迎撃には全く間に合わない)、この番組では、真珠湾の入り口で警戒に当たっていた駆逐艦ウォードの乗組員の証言として、攻撃の一時間以上前に特殊潜航艇を発見し、攻撃、沈め、それを司令部に何度も報告するも、無視されたことが紹介されています。

更に、ルーズベルト大統領はこの件について、調査委員会を設けたものの、鯨の誤射で片付けてしまったらしい。一時間以上あれば、迎撃態勢に入るのに充分な時間ではないか、素人の私は考えるのですが。
ルーズベルト陰謀説にすぐ結びつけようとは思いませんが。
日本側は当然、迎撃を予想していたのではないでしょうか。

一方で、ハワイを訪れた時、真珠湾の狭さに驚き、こんな所にあれほどの艦船を集結させていたのかと思いました。
セスナ機で、上空から、沈んでいるアリゾナがくっきりと見え、思わず手を合わせました。その上の十字架型の記念館も忘れられません。

テレビを見て、とりあえずは紹介を書いた、感想はもう少しゆっくり考えて書きたいと思っています。  《清水町ハナ》


★上記、多少の手直しをしました-09/12/14-

【追記】上記ブログ公開後に、『真珠湾攻撃総隊長淵田美津雄自叙伝』講談社刊、を読み、真珠湾攻撃の詳細を知り、私の記憶違いや、新たに知った多くの事実により、自身の感想も異なって来て、書き直し、少なくとも訂正をしたいと思いましたが、当分手を加えないことにいたしました。一点、航空隊にも55人の戦死者がいること、日本側の攻撃開始5分後には反撃が始まり、米側は‘用意周到な臨戦態勢‘にあったと淵田隊長は感じたと書かれていることを特記しておきたいと思います。
ブログ〔234〕に、同書を紹介しましたので、お目をお通しいただければ幸いです。-09/12/21-

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