映画雑記帳60「「重力ピエロ」感想」思い出エッセイ〔188〕

 「重力ピエロ」。上映中の映画の中で、異彩を放つタイトルです。しかし、これだけでは意味が分からないし、あまり魅力的な響きでもありません。若者向けと決め込んでいたのですが、紹介を見て、観る気になりました。当たりでした。

「重力ピエロ」(加瀬亮、岡田将生、小日向文世、鈴木京香、渡部篤郎、監督:森淳一、原作:伊坂幸太郎)。
「春が二階から落ちてきた」、こんな不思議な、印象的なナレーションで始まります。そして、文字通り、若い子がバットを持って、二階から飛び降りる。

見ているのは、奥野泉水(いずみ、加瀬亮)。春(はる、岡田将生)は弟ですが、かなり進んでも、これは僕の弟です、と言うわけでなし(言ったかも知れませんが)、どういう関係なのか分かりません。

泉水は眼鏡をかけて、いかにも神経質そう、弱々しい感じさえするし、それに対して、春は長身の美しい男の子。通りがかりの女の子達にも写真を撮らせてくれと頼まれる。
しかし素っ気なく断る。

二階から飛び降りたのも、レイプされそうになっていた女の子を不良達から助けるためだが、お礼を言われても、お前のためにやったんじゃない、みたいなことを言って、バットで女の子がゲホゲホいうほどの力でみぞおちを突く。

二人が仙台の実家へ帰っても、最初は賄い下宿のおじさんかと思いましたが、二人にオデンをせっせと煮ていて、味付けに失敗し、春のアドバイスを入れ、牛乳を入れて、益々変な料理を作ってしまう、父、奥野正志(小日向文世)。

兄弟は全然似ていないし、父も、あくまで優しいことが却って父と思えない、つまり普通の家族という感じがしない。

春は落書き消しのアルバイトをしている。
またその頃仙台市内では連続放火事件が起きていた。しかも春が消している落書きの近くで。
落書きには、例えば、‘Ants’‘go’‘to’‘America’のように、英単語が書かれている。
泉水は、春に同行して、次に放火が起きると予想される場所を見張る。

父、正志は、癌であることが分かる。
事故で亡くなった母、梨江子(鈴木京香)は、大雪の中車がエンコして(今もこの言葉使うでしょうか)、動きがとれなくなっていたところに、正志の車が通りかかった縁で、結婚する。

女優だったか、モデルだったか、いずれにしても、小日向文世と鈴木京香が夫婦になるという設定が、失礼ながらあり得ないことに思えますが、泉水も授かって、円満に幸せに暮らして来た。

しかし、ある日、連続レイプ魔に襲われ、妊娠する。
正志はその子を生もうと言い、生まれて来た春と四人家族は、睦まじく暮らして来た。
しかし、春の出生の秘密を、人がいる面前で口にする者もいる。

相変わらず、放火は続き、英語のメッセージも添えられている。
大学院で遺伝子研究をしている泉水は、父のクロスワード・パズルを見ていて、無意味に見える英単語の最初のアルファベットを繋ぐと、遺伝子の文字列となることを発見する。

一方、当時のレイプ魔、葛城(渡部篤郎)が一層のワルとなって、戻って来る。
泉水と春はそれぞれ決意を固める。泉水が、密かに葛城と春の遺伝子を調べ、マッチング、99.7%という数字に絶望する場面、現在進行中の冤罪のこともつい思い浮かべます。

ストーリーを書き過ぎたかも知れませんが、実は、この映画は、ストーリーよりも、映画が醸し出している、えもいわれぬ雰囲気、軽いようで、シリアス、宙に浮いているようなフワーッとした感覚と緻密性が同居している、押し付け感のない、しかし確実に感じられる盤石の家族の絆、そうしたものにこそ特徴、見どころというか見甲斐?があります。
それから、柔らかさがありましたね。

全然正反対の性格と言える泉水と春に共感し、控え目でいて、強い父に自分のことのように頼もしさも感じます。

まず全員が適役です。
加瀬亮は、映画、「硫黄島からの手紙」で初めて印象づけられましたが、その後「グーグーだって猫である」、更にテレビでもよく見る俳優となりました。
演技はうまいけど、オーラに欠けるし、もの足りない感じがしていたのが、この作品では、彼以外の配役は考えられない、繊細さと強さが同居している役を演じきっています。

春役も、立っているだけで様になる容姿もさることながら、冷静な大人っぽさがあって、いいと思いました。

渡部篤郎。この頃悪役も結構多いようですが、笑顔と童顔に却って凄みが感じられます。
小日向、鈴木の両ベテランについては、特に触れる必要もないでしょう。

原作を読んでいないので、「重力ピエロ」とは何を意味するのか、推測するしかないのですが、実際にサーカスの場面が出て、ピエロのブランコ乗りが披露されます。
肥っていて、不器用。落っこちそうになるし、やっと成功したと思っても、片手が離れてしまう。

ピエロは、父親を表しているのかも知れないし、どんな状態になっても、必ず手を放さない者がいる、家族の姿そのものかも知れない。

若者映画、若者向けとか言われるけど、若者にも親はいるわけです。
今までどちらかと言えば、敬遠して来ましたけど、これからは映画を選んで、時々は観てみるつもりです。  《清水町ハナ》


この記事へのコメント

映画好きの読書嫌い
2010年03月13日 23:41
この映画は難解だったのでメモをとりながら観ました、以下にそのメモを掲示します。

≪サーカスシーン≫
Ⅰ)「楽しそうにしていれば落ちても無事に決まってる」
Ⅱ)「楽しそうにしていれば重力を消して浮くかもしれない」
実際に起こらない現象なので『重力』『ピエロ』は何かを象徴する言葉と判断。

『ピエロ』が楽しそう→『ピエロ』は楽しいとは限らない→『ピエロ』は周りを楽しませるために楽しそうにしている。
ここから『ピエロ』は『社会への奉仕者』と解釈。

『重力』とは万物にはたらいている物の動きを制約する力。
『法律』とは万人が認識している人の行動を制約する規則。
ここから『重力』とは『法律』と解釈。

Ⅱ)は「人が社会の奉仕者として生きるなら法律は不要になり制約のない自由な社会になる」となり、これが夫婦の主張と判断。

≪ラスト≫
①なぜ春は2階から飛び降りたのか。
②なぜ泉美は春が飛び降りる様子を落ちてきたと言うのか。
③なぜ飛び降りてる途中で映像が途絶えるように終わるのか。

①生みの親は犯罪者。
育ての親のⅠ)の言葉は「社会への奉仕であるなら犯罪を犯しても報いは受けない」と解釈。
この映画で人間の行動は遺伝か環境かという論争があると述べられている。
春は自分の行為が犯罪(遺伝)か社会への奉仕(環境)かの葛藤から、飛び降りても無事かどうかで決着をつけたかったのではないか。

②Ⅰ)の言葉と結びつけるため。

③春の行為が犯罪か社会への奉仕かの判断を観客に委ねるため。

≪問題提起≫
夫婦の主張の問題点をDNAの2重らせん構造にかけて浮き彫りにする。
①法律で犯罪者を裁けない時、社会浄化ならば私刑は許されるのか→是と非の2重構造
②春本人にも葛藤のある行為が犯罪・社会浄化に区別ができるのか→犯罪と社会浄化の2重構造
2010年03月16日 03:12
「映画好きの読書嫌い」様、コメントありがとうございました。気づくのが遅れ、お返事が遅くなって申し訳ございません。(コメント欄書き込み不調で一度流れて、文面が思い出せない始末ですが)ご高説興味深く拝読いたしました。私もかなりの映像はメモをとらないと正確に理解できない部分があると考える者です。ただ現在映画は映画館で観ることをメインにしているために、観終わるとかなりの部分を忘れてしまいご高説のレベルにまでは到底思い及びません。また映画を「批評する」と「感想を書く」は異なることと考えます。それにしても「重力ピエロ」の意味を掴みきれておらず、忘却の彼方へ去りつつある記憶を手探りしながらもう少し考えてみました。―ピエロはいつも飛び跳ねていて落ちたままの姿でいることはない。退場する時も飛び跳ねながら去って行く。この作品の「重力」とはこの家族に課せられた重荷、状況である、不必要な重荷を背負わされたピエロはともすれば落ちたままになりそうなところを家族の力によって本来の姿を何とか保っている。二階から飛び降りた春の{姿が消える」シーンは見逃しましたが、この時の春も同じくピエロである―映画をよりよく理解すると言うか更に情報を得るためには原作と読み比べることが有効と考え、本を用意したものの目が悪いという理由で読書が苦手なためまだ一、二しか実現しておりません(拙ブログ〔200〕など)。本気で取り組みたくなる映画が増えることを期待したいと思います。
映画好きの読書嫌い
2010年03月17日 12:31
清水町ハナ様
お返事ありがとうございます。
評価・感想を一切書いていないのは字数制限があり、解釈でさえ省略せざる負えなかったからです。
それにこの解釈は私の独断であり、何の象徴であるかの解釈が根本的に違うかもしれません。

ただピエロについて少し知識があったのでそこを取っ掛かりにしました。
ご存知かもしれませんが、ピエロって顔に涙の滴が描いてあるんですよね。
道化師とはクラウンと呼ばれていて、ピエロとはクラウンの一種でフランスで発達した悲しみの道化師という意味だそうです。
ピエロは人から愛されたいと思っているのに人を笑わせなければならないというのを悲しんでいるということです。
ピエロに込められた哀愁が主人公春とかぶると感じました。
ただ原作者がその意味を込めているかどうかまでは分かりません。

読書は全くしないわけではありませんが、文章では表現できないもの、考えさせる映像がある映画が好みです。
重力ピエロは考えさせる映像というのは感じなかったですが、観ている者に解釈を考えさせるという点では何でもかんでも台詞で説明してしまう薄っぺらな映画に比べ良い映画だと思います。
2010年03月22日 01:19
「映画好きの読書嫌い」様、私は映画を観ている最中、今のセリフやシーンは印象的と思っても終わった瞬間忘れてしまっていることも多く、思い出せる範囲で感想を書いているに過ぎません。「批評」と「感想」は異なるとは自戒を籠めた一般論で、勿論頂いたコメントについて申し上げていることではありません。春も主人公の兄も両親もピエロである-私はそう思います。しかし彼らは例えばお互いを思う気持ちから、絶妙なバランスをとって落ちそうで落ちない綱渡りをなし遂げている・・・相変わらず「重力ピエロ」という不思議なタイトルはあれこれ想像を呼び込みます。単なる深読みであったり、一行で説明できることなのかも知れませんが、こんな風に考えてみること自体、映画の持つある種の楽しみなのかも知れませんね。それと確かに映像は字で書かれたこと以上のものを生む力があると思います。当然その逆もあるわけですが。

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