映画雑記帳42「「容疑者Xの献身」感想」思い出エッセイ〔139〕

 「容疑者Xの献身」(福山雅治、柴崎コウ、堤真一、松雪泰子、北村正輝、監督:西谷弘)。乱歩賞、直木賞受賞作家、東野圭吾作、同タイトルの推理小説の映画化です。テレビ・ドラマ、「ガリレオ・シリーズ」が高視聴率をとったとか、“容疑者X”は、そのまとめのような作品ですが、観客は、ドラマ・ファンが主ではないかという感じがしました。

ほぼ満員に近い入り。友達同士で来ている人が多い。最近、私が観た映画の観客は、中高年が殆どですが、若い人と、やや若い人。私の周囲に高齢者はいませんでした。
平日という所為もあるのでしょうけど、若いと言っても、二十代後半位以上の人が多かったように思います。
メインの出演者が、どちらかと言えば渋めの40歳前後の俳優ということも影響があるかも知れません。

ビールを飲んでいる人も何人か見かけ、ちょっと驚きました(朝酒ですからね)。その結果?私の前の人は二回もトイレに(多分)立った。

こんなことは置いておいて、映画の紹介です。
原作では、Xこと石神哲哉(堤真一)がメインの感じがありますが、テレビの影響か、湯川学(福山雅治)が大掛かりな実験を行うシーンから始まり、彼が主役であることを印象づけます。

堤真一のショボクレぶりも見ものです。人生何も楽しいことはないという顔つき、オーバーコートにマフラーを巻きつけて、寒い、寒いという感じが、石神の人生の寒さも表しています。

中年に入りかけている俳優としては、華やかな雰囲気を持ち、見栄えのする福山雅治の真逆をいったというと穿ち過ぎかも知れませんが。

石神は、高校の数学の教師。朝、勤めに出ると時、必ず寄るのが、同じ弁当屋。いつも‘おまかせ’を注文します。
石神が住むアパートの隣室に住む花岡靖子(松雪泰子)がやっているお店です(映画の中で靖子のことを、儚げな美人、と評する場面が出てきますが、今でもこんな表現が使われることもあるのかと印象に残りました)。

勤め先は、ダメ高校。隅田川の川岸にテントを連ねるホームレス達に目をくれることもなく、おまかせ弁当を持って、通勤する。
生徒達は、授業を聞かないどころか、机の上に座って大きな声で勝手に話している始末。
石神は、黙々と黒板に長い数式を書き、説明を続けます(高校で、こんな複雑な式が出てきたかなあ・・・)。

原作も映画も、『容疑者Xの献身』と、そのものズバリのタイトルですから、かなりの所まで書いてもいいかと思うのですが、トリックが二段仕立てになっている、その最初の部分は簡単に紹介しても差し支えないかと思います。

花岡靖子は、クラブだったかキャバクラだったか、ホステスをして、貯めたお金で弁当屋を開き、高校生の娘とつつましく暮らしていますが、元夫の富樫(長塚圭史)につきまとわれ、アパートも突き止めて、やって来て、凄まじい暴力を振るう。お金を渡しても、ダメ。今後ずっとタカられる、居着かれる。

観ている者も、これじゃあ、殺しても仕方がない(と物騒なことを書いていますが)と思うほどの暴力で、遂に親子で富樫を殺してしまう。

隣りに住む石神には物音が筒抜け。
石神は、靖子の部屋に行く。12月1日のことです。

一方、内海薫(柴崎コウ)、草薙俊平(北村一輝)の所属警察署管内の広場で死体が発見される。
全裸で、顔を潰され、手を焼いて、指紋が消されている。死亡推定、12月2日。

ガリレオこと湯川学(福山雅治)の出番です。
大学の準教授で、天才的な物理学者という設定。警察に捜査協力をしている(非常勤で?)。

テレビ・ドラマのファンは、ここで、華やかにガリレオ登場と、暗い場面続きで下降線だった気分がパーッと高揚するのでしょう。

テレビ・ドラマも見ていないし、原作も読んでいない者は、湯川の、変人ながら、並みでないカリスマ性をすぐには感じとれない。多分。

私は、実は、かなり前に、原作を読み始めて、もう少しで読了というところで、頓挫してしまいました。理由を覚えていないのですが、ブログを書くつもりだったので、それを振ってまで、投げ出したということは、推理小説として、或いは読み物として、つまらないと思ったのか、それを中断しなければならない理由があったか(いろいろ事情がありましたから)。
ヤマが最後に来るのに、そこまで読まなかったということです。

とにかく、「ガリレオ」というテレビ・ドラマは、最近、昼間、再放送をしているのを、何作か見て、よくできていると思ったのですが、それが、東野圭吾の、“容疑者X”が下敷きになっているとは、全く気がつきませんでした。というか、ガリレオというシリーズを知らなかったのですが。

それほど、ガリレオこと湯川学という存在は、原作から離れて、福山雅治という適役を得て、新たなヒーロー誕生という観が強いのです。
また内海薫という原作にない役も、柴崎コウの個性の強さもあって、湯川と印象的なコンビを作り出しています。

死体の身元は、すぐ割れます。富樫が宿泊していた簡易宿の鍵を持ち出していたことで、届けが出ていたからです。

警察はすぐに花岡靖子の存在を突き止め、事情を聴く。
靖子と娘の美里(金澤美穂)は、石神の指示の通りに行動している。

映画を観に行き、半券を取って置くように言われて、その通りにするが、机の引き出しの中(と思いましたが)に入れておいたのでは不自然、パンフの間に挟むように指示される。

(こまかいことを書くようですが、半券をパンフに挟むというのはどうでしょうか。すぐ落ちてしまうし、この頃、一つの建物に数館の映画館があるというのも多く、飲み物などを買いに行く時、半券を見せる場合があるので、私は小銭入れに入れています)

湯川は、靖子の隣人の名前を聞いて、大学同期の数学の天才、石神哲哉ではないかと思い、会ってみたいと言う。
自分が天才と呼ぶのは、石神しかいない、とも言います。

渦中の、儚げな美人の隣人が、数学の天才、石神となると、何かある、湯川はそう感じたかも知れませんが、まずは旧友との再会を楽しみます。
石神の部屋で、酒を酌み交わし、語る。
湯川は、ある理論についての、自分の説が正しいかチェックを石神に頼み、眠り込んだ間に、石神がその作業を終えたことに、改めて石神の頭脳が健在であることを確認する。

警察は、靖子親子のアリバイも完全であり、犯人に繋がる糸口を見出せないでいる。
映画を観ていたというアリバイも、当日、美里が友人と会っていることから、事実と証明される。

靖子は、ホステスをしていた頃の客(ダンカン)と偶然会い、懐かしさを覚える。
彼の車に乗り合わせている写真を、石神から突きつけられ、この男は問題がある、(付き合うべきではない)などと、なじられる。
石神は、次第にストーカー的な行動をとり始める。

一方湯川の独自の推理は、石神、犯人の方向を指し示している。苦悩する湯川。

推理小説は、読んでも、少し経つと、内容を忘れやすいと言われます。
私も子供の頃からある時期まで、結構読んでいるつもりですが、確かに作家の名前は覚えていても、小説の内容は殆ど忘れています。
『幻の女』とか、『オリエント急行殺人事件』のように、犯人を忘れようのないものは覚えていますが、本で読む場合と映画では、記憶に残る経路が違うからか、記憶する内容が決定的に違うように思います。

この映画を観た人は、おそらく石神が仕掛けたトリックを忘れることはないでしょう。
しかし、湯川が、どうやってトリック解明の結論に達したか、その過程は、日が経つと思い出せない場合も多いのではないでしょうか。

確かにあっと思わせる結末です。身元を隠すために顔を傷つけたり、指紋が分からないように工作したりすることは、昔から小説でも(おそらく現実にも)よく出てくる場面です。
最近の映画、「イースタン・プロミス」では、鋏で指先をチョン切るという荒っぽい場面がありましたが。

DNAという強力な手段が加わっても、それを逆手にとるトリックも可能でしょう。
この辺でやめたいと思います。
いくつか納得できない点があったのですが、一つ、この映画の半券を取り出して見ていて、気づいたことがあります。これは観客に知らせなくてもいい条件だろうか、そんなことを思いました。

それにしても、娯楽映画としてよく出来た作品でした。最後まで飽きることはありませんでした。

堤真一の好演、存在感が最も印象的で、テレビより、演技を抑えた?福山雅治も、却って落ち着いた感じで、よかったと思います。
主役を食うと言われる北村一輝も、地味に抑えて、適役です。
主役クラスが堂々としていて、他の出演者が殆ど目立たないのが、気の毒というか、残念と言うか・・・
楽しんで、リラックスできる映画でした。  《清水町ハナ》

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック