映画雑記帳35「「イースタン・プロミス」感想」思い出エッセイ〔123〕

 「イースタン・プロミス」(ヴィゴ・モーテンセン、ナオミ・ワッツ、監督:デヴィッド・クローネンバーグ)。原題も“Eastern Promises”。出演作品を観たことがないのに、何故か好感を持っているヴィゴ・モーテンセンの主演。そして、‘ロンドンのロシアン・マフィア’この短い一語にひっかかりました。ロシアの富豪達がロンドンを再び世界一の金融中心地に戻したという、NHKスペシャル「沸騰都市ロンドン」について書いたばかりですから。

この番組には、ロシアン・マフィアのマの字も出て来ませんでした。
観たい映画がない、と結構長く不作(私にとっての)をかこっていました。そこに観てみたいという映画が突然現れた感じです。
近場の繁華街は勿論、何故か渋谷や新宿でも上映している映画館はありません。

プライベートな事情で、日比谷、銀座などに映画を観に行ったことは、何年もなく、出かけること自体気が進まなかったし、映画館そのものもすっかり変わっていました。

まずヴィゴ・モーテンセン。日本ではもう有名な存在でしょう。
大分前に、テレビでちょっと見た、インタビュー番組で、モーテンセンは、本格的な日本贔屓というか、息子さんと日本各地をドライブしたというようなことを穏やかな表情で語っており、その行き先が、ちょっと覚えていないのですが、へー、そんな所にまで、と驚かされる、言わば通の感じがしたので、印象に残っていました。
「ロード・オブ・ザ・リング」は私が観たい映画のリストにはないのですが。

あれが、確かにモーテンセンだろうか。ちょっと自信がなくなって、ネットで見たところ、武豊騎手の弟、武幸四郎騎手と会って、「ハルウララを助けてください」と日本語で言ったとありましたから、間違いないでしょう。

しかし、日本贔屓で、いい父親らしい穏やかさは、この映画のモーテンセンには垣間見ることもできません。冷徹で、狡猾ささえ湛えた表情で、細身の体を鋼鉄のバネのように鍛えて、非情のマフィアになりきっています。

映画館に行って、R18指定であることを知りました。

ロンドンの理髪店、くつろいだ客が店主と雑談など交わしている。
そこへ若い男が来たと思うと、いきなり客の喉を掻き切る。
えーー、「スウィニー・トッド」じゃない。
その後始末も乱暴極まりない。

ニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)も登場して、指紋を消すためでしょう、指を第一関節からチョキチョキ切ってしまう。
この場面も、人肉入りパイを食べた子供が、ガリッと何かを噛んでしまう場面を思い出させました。

同じく、暗い暗いロンドン。本当に沸騰しているの。
そして、もう一つの場面。
少女が、大出血をしている。赤ちゃんが生まれるが、母親の14歳の少女は死ぬ。
そのお産に立ち会った助産婦、アンナ(ナオミ・ワッツ)は、家に持ち帰った、少女、タチアナのバッグから一冊の日記帳を見つける(患者が亡くなると、看護婦はバッグなどを頂いて来る、というセリフがあるのですが、本当でしょうか)。

最初に書いた方がよかったかも知れませんが、この映画は、殆どがロシア人のマフィアとその関係者が登場人物ということで、最初から最後まで、誰が聞いてもマトモな英語ではないと分かる、ロシア訛りの英語でセリフが話されます。

「ダー、ダー」とか「スパシーバ」とか、簡単なロシア語は、そのまま使われるのですが、ここまで、ロシア英語で通されると、ここの会話はロシア語で話されるんじゃないの、という場面が随所にありますが、その辺は、まあ、よしとしましょう。
因みにモーテンセンは、数ヶ国語を話すそうですが、この映画の製作に当たって、ロシア語もマスターしたそうです。

タチアナの日記帳に、ロシア・レストランの名前を見つけたアンナは、タチアナの身寄りが分かるのではないかと、そこを訪ね、店主、実は、ロシア・マフィアの組織、‘法の泥棒’のボス、セミオン(アーミン・ミューラー・スタール)と会う。
セミオンは、タチアナのことは知らないが、日記の中味を翻訳してあげようとアンナに持ちかける。

ここで、アンナは、セミオンの運転手だという、ニコライと会う。
ニコライは、セミオンの息子で、すぐキレる、粗暴なキリル(ヴァン・サン・ラッセル)の世話もしている。

アンナは、ロシア人とのハーフだが、ロシア語はできない。しかし、母親と住む家に、ロシア人の伯父がしばしばやって来る。
彼は、自分は元KGBだと言って、本当にそうかと言われると、予備軍だと言ってみたり、大した男ではないが、タチアナの日記を読み、彼女が売春婦で、セミオン親子にレイプされて、妊娠したことや、更に、キリルの詳しい行状が書かれているのも読み、それを知ったセミオンに目をつけられる。

一方、ニコライは、セミオンに認められ、‘法の泥棒’の正式なメンバーに加わることになる。
只でさえ、刺青だらけの体に、一箇所空いている心臓の上の場所に、メンバーであることを証明する刺青を入れる。

ロシアの刺青は、事実かどうか分かりませんが、日本のヤクザの刺青とは、異なり、一つ一つの刺青が、意味を持つ、特に犯罪歴、それから、マフィアのどういう地位にいるか、などを示すと説明されます。

この映画の一つの見せ場とも言えるのでしょう、サウナに入っている、ニコライは、キリルと間違えられ、仲間を殺された連中に襲われます。
マフィアも、ロシアとチェチェンで対立しているようです。

素裸で、ナイフを持った殺し屋達と戦うのですが、何しろ体中、頭の天辺から足の先まで、刺青だらけだから、刺青という服を着ているようなものですが、過激極まりないシーンです。日本人にとっては、異様でもあります。

欧米人には、オシャレ感覚で、刺青をする人が多いようですが、日本人はまだ少ないでしょう。
体全体、それも龍だの鳳凰だのというまとまった絵柄ではなく、ただ、ある事実や経歴を表すために次々と刺青をして行くなんて、普通の日本人には受け容れられない感覚です。

そう言えば、「LAコンフィデンシャル」で、ラッセル・クローの粗暴な刑事に、腕力の上では遅れをとる、キャリア警察官を演じていた、眼鏡のガイ・ピアースが、ガラリとイメージを変えて、主演した「メメント」では、確か記憶が10分しか持たず、忘れないように、次々と体に刺青をして行くというのがありましたが、映画自体は、尻切れトンボの感じだったものの、ガイ・ピアースの変身振りは印象に残っています。
雰囲気もちょっとモーテンセンに似ているようにも思いますが。

87分署のキャレラ刑事の聾唖の美しい妻も、蝶の刺青をしていましたっけ。
“She wore the rose tattoo”という歌もありましたね。“Rose Tattoo”という映画の主題歌でした。
ついでに書けば、バート・ランカスターとアンナ・マニアーニ主演です。

どこまで脱線するやら。とにかく、この映画で辟易したのは、刺青です。
大体日本では、刺青はヤクザがする、とまだ思われている、今どきのヤクザはしないのかもしれませんが。それも立派な刺青をするには、それに相応しい肉体と地位が必要らしい。
子供の悪戯みたいに体中のあちこちにチャチな刺青をするなど、かなり、どころか、超マイナス・イメージになります(勿論、立派な刺青も、マイナスというより、コワーいイメージそのものですが)。

映画に戻ります。
ストーリーは、限りなく、暴力的になって行くのではと、思わせられますが、それでは、モーテンセン・ファンもがっかりだし、ロンドンにも失礼です。

「ロンドンなんて、売春婦とホモの街だ」とセミオンが叫ぶ場面があります。
ある種の人達にとっては、それも真実なのでしょう。
光のある所には、必ず影がある。陳腐な言い方ですが、例え、何が影か分からなくても、影は必ずどこかに潜んでいると認識しておくべきということでしょうか。

凄まじい、暴力シーンの連続で始まって、終わりは、線香花火のようにすーっとテンションが落ちて行って、ポトンと終わる、そんな感じです。

ニコライについては、地味な伏線もあります。
アンナの伯父について、「本当にKGBなのか」と真顔で聞くのもそうでしょう。

セミオンが、実物の日記は焼いてしまうのですが、アンナの伯父が内容を知っているので、排除しようとします。
伯父がどこにいるか分からないと心配するアンナに、ニコライは、心配しなくても、伯父さんは、スコットランドで安全に過ごしているという意味のことを言うこともヒントです。

それにしても、ニコライは、あの刺青のままで、ずっと仕事を続けるのでしょうか。

クローネンバーグ監督は、「イースタン・プロミス」というタイトルについて、深く考えず、例えば、アメリカなどで、イースタンと言うと、日本や中国を指すが、英国やヨーロッパにとっては、ロシアや東欧を指す、言葉の響きも考慮したという意味のことを述べているようです。
しかし、‘イースタン・プロミス’とは、イギリスにある東欧組織による人身売買契約のことを指すという説明を、一つならず、目にしました。

ロンドンのロシアン・マフィアが、この映画のような存在でないとしても、似た形、或いはもっと大規模に存在している可能性もあるように思えます。

暴力シーンは凄まじくても、この映画は、マフィアの中の家族の絆や葛藤を描くに留まり、背後の大きな存在には殆ど触れずに、売春婦となった14歳の少女が産んだ子が、マフィアのボスの個人的なスキャンダルに繋がるだけという描き方をした分、闇は闇のままで残してしまったとも言えると思います。
ただ、久しぶりに映画らしい映画を観ました。  《清水町ハナ》

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