時事雑記帳7「NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」」思い出エッセイ〔83〕

 NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」(2007・10・8放送)。副題が、新聞の番組と番組紹介欄で、それぞれ、‘地獄を見た・家族の半世紀’、‘知られざる半世紀の記録’、と異なっています。NHKは、新たに1万5千ページに上る資料を、世界中から得たそうで、これは、‘帰国船’シリーズがこの後も続くと考えていいのかと思いますが。朝鮮総連の元幹部と、子供の時北朝鮮に帰国して、中年になって、脱北した人が、実名で語っています。

ベタ書き、というか、番組の順序に従って、紹介します。
☆、・印は、番組中の発言、ナレーションです。

北朝鮮帰国は、1959年に始まりました。昭和34年、皇太子ご成婚、伊勢湾台風、水俣病の原因が、工場排水であったことが判明した年です。
・1984年に終了するまで、9万3千人余りの在日朝鮮人が帰国して、祖国建設の夢を目指したと言われます。

(第何次の帰国になるのか、1960年代前半に、家族の一人が、帰国者のケアのお手伝いをするために、新潟に出張したのですが、行ったという事実しか覚えていないとのことです)。

☆現在57歳の男性、K.C.さんが、子供の時、家族と帰国して、中年になって、脱北し、生まれ故郷の大阪に戻るまでを、実名で、顔も出して、語っています。
Kさんは、大阪に生まれ、両親と兄弟四人で、北朝鮮に帰国しました。当時、父親は塗装工で、父の給料では、四人の子供を養えないので、北朝鮮では、教育も病院も無料と聞き、一家で帰国することを決めました。

帰国した時は大歓迎されたが、居住地に移動する時、周囲の風景に驚く。父は、「地獄へ来た」と言う(その風景の具体的なことは明かされません)。
工員になるが、生活できず、持って来た衣服を切り売りする毎日です。
父は酒を飲むようになり、母は泣くばかり。食べる物も着る物も、薪さえなく、凍える寒さです。

「多くの帰国者が収容所へ連れて行かれ、行方不明。その家族は山奥に連れ去られた」とKさんの言葉ですが、実際に見聞きしたことか、伝聞によるものか、明らかではありません。
Kさんは、北朝鮮にいた時、片時も日本を忘れたことはない、却って記憶が鮮明になったと語ります。

☆NHKは、各国の機密資料を入手。北朝鮮は何故多くの在日朝鮮人を受け容れたか。
金日成将軍は、‘帰国事業そのものに、大きな意義を見出し、政治的にも経済的にも大きな利益がある’と考えた。

・ソビエトの大使館の書記官、トカチェンコは、‘北朝鮮は、帰国者を受け容れることで、韓国より優位に立とうとした’と述べている。

・日本の、当時の岸内閣は、人道的な問題として、帰国事業を行う、としていたが、藤山愛一郎外務大臣は、在日の犯罪率の高さや、政治運動が問題であること、そのコストが年間25億円に上っていることを挙げている。

・‘日本政府は、朝鮮人を経済的にも政治的にも(重荷と感じており)、排除することが国益に繋がると考えていた(A.セリグマン書記官、どこの国の大使館員か聞き漏らしました)。

・ハンガリー大使は、「北朝鮮(出身者)には、信用できない階層というものが存在し、帰国者は、その階層に属している」と本国に書き送っている。

・東独大使は、「帰国者の衣服や振る舞いが、現地で目立ち始め、特に青少年に(影響を及ぼしている)と見られている。‘里親’と呼ばれる監視者がついている」と述べている。
(監視者については、K.C.さんも証言しています)

☆再び、K.C.さんの証言に戻ります。
・「自分達は、他の人間と違う扱いを受けている。体制にとって、危険な存在と思われている」
苦しい、と言っただけで、姿を消す、周囲から次々といなくなる。8年後、父は亡くなった。

☆帰国船によって、軍需用品が運ばれていることも早くから(指摘されていた)。
・1960年代には、日本と米国は、帰国船による工作員の往復が行われていると認識。船員が、菓子折りの中に指令書を入れる。特殊なインクを使っているので、薬品で字が浮かび上がる。日本でできるだけ多くの仲間を獲得せよ、などということが指示されていた。

・帰国船には、‘帰国船長’が乗り、新潟に寄港する度に寄付を強要(関係者に?)。

・ヒト・モノ・カネを大量に運ぶパイプとなっていた。
軍需用品用のコンピューター、高度の電子機器の輸出は禁止されていたが、乗客の荷物に忍び込ませた。税関でも、全てを調べることはできない。
・日米は、有効な対策をとれなかった。

・朝鮮総連の幹部だった、P氏は、「消すことのできない罪を犯した」と感じている。
・30年間、チュ・チェ思想を研究して来たが、三年前、その思想を棄て、総連からも離れた。

☆既述、K.C.さんは、大阪に帰り、帰国後、終始家族を援助してくれた祖母のことを語ります。
ある時は、一時帰国の際、大量に集めた古着などを持って来て、売って、生活費に当てるようにしてくれた。今は、老人ホームにいて、98歳で、記憶も殆ど失っていたのが、孫のK.C.さんに会って、記憶が甦った。
50年近い日々は、二人にとって、苦難に充ちたものであった。今も多くの家族が離れ離れになって、暮らしている。

・最初の方で、K.さんの言葉として、「あの時代に戻って、もう一度日本でやり直したい」という思いが紹介されています。

以上が、NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」の大雑把な紹介です。ポイントの書き落としや、間違いがあったら、お許しください。

最初の帰国船が出航した1959年は、在日朝鮮人は、貧困に喘ぎ、生活保護を受ける家庭が、日本人の7倍あった、という数字が出されますが、戦後直ぐの、日本全体の困窮状態に比べると、昭和34年頃は、仕事には一応就いていても、今からは考えられない安月給でした。

わが家は、夫は、一応専門職ですが、私的な機関に勤めた頃は、社宅はあったものの、月給は、2万円を切り、公的な機関に移ってからは、住宅なし、1万5千円を切るサラリーで、やむを得ず、今でいうバイトをしていました。昭和30年代後半にかかっている時です。

拉致問題の存在を知ってから、日本人は、北朝鮮の現状に関心を持つようになり、かなりの情報も得られるようになったのではないかと思います。
従って、上の番組の、1万5千ページの新たな資料による部分が、どれなのか、分からないほど、資料や情報としては、さほどの新味がないように感じました。

例えば、日本国民の直接の問題でもある、日本人妻のその後について触れていません。
一つ、帰国事業は、北朝鮮のためであって、帰国者のためのものではなかったことは、明らかになったと言えると思います。

私は、NHKスペシャルをいつも見るというわけではないので、今回のようなシリアスな内容で、女性がナレーターを務めるのが、よくあることなのか、分かりませんが、適当なスピード感と緊迫感があって、よかったと思います。

北朝鮮問題については、つけ加えるべき感想を、今のところ持っていません。米国は、既にかなり深く北朝鮮と関わっているという情報もあり、判断基準が持てないのです。

「日本海に深く刻まれた航跡は、人々の記憶から消えることはない」という文学的な?文言が、結びの言葉のようでした。

十年近く前に読んだ本が、小説ですが、帰国問題について、事実を書いていると思えました。こまかいことを覚えていないので、言葉が違うかもしれませんが、身内か、ごく親しい人が、北朝鮮に帰国することになって、帰国してみて、状況が悪かったら、つまり続いて、帰国しない方がよかったら、「幸せです」と書く約束をするのですが、最初に届いた手紙の冒頭に、「幸せです」と三回書いてあったとありました。  《清水町ハナ》

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