思い出エッセイ〔17〕 「変貌する東京」

 「東京の田舎もの」というタイトルにしようと思っていました。ブログを始めて数ヶ月の新参者ですが、最初の意図は、自分史をまとめようと思ったものの遅々として進まず、自分に業を煮やして、そうだ、流行りのブログで書けば、多少は人様の目があるから、作業が進むのではと算段したことです。

ところが、書き始めてみると、書けない、書いてはいけない、書いていいかどうか分からない、書くのが憚られる、プライバシーに触れるのではないか、etc.・・・つまり、書きたいと思っても書けないことが多過ぎる、結果、自分史とは殆ど関係のない一文も多くなってしまいました。
ペットのことも結構書いていて、ペットの自分史の方が多少活気があるようでもあります。今でも、例えば従兄妹達の目に触れたら、怒られるのではないかと戦々兢々としている部分もあります。

どんどん本題から外れて行くのも、私のブログの悪しき特徴となりましたが、これについては、既に書きましたが、書きたいと思っていることは、横道と断って、挿入してしまうことにしています。

ところで、「東京の田舎もの」です。古臭い題ですが、現題より多少のインパクトがあると思いました。しかし、‘田舎もの’というのが差別語なのではないか、そうでなくても地方の方に失礼ではないか、そうではない、これは自分自身のことを言っているのだから、それと田舎ものというのは、精神的な面を指しているのだから一向に構わないのではないか、違う違う、それだからこそ、失礼な言葉遣いなのだなどと、迷った末に、更に古臭い、「はとバス」の広告のようなタイトルにしました。因みに実生活では比較的迷うことの少ない人間です。買い物をパッパッと決めて行くという低レベルの話しですが。

さて、やっと本文です。数日前、親しい友人が大阪から来て、私も何年ぶりかで「はとバス」に乗り、東京の変貌に心底驚かされました。

彼女は大学時代の親友で、夫の職業は同じなのですが、その後の生活ぶりには埋めようのない差ができて、私は小さなマンション暮らし、彼女は一代で病院長夫人となりました。でも初心を忘れていない彼女は昔と全く変わらず、三年ほど前まで、年に二三回一緒に旅行をする仲でありました。尤もお互い生活や仕事にかかりきりの頃はそんな余裕はありませんでしたが。
但し海外旅行は付き合わないと宣言してあります。私は、ファースト、スイートとは縁のない生活ですし、私のために彼女がエコノミー症候群になってしまうことは断固として避けたいからです。これ以上は彼女のプライバシーを考えて控えることにします。

上京する時はいつも何日か前に連絡がありますが、今回は直前、それも新幹線の時間も分からない、とりあえず半日は時間があるということでした。ご家族の所用に便乗ということで、彼女には日程が決められないのです。
ホテルで夕食をという提案がありましたが、これは私の方で辞退しました。実は家族が病んでいて、この二年間以上、旅行は勿論、外出らしい外出をしていないので、その疲れと、ちょっとした物理的引きこもり状態で、都心の高級ホテルでのディナーはいささか、どころか、かなり、いや絶対に重荷だったからです。

とにかく、最初は半日、希望は六本木ヒルズに行ければということで、「はとバス」の午前中のコースを予定していました。因みに彼女と「はとバス」に乗るのは今回で五回目だと思います。昔はおのぼりさんの「はとバス」というイメージでしたが、今は最も効率的に東京を廻れるので、東京の人の利用も多いようですし、一番のメリットは乗用車と違って、高い位置から周囲を眺められるということだと思います。

また彼女から連絡があり、お連れとは別に帰ることにしたから、一日空いた、全て私に任せるということでした。これが前の日の夜。私は少々焦りました。予約締め切りまで後一時間半位しかありませんでした。念のため、一日コースも調べておいたのですが、何しろ、数回も乗っていると、どうしてもダブってくるのです。皇居や東京タワーは言うに及ばず、浅草、隅田川下り、他結構時間をとる処が重なります。

とにかくここ数年で大きく変わった東京をメインのコースにしようと思いましたが、梅、桜など季節限定のコースも多く、一つだけこれが一番というのがあり、それの詳細を見ていたら、目の前で予約終了になってしまいました。「コント55号」(昔の名前で出ているのです)の舞台を見るというのもあり、これもいいかなと候補にして、あと一時間で締め切りという時間に情報を聞きがてら、電話をしました。締め切ったはずの第一候補が何とあと三人残っているというのです。一も二もなくそれを申し込みました。先に書いてしまうと、乗客はたったの九人でした。他の所から乗るのだろうと思っていたら、それもなく、締め切りではなく、催行中止ということだったようです。

帝国ホテルでのビュッフェ・ランチというのが、以前と重なり、グルメ・和食好きの彼女はちょっと不満だったようですが、他の行き先は、車窓越しも多いとは言え、東京湾岸沿い、丸ビルから始まった東京の再開発地域をほぼ網羅し、最後は私も見たいと思っていた鳩山家の音羽御殿で締めくくりです。

実は、私はこの程度の一日観光も二年半ぶり位で、手配でもたついて、衰えを実感していて、ダイジョウブかなと内心ちょっと心配していました。「はとバス」は結構強行軍が多く、数年前に乗った、皇居(かなり奥まで行けます)、靖国神社、千鳥が淵、後楽園等の観桜は、実に一万五千歩を越える歩きでしたから。

東京駅、特に丸の内南口は所用があり、結構行くのですが、当日受付をしようと駅構内を見渡したところ、左側にあったはずの受付場所も喫茶店も更には八重洲口への通路とそこに並んだレストランも何もないことに気がつきました。かなり前からのことでしょうけど、気がつかなかったのです。工事中の所もあり、おそらく新しく生まれ変わるのでしょう。トイレが二箇所あるのが目につきました。東京駅は素晴らしい、しかしトイレは世界で最悪という意味の外国の人の批判記事に触発されたのでしょうか。

「はとバス」の集合場所辺りも大きく変わっていました。以前は待合室が少なく狭くお世辞にもきれいとは言えず、ただ道にたむろしているしかなかったのが、待合室の数も大幅に増えて、その分発着場所も有楽町寄りにずーっと長くなり、コース名や番号などをきちんと覚えておかないと、待ち合わせている人が探し当てられないこともあるように思います。
とにかくご存知と思いますが、最近の(ずっと前から?)「はとバス」は車体がきれいで快適です。バスはたった九人の乗客で出発しました。

レインボー・ブリッジから湾岸風景を一望し、海底地下道の存在も知り、汐留などの再開発地域の高層ビル群に驚き、まあ、本当に東京の田舎ものと化しました。丸ビル周辺にしても、汐留にしても、一般の観光客が行ってみる所は、何々ビルとかのレストランとか土産物店などに限られ、高みから再開発地域のビル群を眺めるという機会はあまりありません。ワー、スゴイとは口に出して言いませんけど、そういう気分になりました。上海に初めて行った時、その大都会ぶりに、東京、負けたかなとチラと思ったものですが、撤回します。

帝国ホテルのビュッフェも前回より充実して、サービスもいいように思いました。
昔は、「はとバス」というと、食事でも観劇でも専用の席があり、何とない悲哀を味わったものですが、今は一般客と同じ扱いです。彼女は、おそらく帝国ホテルのビュッフェが売りというスタンスが気に入らないのかも知れません、少々の野菜とデザートを口にしただけでしたが、私は情けないことに久しぶりの、人が作ってくれたご馳走で、美味しく頂いてしまいました。

六本木ヒルズ。新しいものができたからと言って、すぐ行く性分ではない私もちょっと行ってみたい気がしていながら、もう何年が経ったか・・・
昔、六本木にはよく行っていました。表の、昼間の六本木ともいうべき所にです。料理好きの友人と「鳥勝」で鶏肉とロースト・チキンを買い、「ユーラシアン・デリカテッセン」でフルーツケーキ用のシロップ漬けフルーツやニシンのマリネなど日持ちのするお惣菜を買い、お昼は「正直屋」のお弁当、店名を忘れましたが、ロア・ビルの斜め前辺りの喫茶店でアイリッシュ・コーヒーを飲んで、締めとしました。「鳥勝」が割りに早い時期にビルとなりました。

それからバブルの頃でしょうか、「ユーラシアン・デリカテッセン」のよく似た親娘が、「奥様、聞いてください。地上げやが怖くて。それに五時頃になると、外国人の街娼がお店の前にいっぱい立って、お客様にもご迷惑で」と、お供連れの、「御前様」などと呼ばれているお客もあり、割りにプライド高く、話しかけられた記憶などなかったのが、そんな風に愚痴るようになりました。
それからどの位経ってからだったか、一人で行ってみると、「正直屋」以外、どこも営業を止めていました。みんな、やめてしまったと、「正直屋」の人の言でした。その時以来、六本木には行っていませんでした。

六本木ヒルズという巨大なビルが似合う所があっただろうかという思いでした。どこに建っているのか見当もつかないままに、ヒルズに着き、中で迷いやすいからと言われ、帰り道をしっかり覚え、展望台に立ちました。そこからの眺めは圧巻で、見知らぬ大都会、新たな東京が、眼下に広がっていました。昔からある大きなビルやマンション群は、寧ろ小さく、低く、高層ビルの嚆矢、新宿のビル群と違って、細長いのは寧ろ少なく見え、高層で横にも大きいビルが多いようで、形の変わったビルもいくつかありました。

昔新幹線で関西方面から帰って来て、品川のプリンスホテルが見えると、ああ東京に帰ったと実感したものですが、今や何をもって、東京に戻ったという目印、シンボルとしたらいいのでしょう。

それぞれのビルがどういう機能を持っているのか、どういう人が働き、或いは住んでいるのか、見当もつきません。一人ひとりは小さな存在というか、極言すれば、個人の存在が全く感じられないという思いを抱きました。都会好き、東京絶対の私には、ここが東京と言える所がなくなってしまったようにも感じました。

鳩山家の音羽御殿で漸く気分が安らぎました。もっと大きいかと思っていましたが、昔はよく見かけたお金持ちの家という感じで、ただ雰囲気が何とも懐かしく、ヒルズの後にここをコースの最後にもってくるのは正解だと思います。
この音羽御殿は何度も来て、坂がきついからと、年輩のご夫婦がバスを降りられ、七人となって、間もなくの終点までおしゃべりレベルとなり、ガイド嬢は東京のシンボルについてのクイズなどを出題しました。友人以外全員が東京の方だったと思います。
ほっそりした三井ゆりの若い頃という感じの美人で、終始穏やかで、とちることもなく、それでいて切り返しも素早くしっかりしていて、なかなか優秀なガイドさんでした。

つまらないことを書き添えますが、昔、大阪で万博が開催された時、まだ外国からの観光客が非常に少なかった時代に多くのお客が海外からどっと来ることになって、当時通訳案内業のライセンスを取ったばかりだった私にも、JTB、当時の交通公社からガイドをやってくれないかと声がかかりました。ガイドの絶対数が足りず、と言って資格がない人は使えず、素人にも頼まざるを得なかったのです。

やってみることにしました。子供が小さかったので、泊りがけの仕事はせず、初日、東京観光、二日目、鎌倉、箱根というセットのコースを原則、週に一回やりました。二三回の研修で、バス一台任され、最初は車窓から流れて行く東京の名所など、タイミングよく、「右に見えますは~」などと言えないものです。運転手さんが、小声でもうすぐ迎賓館などと教えてくれたりもしました。
鎌倉から箱根というコースも難物で、延々何もない景色が続き、箱根に着くと、ランチ、大涌谷、芦ノ湖遊覧、小田急に乗って、そこからホテルまでバスと、お客の捕捉(多分こんな言葉を使ってはいけないと思いますが)が難しい場面も多いのです。でも六ヶ月やると、それなりに慣れ、運転手、ガイド、運転助手など、できる人とできない人は今でも最初の直感が当たります。

今回の東京観光は、友人も喜んでくれましたが、私の新たなる東京認識の一日でもありました。オチオチしていられない、油断できない、という奇妙な思いが感想です。「東京が好き」と今までのように手放しで言えなくなった感じもします。自分は浜の真砂より小さな存在であることを改めて肝に銘じた方がいいとも思いました。

ちょっと「はとバス」の宣伝文のようになってしまいましたが。
東京駅に戻るまでの短い時間に出されたクイズの答えは、東京のシンボルの樹は銀杏、花は桜、鳥は都鳥(ゆりかもめ)だそうです。 《清水町ハナ》

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