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zoom RSS テーマ「昭和」のブログ記事

みんなの「昭和」ブログ

タイトル 日 時
思い出エッセイ〔479〕「昔の昭和:戦後の生活5−4−1」
 戦後の、1940年代後半から1950年代前半の、関西での学校生活について大まかに書いて来たのですが、書きかけのまま7か月も経っていることに、さすがに余生もいくらもないのに何をダラダラと、と反省しました。と言って思い出したこと全て書こうと思っているわけでもないのですが。 ...続きを見る

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2014/05/05 11:15
思い出エッセイ〔473〕映画雑記帳234「【小さいおうち】感想と思い出したことなど」
 【小さいおうち】(松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子、橋爪功、吉行和子、室井滋、中嶋朋子、監督:山田洋次)。 ...続きを見る

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2014/01/29 09:06
思い出エッセイ〔456〕「昔の昭和:戦後の生活5−3」
 小学校(当時国民学校)の2年や3年で、「教育勅語」を暗唱し、神武天皇に始まる歴代天皇の名をそらんじた世代です。 ...続きを見る

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2013/08/20 09:34
思い出エッセイ〔444〕「昔の昭和:戦後の生活5−2」
 ★昭和25年(1950)3月・池田蔵相「中小企業の一部倒産やむなし」と発言(同年12月「貧乏人は麦を食え」と発言−筆者追加) 4月・公職選挙法公布 ・第一回ミス日本に山本富士子 6月・朝鮮戦争始まる 7月・金閣寺、放火のため全焼 ・マッカーサー、警察予備隊創設 10月・GHQ、1万余人の追放解除 11月・「君が代」演奏許可 ・政府、旧軍人3250人の追放解除―年表『戦後昭和史』より抜粋。 ...続きを見る

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2013/05/28 13:36
思い出エッセイ〔439〕「昔の昭和:戦後の生活5−1」
 「もう戦後は終わった」とか「もはや戦後ではない」などと、昭和30年代、時として20年代の終わりにも言われることがありましたが、日本にとって(近代)国家として最初で最後の(おそらく)敗戦が、そのように軽く忘れ去ることができるのか、何事も元に戻るということはない、ある意味現在も戦後の続きであると、考えることがあります。 ...続きを見る

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2013/04/27 00:30
思い出エッセイ〔431〕「昔の昭和;戦後の生活4 [農家での日々]」
 ‘家庭のエネルギー事情’という小テーマで、戦後の生活について書いてきましたが、ここで言わば番外として、敗戦直前から私が体験した、数ヶ月の、農家での生活について書いてみたいと思います。 ...続きを見る

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2013/02/24 09:25
思い出エッセイ〔423〕「昔の昭和:戦後の生活3(家庭のエネルギー事情など(3))」
 前回、敗戦直後の昭和20年(1945)晩秋から、翌21年の、東京の家庭のエネルギー事情(と言うより、生活そのものについての記述の方が多いのですが)について書きましたが、今回は、その時期のことで思い出したこと、そしてその後の(昭和22年、23年)東京の生活について簡単に記して、23年の末近く、引っ越すことになった、関西での生活について記してみたいと思います。 ...続きを見る

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2012/12/27 09:50
思い出エッセイ〔411〕「昔の昭和:戦後の生活2家庭のエネルギー事情など(2)」
 昭和20年(1945年)8月15日。日本敗戦の日です。我が家にとっては、それより一ヶ月弱前の7月19日、米軍の空襲により、疎開先の北陸の街が壊滅した日が、事実上全てに敗れた日であると言えます。それからの、農家に置いてもらった何ヶ月かは、家庭のエネルギー事情を語れる日々ではありません。 ...続きを見る

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2012/09/24 14:00
思い出エッセイ〔406〕「昔の昭和:戦中・戦後の生活1家庭のエネルギー事情(1)」
 まさか日本で起きるなど夢想だにしなかった原発事故により、見直さざるを得なくなったエネルギー供給、需給のあり方。直接のヒントにはならないかも知れませんが、私にとっての‘昔の昭和’、子供の頃の、昭和10年代後半から昭和30年頃までを(1941〜1955年頃)ひと区切りとして、家庭の光熱事情+水・水道事情を、当時の生活の様子と共に思い出すままに書いてみたいと思います。 ...続きを見る

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2012/08/12 16:44
思い出エッセイ〔404〕「ラジオ音楽:テレビのワンシーン4」
 テレビのチャンネルを廻したら、「フランク・永井ヒット曲の数々」と題した、ワンマン・ショーの趣きでしたが、局が独自に編集、作成した番組の再放送が始まるところでした(7月28日9時、NHK・BS3「フランク・永井ヒット曲の数々」)。何よりも懐かしさが湧いて、それとフランク・永井をテレビ画面で見るのは、いつのことだったかという程久しぶりだったので、ちょっと出かける予定を止めて、見ることにしました。まだ朝でしたが。 ...続きを見る

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2012/07/29 08:23
思い出エッセイ〔394〕映画雑記帳161「【わが母の記】感想など」
 【わが母の記】(役所広司、樹木希林、宮崎あおい、南果歩、ミムラ、三浦貴大、監督:原田真人)。この作品のポイントを取り上げた形の、テレビのコマーシャルを何度か目にして、いずれにしても母ものの範疇なのかと思って見たのですが、ちょっと違う感想を持ちました。 ...続きを見る

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2012/05/12 01:09
思い出エッセイ〔393〕「昔の昭和:ちょっと思い出したこと4」
 昔の、子供の怪我のことと、全然関係ないことですが、「白米の魔力」という小タイトルで書いてみました。 ...続きを見る

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2012/04/27 13:48
思い出エッセイ〔378〕食の雑記帳23「おせちと嗜好の変化、他」
 食をテーマに二つ書きます。一つは(大方の方には)ちょっとショッキングなタイトルで、美味しい話とどちらを先に書くか、若干迷ったのですが、やはり美味しいものは後に食べた方がいいという結論に達しました。でも少し時間を置いたら、お正月早々こんな話題が最初ではと思い直し、順番を替えました。 ...続きを見る

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2012/01/09 08:26
思い出エッセイ〔357〕「昔の昭和:ちょっと思い出したこと3」
 昔、病気をした時の、言わば病人食、重湯、お粥などについては書いてきましたが、葛湯のことを忘れていました。それと冷蔵庫がない頃、食べ物がいたんでいないか特に注意を払いました。この二つについて書いてみたいと思います。 ...続きを見る

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2011/09/01 20:25
思い出エッセイ〔349〕「昔の昭和:夏の過ごし方など」
 節電の夏。しかし六月の中から暑い日続きで、エアコンなしでは熱中症対策は少々厳しいという感じです。 ...続きを見る

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2011/07/09 07:48
思い出エッセイ〔347〕「昔の昭和:災害のことなど」
 災害に思い出という言葉は似つかわしくありませんが、生々しい記録ではなく遠い昔の記憶を生活の中から少し掘り起こしてみたいと思います。 ...続きを見る

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2011/06/22 01:56
映画雑記帳130「映画:気儘に、思い出すままに8」思い出エッセイ〔337〕
 今年の3月23日エリザベス・テイラーが亡くなりました。世紀の大女優と呼んでもいい存在でしたが、東日本大震災から10日余しか経っていないためか地味な報道でした。 ...続きを見る

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2011/04/26 10:52
思い出エッセイ〔330〕「昔の昭和:ちょっと思い出したこと2」
 主に家の中にいた虫の変遷?について思い出すままに書いてみたいと思います。カワイイ虫は殆ど登場しないことをお断りしておきます。ムシと聞いただけで、ゾクッと背筋が寒くなる方はパスなさってください。 ...続きを見る

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2011/03/05 19:16
思い出エッセイ〔328〕「記憶の中の杉並区3」
 子供時代のことを結構書いているのに、一番長く在校した杉並第六小学校(当時国民学校)、通称杉六のことをあまり書いていません。 ...続きを見る

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2011/02/22 01:12
思い出エッセイ〔316〕「昔の昭和:東京の寒い冬」
 家の中でちょっと寒いと感じるとすぐエアコンの温度を上げる。外へ出てもバスも電車も出先の建物も暖かい。寒い所で働いている方には申しわけないと思いますが、その日の気温を長時間体感することが殆どない。子供の頃冬の寒さは厳しかった。地球温暖化のことも頭に置いて、子供の頃の冬、その寒さに焦点を置いて、思い出したことを書いてみたいと思います。 ...続きを見る

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2010/12/26 15:35
本の雑記帳26「『近衛家 七つの謎』:思い出したことなど1」思い出エッセイ〔311〕
『近衛家 七つの謎−誰も語らなかった昭和史−』(工藤美代子著、PHP研究所刊)。「上海、東京、モスクワ・・・大都会の中枢に仕掛けられた国際的な謀略のわな―昭和史を運命づけた重要事件に新資料を駆使して挑む著者渾身のノンフィクション」「近衛文麿、文隆父子を死に追いやった「昭和史の謎」とは」本の帯の紹介文です。 ...続きを見る

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2010/12/03 15:00
映画雑記帳118「映画:気儘に、思いつくままに7」思い出エッセイ〔310〕
 昔見た映画を語るのに、‘気儘に、思いつくままに’という便利なタイトルを思いついたのに、ある程度の系統性を持たせなければという気持ちがどこかにあって、書き始めたところでストップしたまま、なかなか前に進みません。とにかく気楽な気分で、思い出すままに続きを書いてみたいと思います。 ...続きを見る

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2010/11/30 18:01
思い出エッセイ〔307〕「昔の昭和:ちょっと思い出したこと1」
 子供の頃のことと言うのは、系統的に思い出すというより、偶然何かを思い出し、他のことを連鎖的に思い出すこともあれば、忘却の深い淵に沈んでいたことがある時突然表面に浮かび上がって来たり、と脈絡なく記憶としての形をとることが多いようです。一つの文にまとめられる程、記憶が形を作ることを待っているより小さいことでも思い出したことを書き留めておくために、‘ちょっと’シリーズをまた作りました。 ...続きを見る

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2010/11/13 05:35
思い出エッセイ〔294〕「昔の昭和:子供の夏」
 今朝、初めてエアコンをつけませんでした。何十日も続いた酷暑、必要な時以外外出を控えて、年も年だし、夏の思い出と言えることもありません。子どもの頃の夏を思い出してみました。 ...続きを見る

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2010/09/17 00:45
時事雑記帳44「この頃ちょっと気になること(8)」思い出エッセイ〔287〕
 NHKスペシャルの再放送で、原爆投下直後日本軍部が軍医団を中心として、綿密な調査を始めた事実を知りました。それと最近の高齢者行方不明事件、まだ何も分かっていないわけですが、親が私の両親の世代、子供が私の世代に近いことが気になりました。 ...続きを見る

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2010/08/13 02:27
食の雑記帳23「食べもの事情(9)戦中・戦後の甘いもの・おやつ2」思い出エッセイ〔286〕
 戦中・戦後の甘いもの・おやつ事情と題して前編を書きましたが、いよいよ本当に甘いものは何もなくなる時期に入ることになって、おやつの前に食糧難ありき、ではないかとちょっと思いましたが、子供時代の思い出とは切り離せない、おやつ、甘いものが手に入らない具体的な事情、情景、時代背景を書き残すことも多少の意義があるのではないかと思い、後編に当たる一文を記すことにしました。当時の全体的な状況と言ったものの中で捉えてみたいと思います。 ...続きを見る

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2010/08/08 10:42
食の雑記帳22「食べもの事情(8)戦中・戦後の甘いもの・おやつ」思い出エッセイ〔285〕
 太平洋戦争後半、それと戦後長く、子供達のおやつ、甘いものやお菓子類は、殆ど手に入らないか、代用食の日々が続きました。今回は子供達が一番欲しがる、甘いもの、おやつがどんな状況だったかを中心に思い出してみたいと思います。それが子供の心身の成長にどのような影響を与えたか、食育と言ったらいいでしょうか、根拠のある説明を得たいところです。 ...続きを見る

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2010/08/04 15:27
雑記「戦後の住居:我が家史(2)」思い出エッセイ〔276〕
 終戦後から現在に至るまで、私がどんな家に住んだかということを記述して、戦後日本の住居の一サンプルを提示してみたいなどと思っていましたが、初回で当時の思い出に感傷的に浸ってしまい、住居の移り変わりの骨格を描くことに失敗してしまいました。そういう形も書きたい風景の一つなのですが、今回はどんな家に住んだか、当時の収入、経済状況等にも簡単に触れて、シンプルな記述を心がけたいと思います。 ...続きを見る

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2010/06/19 02:02
雑記「戦後の住居:我が家史1」思い出エッセイ〔271〕
 人生も終盤に入ると、比較的大きいテーマで来し方を眺めて、概要をまとめることをしてみたいと思うようになるようです。「食」は何とか書けても、「住」はさすがに大きい、しかも漠然としたテーマなので、‘住居’として、‘我が家史’としてみました。 ...続きを見る

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2010/06/01 11:12
食の雑記帳21「食べもの事情(7)戦中・戦後の食」思い出エッセイ〔270〕
 前回(〔269〕)、的場浩司さんのスイーツ好きの話から始めたのに、脱線、あらぬ方向へ行ってしまって、「スイーツ」で検索・アクセスして下さった方は何これと思われたことでしょう。最初に的場さんの著書の簡単な紹介を付したいと思います。 ...続きを見る

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2010/05/28 04:24
思い出エッセイ〔257〕「映画:気儘に、思い出すままに5」映画雑記帳96
[子供時代の映画2]  ブログを書き始めてそれ程経ってない頃、吉本隆明氏が、故淀川長治氏について、常に映画の中に入り込んでいるから現実と向き合っていないという意味のことを述べているのを目にしたことがあると書きました。出典を記憶していませんし、淀川氏評として当たっているかも疑問ですが、私の学生時代、映画はまさしく現実を忘れさせてくれる存在でした。 ...続きを見る

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2010/04/02 15:34
食の雑記帳19「食べもの事情(5):戦中・戦後の食事−鯨のことなど−」思い出エッセイ〔255〕
 今年の米アカデミー賞で「ザ・コーヴ」なる、和歌山県太地町のイルカ漁を取材したという映画が選ばれ、その一シーン、何十頭というイルカを入り江に追い込み、それに続いて海が真っ赤に染まるシーンがニュースで紹介された時には大きなショックを受けました。 ...続きを見る

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2010/03/17 11:19
思い出エッセイ〔249〕「映画:気儘に、思い出すままに4」映画雑記帳92
☆2月24日、「おすすめブログ」にご紹介いただきました。 [子供時代の映画1]最近、映画を一本観て感想を書くというスタイルが定着してしまって、映画そのものについて思い出を語ることが殆どなくなってしまいました。ブログを始めた頃のスタイルに戻って、昔のあの映画、あの俳優のこと、その時代、周囲のことを思い出すままに書くことを再開してみたいと思います。 ...続きを見る

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2010/02/27 13:16
思い出エッセイ〔247〕「昭和の記憶−零戦のことなど」
 何かをきっかけに、一つのことを思い出し、それが次々に一見相互に関連のないことを思い出させる、その繋がり方と言うか、それと分からぬ連鎖を探ってみたい、そんな感じで書いてみたいと思います。一貫性のない夢をそのまま綴るような感じになるかと思いますが、テレビで戦中の戦闘機、「零戦」を見たのがきっかけです。 ...続きを見る

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2010/02/17 12:56
食の雑記帳18「食べもの事情(4):戦中・戦後の食事」思い出エッセイ〔245〕
 今の食生活からは想像もできない、戦中・戦後の食事情についてまとめてみたい、とは以前から思っていました。しかしいつ、どんな形で‘まとめる’ことができるか、大体まとめることが可能だろうか・・・記憶が残っている中にまとまらない形でも書き留めた方がいいと思って、“思い出すままに”書いてみることにしました。 ...続きを見る

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2010/02/08 10:32
食の雑記帳16「食べもの事情:思い出すままに(3)」思い出エッセイ〔204〕
 ‘もったいない’という言葉がクローズアップ(この言葉、ちょっとフルイ感じですね)されて、外国でも通用する日本語になっているとか。この情報自体が少々古いのですが、言葉は活き続けているようです。特に食べものについて、この‘もったいない’は、私の子供の頃と微妙に違うニュアンスで使われているように思います。 ...続きを見る

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2009/08/22 19:34
時事雑記帳35「NHKドキュメント「ヒロシマ日記帳」」思い出エッセイ〔201〕
 家族がテレビのチャンネルを次々に廻していて、戦時中と思える女学生達の姿が映し出されたところで、それちょっと見たいと止めてもらいました。昨日8月9日、長崎原爆投下の日です。 ...続きを見る

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2009/08/12 13:09
食の雑記帳15「食べもの事情:思い出すままに(2)」思い出エッセイ〔198〕
 偶然の一致にも色々あります。一編のブログを書き上げて、ふとテレビを見ると、氷の配達風景が流れています。慌てました。ブログの中に書いたばかりです。 ...続きを見る

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2009/07/31 21:39
思い出エッセイ〔177〕「記憶の中の杉並区2」
 人からよく、昔のことを覚えていると言われてきました。四、五歳の頃の記憶で、家の間取りや当時の出来事を再現できたりすることがあるのですが、実は、高校時代の同級生の名前を半分も思い出せなかったり、今日が何月何日かカレンダーを見てもすぐに言えないこともあります。 ...続きを見る

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2009/04/07 17:10
食の雑記帳14「食べもの事情:思い出すままに(1)」思い出エッセイ〔172〕
 子供の時、戦後の極端に食べ物が少ない時期を生き、お金と機会さえあれば、どんなものでも手に入る‘飽食の時代’も経験し、そろそろ我が一生の食生活を振り返ってもいい年になってしまいました。 ...続きを見る

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2009/03/19 18:41
思い出エッセイ〔167〕「記憶の中の杉並区1」
 何日か前に、テレビをつけたら、卒業生が母校で授業をするという番組で、「先生」が向かわれている先が、私の母校だったので驚いた話を書きました。 ...続きを見る

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2009/02/20 17:21
思い出エッセイ〔157〕「昭和の生活と遊び4:20年代前後(東京のお正月)」
 「私の故郷ではね、お正月のお雑煮のお餅に餡子が入っているんですよ」ずっと以前、料理研究家の土井勝さんがテレビで言われたことです。 ...続きを見る

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2009/01/12 16:56
思い出エッセイ〔140〕「喪われた時、場所2」
‘喪う’という言葉を書く時、私は旧仮名遣いを使いたいという気持ちに駆られます。バ行とパ行という濁音、半濁音を持つハ行は、何とない儚さがあるように思え、喪ふ、喪はれた、と書いた方が、自身の喪失感に副うように感じられるのです。“蝶が舞ふ”と書けば、蝶がひらひらと舞っている姿そのものが目に浮かびます。 ...続きを見る

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2008/10/16 09:59
思い出エッセイ〔118〕「喪われた時、場所1」
一度自分のブログの原点に立ち戻ってみたいと考えました。小学生の時、疎開した北陸の地で空襲に遭った時のことを第一回のブログとしています。あえて固有名詞は書かず、その分自由に書けるかどうか分かりませんが、虚構の思い出を書く姿勢で、思い出せるだけの記憶を綴ってみたいと思います。私にとって身近なある人の、短い追憶の記ともなるはずです。 ...続きを見る

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2008/05/16 23:08
思い出エッセイ〔100〕「昭和の生活と遊び:20年代前後(東京の冬)3」
 長い間、私は手袋というものを使ったことがありません。旧い衣類を探せば、皮革の手袋がニつや三つ、出て来るかも知れませんが、ちょっと気に入って、買ってみても、あの臭いと肌触りがあまり好きではなく、ご用済みとなります。子供の頃、東京では、冬の手袋は必需品でした。母の手編みで、鈎針で、太い毛糸をザクザクと編んだものが多かったと思います。鉤針編みは、子供でも、簡単に手伝えました。 ...続きを見る

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2008/01/03 16:26
思い出エッセイ〔98〕「昭和の遊び:20年代前後2」
 前回、「とおりゃんせ」「かごめ、かごめ」などについて、書いてみましたが、こういう童歌を歌いながらの遊びについて、もう少し書いてみたいと思います。歌って、遊んでいる本人が、意味が分からないままに、そのことを気にせず、無心に遊んでいる風景。自分でありながら、自分でない存在が、異界に捉われているような感じさえします。子供は、自分が理解できない非日常に囲い込まれることを何故すんなりと受け容れるのか。 ...続きを見る

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2007/12/27 16:17
思い出エッセイ〔97〕「昭和の遊び:20年代前後1」
 子供達が遊んでいる声がうるさい、というクレームも出るそうですが、私が住んでいるマンションや、隣接している小さな公園では、子供達が、グループで遊んでいるのを見かけたことがありません。私は、世代的に、例えば、鬼ごっこ、かくれんぼ、と言った、普通の遊びから、今や伝説になった、「とおりゃんせ」、「花いちもんめ」、「後ろの正面だあれ」(かごめ、かごめ)、なども実際に遊んでいます。そんなことを思い出しながら、書いてみたいと思います。 ...続きを見る

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2007/12/23 11:25
本の雑記帳8「『敗戦国ニッポンの記録 上巻』感想」思い出エッセイ〔94〕
 『敗戦国ニッポンの記録 昭和20〜27年 上』米国国立公文書館所蔵写真集、半藤一利編著、アーカイブス出版刊。帯に次のようにあります。「戦後のニッポンは、廃墟からはじまった。過去は懐かしむためのものではない。未来のために用意された教訓である」。私は、‘過去は懐かしむためのものではない’と言い切ることには、抵抗があります。しかし、この写真集の語るものは、確かに未来のために忘れてはならない教訓と言えます。 ...続きを見る

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2007/12/09 12:41
映画雑記帳24「「Always 続・三丁目の夕日」と昭和33年頃」思い出エッセイ〔92〕
 同タイトルの続編です。主演、助演は、登場順に紹介します。前編とも言える、最初の作品は、観に行ってみようかなと思っている中に、終わってしまいました。今回、早い時期に見てみたいと思ったのは、このニ作品が、昭和33年、34年という時代設定であると知ったからで、この年が、私にとって、大きな意味を持つ年であったという、プライベートな理由、昭和の私的思い出を語れるきっかけになるのではと思ったからです。 ...続きを見る

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2007/11/23 03:04
時事雑記帳7「NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」」思い出エッセイ〔83〕
 NHKスペシャル「北朝鮮帰国船」(2007・10・8放送)。副題が、新聞の番組と番組紹介欄で、それぞれ、‘地獄を見た・家族の半世紀’、‘知られざる半世紀の記録’、と異なっています。NHKは、新たに1万5千ページに上る資料を、世界中から得たそうで、これは、‘帰国船’シリーズがこの後も続くと考えていいのかと思いますが。朝鮮総連の元幹部と、子供の時北朝鮮に帰国して、中年になって、脱北した人が、実名で語っています。 ...続きを見る

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2007/10/09 16:01
思い出エッセイ〔70〕「弟を背負う少年」
 ここ数日の、二つの訃報記事が、私を過去に引き戻しました。一つは、アメリカ人の写真家、ジョー・オダネル氏の死去を伝える記事で、忘れることのない一葉の写真が付されていました。十歳になっているかどうか、おぶい紐で赤ちゃんを背負って、直立不動の姿勢をとっている裸足の少年の写真です。初めて見た時、赤ちゃんがよく寝入っていると思うのですが、火葬場の順番を待つ少年という説明に愕然とします。 ...続きを見る

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2007/08/13 08:05
思い出エッセイ〔46〕「「福井空襲そのT」に加える‘聞き書き’」
 ここのところ何回か吉祥寺が続いているので、ちょっと他へ出てみようと、荻窪のお蕎麦の名店、「本むら庵」に行くことにしました。めずらしく家族の一人が、その日お休みで、一緒に行ってもいいと言ったのです。一人で行くと、お酒におつまみというわけにもいかないので、私も楽しみにしていたら、暑い中、遠路?歩いて行ったのに、「厨房設備緊急修理」とかで、5月27日までお休みでした。 ...続きを見る

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2007/05/27 00:15
思い出エッセイ〔30〕「空襲・・・満開の桜」
 情報過多というより、情報無限の時代です。自分で意図して、探し当てた情報は、元も経路も覚えていますが、たまたま、目に入った、聞こえて来た情報は、自分に必要な情報そのものは、覚えていても、出所は忘れてしまいがちです。 1945年3月11日、人は一人もいないのに、上野公園の桜は満開だった、という記事にショックを受けたことがあります。東京大空襲の翌日です。 ...続きを見る

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2007/04/08 14:34
思い出エッセイ[22] 「雑記 記憶の断片を集める」
 遠い昔を思い出すことに集中し、書きとめ、更に形を得た過去の事実の周辺に思いをめぐらせていると、忘れていた新たな事実を思い出すことがあります。自分史をまとめるという最初の目的には程遠い作業ぶりですが、まずは記憶を拾って、集め、記録することに専念してみることにしました。 「エッセイ」などという大袈裟なテーマをつけてしまいましたが、これは、専用のURLを作る際、いくつかダメが出、じゃあ、これでどうだろうと何気なく確定したら、通ってしまったというのが、実のところです。せめてlightを付したかっ... ...続きを見る

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2007/03/01 01:23
思い出エッセイ〔21〕 「食の雑記帳1:おふくろの味とは」
 おふくろの味イコール肉ジャガと言われるようになったのはいつ頃のことでしょうか。ずっと違和感を覚えていました。何年位前か覚えていませんが、小林信彦氏が、週刊誌のエッセイで、肉ジャガはおふくろの味とは言えないと書いておられました。肉ジャガがポピュラーな惣菜ではなかったということだったか、おふくろの味という言葉に異議を唱えておられたのか記憶していません。とにかくその論に賛成だったことは覚えています。 ...続きを見る

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2007/02/23 10:10
思い出エッセイ〔20〕 「敗戦前後の映画(娯楽)事情−思い出すまま」
 1945年8月15日、日本の敗戦の日です。その前後といえば、一日を生きるのが大変な日々 でしたが、今回はそんな中でも映画などの娯楽は存在したということを思い出すままに書いてみます。私は前年の秋、東京から福井市に縁故疎開をし、敗戦の一ヶ月前の7月19日、空襲に遭い、敗戦の「玉音放送」は、当時身を寄せていた農家で聞きました。東京へ戻ったのは、その年の秋で、約一年福井にいたことになります。 ...続きを見る

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2007/02/19 11:37
思い出エッセイ〔16〕 「自分が最も輝いていた頃とは」   
                                                 台所仕事をしている時、満州、とか引き揚げという言葉がテレビから聞こえてきて、居間に行ってみると、満州引き揚げ体験を数人の著名な、文化人と呼ばれる人が語るという番組を家族がみていました。手を放せなかったので、音を大きくして、チラチラ見ながら、やりかけの仕事を続けたのですが、聴衆は、年恰好と言い、真剣に聞き入る様子と言い、おそらく引き揚げ体験者が多かったのではと思われます。 ...続きを見る

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2007/01/18 02:27
思い出エッセイ〔15〕 「道一つ隔てて−馬橋の思い出2−」    
 記憶というのは本当に不思議なものだと思います。私は、昔のこと特に子供の頃のことをよく覚えているので、感心されることが時々ありますが、実はその一方で、高校時代の同級生の顔や名前を半分も思い出せません。更には、例えば、以前長年住んでいた所について、毎日のようにバスで通っていた道筋の、どこに何があったか、よほど目立つものでないと、覚えていないと思います。 ...続きを見る

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2007/01/11 23:42
思い出エッセイ〔9〕 「疎開(そかい)世代」
   疎開(そかい)とルビをふってみました。疎開とは、簡単な辞書で引くと、「戦災を逃れるために都市に住む者が安全な地方へ引っ越すこと」とあります。今も世界のどこかで起きていることであり、言葉そのものは死語とは言えないでしょう。しかし現在の日本ではこの言葉を知らない人の方が多いかも知れません。  以前は疎開派という表現も使われました。太平洋戦争中にただ地方へ避難したことだけを意味するのではなく、学童疎開を経験した世代をそう呼んだのです。    サイパン島が陥落して、アメリカ軍による日本空襲... ...続きを見る

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2006/10/24 19:53
思い出エッセイ〔8〕「読書する子どもU−《馬橋》の思い出−」
 《馬橋》とは現在の南高円寺の旧名です。地名として消えたわけではなく、馬橋小学校とか馬橋神社などという形で残っているようですが。 前回、荻窪・清水町にあった母の実家について書きましたが、わがZ家の第一の拠点が「清水町」の家だったとすれば、《馬橋》の家は第二の拠り所でした(拠点ではありません)。 ...続きを見る

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2006/10/16 00:34
思い出エッセイ〔7〕 「荻窪界隈 (「清水町」の家)−1940年代−」
 1946年初め、日本の敗戦から半年、東京・荻窪にあった母の実家は満杯になりました。 唯一空けてあった応接間に私達母子三人が入ることになったからです。 祖父の代からの軍人一族で(一族と呼んでいいほどの大家族でした)、当然敗戦と共に運命は百八十度変わりました。この家も一族と運命を共にしたと私は思っています。 ...続きを見る

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2006/10/07 15:43
思い出エッセイ〔6〕 「読書する子ども−西荻の中村さんのこと−」
 「本のムシ」という言葉は、今は死語に近いでしょうか。マンガは相変わらず全盛。インターネットでどんな情報もとれる。それでなくてもテレビなどのメディアからも必要以上の情報が入って来る。一冊の本の重みが軽くなったように思います。そんなことはないという声が聞こえるような気もします。私は立派な本のムシだと。 確かにムシという言葉はまだ健在のように思われます。「マンガのムシ」とも言えそうです。 ...続きを見る

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2006/09/29 11:31
思い出エッセイ初回〔1〕「福井空襲」    清水町ハナ
 1945年7月19日、敗戦まで残すところ一ヶ月を切った日、福井市はB29爆撃機 127機により空襲され、市街は壊滅した。  この一文では、私達母子三人がおそらく福井市で一番早く避難したのではないかという(偶然の)体験について書いてみたい。 ...続きを見る

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2006/09/01 18:01

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