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zoom RSS 思い出エッセイ〔495〕「11月のある日(2014)」

<<   作成日時 : 2014/11/21 13:31   >>

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「朝顔は咲かなかった」
タイトル通り今年、朝顔の花が咲きませんでした。初めての経験です。

もうとっくに鉢の処分をしている時期なのに、朝顔の葉が青々としています。
二ヶ月近くも前に諦めて処分しようとしたら、家族が、花が咲かなくても葉っぱが生きているのだから、そのまま置いておいたら、と強く言うので、水をやり続けているのですが、もう師走も近いし、これ以上このまま置いておくわけにはいかないと思ったり、たった二鉢なのだから、とりあえず自然に放っておくと言うか・・・

実は去年も、なかなか花が咲かなくて、もうダメなのだろうと思っていたら、急に咲き出して、結構次々と咲きました。
調べてみると、お正月近くに咲き出すこともあるなどとありますが、それはおそらく葉が出てから常識的な期間に咲いたのではと思われ、今のウチの鉢のように三ヶ月も経ってからということではないと思います。
(夜間の照明にまで気をつけるなど、結構気を遣って世話をしていたのですが)

朝顔の花が咲かないなどと言うことはこの二年だけで、共通することは花屋さんで直接買ったのではなく(以前のように車で必要な分だけ買うということができないので)、と言って、配達をしてもらうにはそれ相応の金額分を買わなければならず、今は二鉢しか買わないので、netで買っているのです。
送られて来た朝顔は昨年も今年も一見して立派な鉢で、今年のは咲いた花が一輪ついていました。

子供の頃は、朝顔と言えば、自分で種を蒔いて育てることが、実技学習でありましたし、毎年子供部屋の窓の下に種を蒔いて(親戚の家ですが、ちゃんとした子供部屋がありました。戦後そんな家に、住んだことがありません)花を咲かせ、儀式のように種もとったものですが、今は、朝顔も鉢植えと決めてしまっています。

10年ほど前までは、花を育てることは趣味と言ってよかったのですが、その頃夫が病み、闘病するも亡くなり、それ以後は、何年も活きているシクラメンや蘭の鉢をかろうじてキープしている以外は、朝顔位になってしまいました。
昔の鉢の残骸を作業の邪魔になるから処分してくれと言われるオチブレ様です。

私も高齢で、今から花作りを再開することは考えていないと言うか、考えられないことですが、今葉っぱが青々としている朝顔、しかしいくら何でも今から咲くことはないんでしょうね、ただ家族が言う通り、活きているのだから、取りあえず水だけはあげようと思っています。
朝顔にこんなに気を遣ったと言うか、相当長い時間を使ったのは初めてです。


「フラメンコ」
テレビのチャンネルを廻したら、スペインのフラメンコ特集をしていたので、暫く見ている中に、フラメンコに夢中になった(見るだけですが)昔を思い出しました。

かなり以前、フラメンコをテーマにしたスペイン映画に魅入られ(タイトルを忘れてしまい、検索してみても、映画のタイトルがこれ、と自分で特定できないのですが)、とにかくそれを見て、フラメンコ・ファンになり、他の映画を見たり、遂にはアントニオ・ガデスの来日公演を見に行ったりもしたのですが、その公演を境とするように、両親の介護で忙しくなったり、仕事も休むことができず、フラメンコだけでなく、映画一つも見る時間がない時期が続き、私自身も倒れたりしました。
(この少し前、スペインを短期間訪問する機会があり、マドリードでは、クラブだけでなく、観光客が食事をするような場所ではどこでもフラメンコが付き物と知ったのですが)

漸く状況が少し落ち着いて、またフラメンコの舞台を見てみようと思い出していた時、偶然、裕福なスペイン人と結婚した若い知人が帰国して、会ったのですが、スペインでは幼稚園の時からフラメンコを習うと、華やかなフラメンコ衣装姿の娘の写真を見せてくれました。

何気なくガデスの舞台を見たことがあると話すと、彼女はキッとした表情になって、「アントニオ・ガデスは共産主義者だから、はは(姑)から絶対見てはいけないと言われています」と硬い口調で言い、私も虚を突かれたように、フラメンコの話題を引っ込めてしまいました。
(ガルシア・ロルカはどう思われているのだろうと一瞬思いましたが)

とにかくそんなとんでもない人の名前を出すなんて、と言うように表情もこわばっていたし、ことの良し悪しより、お国事情のようなものが直接伝わり、彼女が困るような名前は出さないようにしなくてはと思ったわけです。

アントニオ・ガデスは、2004年、67歳と言う、まだ十分活躍できる歳で亡くなりましたが、彼の死と共に、日本でのフラメンコ人気も一時下り坂になったように思われ、私も、ガデス一番と思っていたので、フラメンコへの気持ちが少し下降線を辿ったと言うか、年を取ると、もう少し静かな方がいいかなと感じるようになったような気がします。

テレビに目を移すと、男性のダンサーが、流れ落ちる汗、何かに憑かれたような表情で鬼気迫る雰囲気で踊っていて、フラメンコとは、人に見せるより、自分のために踊っているのではと感じました。


「高倉健さん死去」
高倉健死去のテレビの速報を見て、茫然としました。
数歳年上の方だけど、先に亡くなられることはないと思っていました。
勝手な決めつけかも知れませんけど、同じように思われた方は他にも多くいらっしゃるように思えます。

彼の名前を聞けば、あの立ち姿をすぐに思い浮かべる、と言うか、すぐにその姿が目に浮かぶ方が、例え彼の映画を一本も見たことのない方でも、多いのでは、とこれも勝手に決めつけています。

ダサいことを書くようですが、高倉健さんは、日本人男性の代表、或はこうありたいと言う日本人の姿の象徴であったように思われます。

最後の作品、【あなたへ】が、撮影された時、既に八十歳に達していたことは、驚き以外の何ものでもありません。
つまり彼には年齢がないようなものだったのです。
最後の最後まで日本人男性スターのトップだったということです。色々な意味で。

所謂任侠ものは見ていないのですが、結構彼の作品は見ているという感じを持っています。それぞれの作品での、彼の重さがそう思わせるのかも知れません。

「私」と言う雰囲気は封じ込められていた、或は特にそんな意識はせず、普段のままが俳優高倉健だったのかも知れません。

一つエッと思ったことは、江利チエミさんとの結婚です。
歌手として『テネシーワルツ』でデビューした時、その歌声、才能に驚愕しました。以来ずっとファンでしたが、健さんとの結婚が報じられた時には本当に驚きました。暫く信じられない思いでした。
おそらく健さんがよほどのファンだったのだろうと思いました。
その前に江利さんが高倉健のファンだったのだろうとも。
江利さんの親族のスキャンダルが報じられた時、大体あまりそういうことに関心がない方ですが、何故こんなことにと思いました。

江利さんは若くで亡くなられているので、こんなことを書くのは失礼なのですが、高倉健さんと江利チエミさんのファン層がかなり異なるのではと言う気持ちもあったのではと思います。私の感想ではなく、そんな雰囲気があったように思われます(と、人様のお名前を勝手に出しているようなうしろめたさを少々感じますが)。

実は年齢の所為もあって、ブログのupの間隔がかなり空いています。このことと直接関係ないのですが、高倉健さん死去の報に、このことだけで書くつもりでしたが、とてもまとめられないことにすぐ気づかされました。

何故かと言うと、その時思ったことが既に今は違う思いになっているからです。

一つこれは変わらないだろうと言うことは、高倉健さんは、日本の敗戦の時、14歳、おそらく旧制中学の三年生で、間もなくその中学は新制高校になったであろうということ、お父さんやお兄さんが職業軍人だったとありますから、日本の敗戦の影響を色々な意味で大きく受けたのではということ、お聞きしてみたかったです。

高倉健さんの訃報に最初に思ったことを書きました。ご冥福をお祈り申し上げます。  《清水町ハナ》

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