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zoom RSS 思い出エッセイ〔471〕映画雑記帳232「【永遠の0】感想」

<<   作成日時 : 2013/12/27 14:46   >>

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 【永遠の0(ゼロ)】(岡田准一、三浦春馬、井上真央、濱田岳、新井浩文、染谷将太、三浦貴大、上田竜也、田中泯、山本學、平幹二朗、橋詰功、吹石一恵、風吹ジュン、夏八木勲、監督:山崎貴)。

原作は百田尚樹作、同タイトルの作品。大ベストセラーになったと聞いています。
私も何年か前に読んでみたのですが、分厚い本で、内容も、特攻で亡くなった祖父について、知り合いを探し当てては、話を聞く孫が、祖父の誹謗中傷と言ってもいい、非難の言葉ばかりを聞かされる下りがエンエンと続き、特攻で戦死している人に対して、生き残った人がそこまで非難するという事実自体に、単純な拒絶反応さえ感じ、うんざりした記憶があり、特に若い人を中心に300万を超える売れ行きと聞いて、どの部分がうけるのだろうと不思議に思ったものでした。

映画は、原作と別ものとは言いませんが、岡田准一と言う適役を得て、「話に聞く祖父」が納得のいく存在として映像となっているところが一番の特徴、強みとなっていると感じました。


佐伯慶子(吹石一恵)、健太郎(三浦春馬)姉弟は、祖母が亡くなった時、祖父(夏八木勲)から、二人の本当の祖父は、自分ではなく、宮部久蔵(岡田准一)と言う、太平洋戦争時、特攻で戦死したパイロットだと聞かされる。

全く思いもかけないことで、驚きと共に宮部久蔵がどういう人だったか、知りたいと言う強い気持ちに駆られる。
健太郎は、司法試験に何度も落ちている多浪の身で時間もある。

旧軍関係者を辿って、本当の祖父、宮部久蔵の、戦友だった人達などから、当時の祖父のことについて聞く。
海軍航空隊一の臆病者、(妻子に再会するために)生きて帰りたいと言う言葉を口にする、非常に優秀なパイロットでありながら、いつも逃げの姿勢、現に航空戦になると、(乱戦の隙を見て)圏外に去る・・・等々、彼らの口から語られる祖父の姿は、マイナス印象のことばかりだった。

この祖父に対する非難の言葉は、原作のこれでもかと言う、執拗な感じを避けたのかどうか、あっさりかわしている感じです。

書かれたものでは、祖父、宮部久蔵の実像も言葉だけで語られるのに対し、映画は、宮部久蔵を主役としている、宮部によって語られる、それを、孫の健太郎が、まるで祖父の口からじかに聞いているような、距離なく、実感を得ながら祖父の生きた跡を体感しているような効果を出すことに成功しています。

しかし、上記のように、健太郎が、本当の祖父は、宮部久蔵と言う、特攻で戦死したパイロットと知って、その実像に迫る、と言うストーリーを、無駄のない、見せ場も多い、見応えのある作品として作り上げた、と言うことが、必ずしも、あの戦争について語っているとは言えない、と言うのが、私の感想の一つです。

妻子と生きて再会したい、そう言う思いを口にしただけで、或いは行動がそのためと思われただけで、久蔵は、パイロット仲間から、戦争が終わって、何十年経っても、航空隊一の臆病者と言い続けられる、その設定が、いささか不自然、と言うか、納得がいかない感じがします。
単純に戦争批判を意味している部分と言うことなのでしょうか。

家族と生きて再会したい、それは当時誰もが思っていたことでしょう。仲間内で一度や二度口に出したからと言って、すぐ臆病者と誹られることでもなかったと思われます。
要は、そのために戦闘中などに、現実に逃げの姿勢や行動をとったとされていること、そのことが問題、或いは現実に可能なのか、という疑問を持っています。
宮部中尉は、最も優秀なパイロットの一人と言われ、教官でもある(戦闘中、編隊を率いる立場にあったと思われます)という設定です。

学徒動員、と言う異例の召集により、海軍パイロットとなったという事情があるとは言え、軍人であることは厳然たる事実で、妻子を一番に守りたいのは当然ですが、無防備のまま、空襲と言う敵攻撃により亡くなった多くの日本国民を守る義務が最優先の筈です。
一夜の空襲で10万人が亡くなった東京空襲、20万人以上が亡くなった広島原爆、中小都市に至るまで、空襲により多くの日本人が亡くなり、都市は壊滅しました。
私は子供の頃、疎開先で敗戦の一ヶ月弱前に空襲され、小さな街の壊滅率は90%以上でした。
127機のB29による猛爆の間、日本軍による反撃は全くありませんでした。街全体がこれ程燃えさかっていてもまだ焼夷弾を落とすかと言う状態でした。反撃の手段は全て失われていたからです。

特攻と言う本来あってはならない攻撃法が実施されるようになったのは、既にまともに戦える状態になかったからではありますが。

単なるストーリー、おはなし、と思っても、まだ零戦による空中戦が華々しく展開されている時に、逃げの姿勢をとるパイロット、と言う設定に、疑問と言うより寂しさを強く感じました。

妻子(井上真央)を本当に愛し、何が何でも生きて再会したいと思っていた久蔵も、ある事態を経験して(或いは招いて)、考え方を変える。それがクライマックスに繋がります。

岡田准一は、風貌も雰囲気も、アクションが非常に達者であることも、小柄であることさえ、零戦パイロットとしても、この物語の主人公としても、他に誰も思いつかない適役であり、その起用に充分に応えていると思いました。
三浦春馬も見せ場の少ない役ながら、戦後の、何もかもが戦争一色と言うこれ以上の非日常は歴史にもない時代を全く知らない世代が、突然、実の祖父の存在という突発的な出来事から、祖父と戦争の真実に近づいて行く役割を、気負うことなく演じていました。

長い出番ではありませんが、久蔵の妻役の井上真央が、特に久蔵が戦死してから、幼子とバラックに住んでいる、その佇まいが、無言のうちに凝縮させている悲しさを観客にも感じとらせ、心うたれました。

派手な空中戦のシーンもあり、真珠湾攻撃や、日本が大敗したミッドウェー海戦、とにかく画面で、多くの零戦が飛び回り、若い人には、こっちが見たかったと思うのではと言うシーンも多くあり、先の戦争を語ろうとしたのではない、戦争は、言わば背景、物語的に最もバラェティや変化を持たせやすい、そんな考え方も多少はあるのかも知れません。
戦争を語っているけど、エンターテインメント性も大きい作品、私にはこういう捉え方が納得のいく位置づけです。  《清水町ハナ》

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