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zoom RSS 思い出エッセイ〔468〕映画雑記帳229「【悪の法則】感想」

<<   作成日時 : 2013/11/19 07:45   >>

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 【悪の法則】(マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット、監督:リドリー・スコット)。原題は“THE COUNSELOR”。

日本語でも使う、カウンセラー、と言う原題、米語では弁護士、法廷弁護士の意味でも使うとありますが、本作では主人公の弁護士の呼び名になっています。それにしても、「悪の法則」とは仰々しくて、面白みのないタイトルと思ったのですが、見終わって、この邦題、正解と感じました。
“SIN is a CHOICE.”と言う副題もあらためて重みを感じさせられました。


主な登場人物は、皆、相当裕福である。享楽的な生活を送り、派手な言動が目立つ。
その仲間入りをしたばかりの、「カウンセラー」と言う通称で呼ばれている弁護士(マイケル・ファスベンダー)には、まだ控え目なところが感じられる。
彼らは、メキシコとアメリカの国境での麻薬取引に関わっている。

カウンセラーは、航空機乗務員である、美しいローラ(ペネロペ・クルス)を愛していて、結婚したいと思っている。
わざわざアムステルダムに行き、有名なダイアモンド商から高価な指輪をエンゲージ・リングとして買い受ける。
弁護士とは言え、さすがに無理と思える買物で、こうしたことが彼を裏ビジネスに関わらせたと言っているようでもあります。

彼を引き込んだのは、友人の、レストラン他、手広く事業を経営しているライナー(ハビエル・バルデム)で、彼は、いつも二頭のチーターを連れ、背中いっぱいにチーター様の刺青をしている美女、マルキナ(キャメロン・ディアス)と暮らしている。

彼らと距離を置いている仲間、ブローカーのウェストリー(ブラッド・ピット)は、カウンセラーに、取引に関わっているメキシコ側の組織の残忍さを語る。
例えば、遠方から金属のワイヤーが放たれ、首に巻きついたら最後、機械仕掛けになっていて、絶対取り外すことができず、首を切り落とされてしまう、残酷な殺害方法のことなど。
何かあれば自分はすぐに逃げるとも告げる。

組織の運び屋である、若いスピード狂のバイカーが、ある日、ヘルメットに取引の品を隠して走行中、ワイヤーのトラップを仕掛けられ、首を切断されて、品物を取られてしまう。

それがカウンセラーのやったことと組織は決め込んでいると言う。カウンセラーには全く覚えがない。
ライナーらに思い当たることがあるだろうと言われ、カウンセラーはありのままを話す。

現在、弁護を担当しているメキシコ人の女性犯罪者がいるが、そのバイカーが彼女の息子であることも知らなかったし、息子が彼女に会いに来た時も会ってもいない、そもそも弁護担当は、裁判所から依頼されたことで、事件とは一切関係がない、と。
しかし組織が一旦こうと判断したら、確実に報復が始まると言われる。

折しもローラが、間もなくカウンセラーのところにやって来る。
ライナーはマルキナとチーターを連れて、車で逃げ出す。
ウェストリーは他の国を経由して、ニューヨークに逃れる。

カウンセラーは、追い詰められる。


それぞれのセリフが一つ一つ重みのある意味を持つ、と言う指摘を何かで見かけましたが、確かに最初から、例えば老いたダイヤ商がダイアモンドについて語る言葉は全て、そのまま人生についても当てはまるように思えます。
完全無欠のダイアモンドは無色透明である。そこにちょっとした色がついているという欠点が入ることによって、そのダイヤの存在価値が増すというような意味の言葉などです。
少々意識して気をつけてみると、ほんの端役のセリフも軽い感じがないと言うか、無駄がなく、ドラマの前半の雰囲気にある種の堅さ、重厚さを持たせているようで、つまり日々は、確かに着実に過ぎて行っている、何の問題もない、そういう雰囲気に浸り込んでしまう効果を齎しているように思える(若干の退屈に繋がった人もいるかも知れません)、どんな小さなセリフも大切にしている、練っているということでもあるかと思いますが。

それが、カウンセラーが裏切ったと組織が断定しているという下りとなって、突然、見ている者は混沌に巻き込まれる。言葉がものを言う世界から、暴力が全てを覆うことになる。

カウンセラーの、自分は無関係と言う説明は、観客には理解できるが、一方、客観的に見ると、組織を納得させられるものではないだろう、ということも事実では、と感じる、もうあっち側に足を踏み入れているのに、まだこっち側の善良な?市民の常識が通用すると思っている。「カウンセラー」の身に滲みついた、法廷で通用する‘事実’かも知れません。
既に組織は報復に動き出していることが描かれ始め、この辺りで、観客もカウンセラーの側の混乱に感情的に入り込んでしまう。

いついかなる形で現れるか分からない組織に、一緒になって怯えさえ感じ始める。
実際組織の人間によって、殺人に使われたトラックは、工場で、痕跡をきれいに拭い去り、修理もして、新品のような車になって、出て行くし、死体を閉じ込めた液体入りのドラム缶(様のもの)は、そのままアメリカとメキシコを、必要とあらば、何往復でもする、そんなことを組織の関係者は得意気に見せびらかすような調子で語る。
罪の意識どころか、仕事を楽しんでいるようでもある。
どこに、どんな姿で、報復の人間がいるか、全く分からない。

こうした映画は、観客は、この人はまさか殺されたりしないだろう、と言う暗黙の了解、と言うより勝手な思い込みを持つのが普通のことではと思います。それが早い時期に殺されてしまったらしい、まさか、でもあの場面では、生きているはずがない・・・え、この後どうなるの、と強い不安が湧く。
映画のペースに完全に引きずり込まれてしまう。少なくとも私は。あまり経験したことのない精神状態になりました。自分が、カウンセラーの一部になったような気分になってしまった。

この映画は、ストーリーの殆どを粗筋として語っても、後半からラストに至る恐怖、逼迫感、絶望感と言ったものを全く語り得ないと思います。
カウンセラーの、汗をビッショリかいて、怯え切った表情は、演技を超えているように感じました。もしかして、俳優は、どこからどうやって殺し屋が現れるか、知らされていなかったのでは、とも思った程、真に迫った演技であり、全身に怯え、怖れ、既に彼女は消されたことは確かだと思うけど、姿を見ていない、どこに向けようもない悲しみを抱きながら、この場を何とか逃れても、自分もいつか必ず・・・

私は、ホントに怖い、と思いました(当然ながら、コワイところを殆ど書いていないので、コワさが伝わらないかと思いますが)。
途中からほぼ完全に映画のペースに巻き込まれたのです。
実は真の犯人は、と言う下りがあるのですが、私にはピンときませんでした。その犯人もいずれ同じ運命と考えた方が自然に思えました。

くどいシーンが多い(私から見ると)、好きなタイプの映画とは言えない。特に登場人物にシンパシーを持てる者が少ない。
しかし久しぶりの、真に映画的な映画、好き嫌いは別にして、映画はこうでなくてはいけないのでは、と感じました。どこがとは言えないけど。

評価も好き嫌いも分かれる映画だと思います。しかし、少なくともこれだけの重量感のある映画はそうは現れないのではと言う点では、お勧めと言えます。
コワさを引き摺ったままで、帰り、映画館のお隣のスーパーで買物をするのを忘れてしまいました。  《清水町ハナ》

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