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zoom RSS 思い出エッセイ〔464〕「10月のある日(1)」

<<   作成日時 : 2013/10/25 14:14   >>

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 「テレビのワン・シーン」 「将軍と残留兵」

「テレビのワン・シーン」
「心旅」(NHK)の一シーン。
東北の田園地帯。刈り取られた稲を高齢のご夫婦が脱穀しています。

子供の頃、疎開先で空襲に遭い、数ヶ月間、農家で間借り生活をしたのですが、収穫期、農作業のお手伝いをしました。
脱穀機を使う作業は子供には危険だからと言われたのですが、気をつけてやりますと言って、やらせてもらいました。

オルガンを弾く時のように、足でペダルを踏んで、逆V字の金具が一面に埋め込まれた胴部分をグルグル廻し、それに稲束を押し付けて、籾を落とすのですが、油断すると引き込まれて大怪我をすることがあるとか、確かに片足で立ってペダルを踏んで、かなり強い引っ張られる力に抗しながら、一粒も残さないように籾を取り去るのは、難しく力も要る作業でした。

東北のお年寄りは、80代後半、もしかしてもっととも見える方達で、脱穀機を前にして、どういう作業をしておられるのだろうとカメラの目線と一緒に覗き込むように見ました。
稲束を入れると、自動的に脱穀され、更に取り残しも余さず取り、稲束がポイっと前に投げ出される、足踏み式脱穀機とは大違いの全自動と言っていいもので、今はこんなに楽になっているのかと感慨を持ちました。
昔は刈り取った稲束は、横に長く乾していましたが、今は、人型と言うか、上に高く積み、1回で持ち運べるようになっているように見えました。

稲の収穫作業などを目にする機会がなくなってしまって、久しぶりに脱穀の様子を懐かしくも、感慨を抱いて、特に最後にポイっと稲束が出て来るところが、ホラ、今はこうよ、一丁上がり、と言っているようでユーモラスにさえ感じました。

このお二人は、足踏み式脱穀機の苦労を長く経験してこられたに違いなく、ポン・ポイっ、に辿り着いたことを、ご褒美と思っておられるかも知れません。

昨日は、テレビをつけてみると、坂の街、尾道が映っていて、石段を上がるお年寄り(と言って、本当に若く見える方で、91歳と聞いて信じられない思いがしました)にタレントの照英さんが一緒にお宅までついて行く場面でした。

一番高い所にあるお宅まで、息が上がる風もなく、淡々と歩かれ、ここで生まれ育ったのよ、道筋にある学校を、この小学校を出たの、などと紹介しながら、余裕の歩きをされていました。

ご主人は17年前に亡くなられ、一人暮らし、お宅は見事に片付けられ、(病気の時などどうするのかという意味の質問に)ご近所で助け合っているとのこと。
照英さんが涙を流したのが印象に残りましたが、高齢期をこの方のようにいつも昨日と同じように淡々と生きられたら、と思いました(NHK・BS3「ぐるっと瀬戸内旅」)。



「将軍と残留兵」
今月の4日に102歳で死去した、ベトナムのヴォー・グェン・ジァップ将軍は(当時の表記に従ってジァップ将軍を用いて来ましたが、現在はザップで統一されているようなので、以後この表記を用います)、説明するまでもなく、ホー・チ・ミン大統領の右腕と言われた人で、大統領亡き後は、ベトナムの国父と呼ばれる存在でした。

戦前(第二次世界大戦)から、宗主国フランスに対して反植民地主義活動を展開し、夫人と姉妹は刑死したと言われます。
戦中は、共産主義集団として、ベトミンなどと呼ばれ、1945年3月10日に明号作戦が実施されるまで絶大な権力を振るっていた仏総督府勢力と、駐留日本軍に度々ゲリラ活動をしかけていた。

戦後は、第一次インドシナ戦争からベトナム戦争に至るまで、事実上の最高指揮官だったことは周知の通りです。
考え方は異なっても、長年筋を通した生き方は尊敬に値します。

などと最初にビッグ・ネームを出してしまいましたけど、将軍について特に詳しく知っているわけではなく、また直接関係のあることを書くつもりでもありません。間接的に関連があることと言ったらいいかも知れません。

個人的なことに話を落としますが、20数年前に仕上げた拙い論文をまとめる過程で(ほぼ終了していた時点で)、敗戦後、ベトナムで既に政治的にも実権を握っていたホー・チ・ミン勢力に、駐留日本軍の、佐官級の将校も含む多くの将兵が、加わった、つまり日本への帰国の道を選ばず、その後長く続く対フランス、対アメリカの戦闘に行動を共にした、と言うことを複数の資料、情報で知って、非常に驚き、本文と関連が薄いのに、追加の形で書き加えました。

少佐2名を含む、約800名という数字は資料の裏づけがあり、数千人という数字が挙げられているものもあり、また佐官級の上官から、帰国せず、現地軍への参加を決心した心境を聞いたと言う叙述も目にしました。
明号作戦実施と同時に独立したベトナムの初代政権、トラン・トロン・キム首相傘下の軍に参加した将兵もいると言う指摘もありました。

その後も、言わば書きっ放しにした、この事実について、もっと詳しく知りたいと思いながら、手がかりが得られる資料に出会えず、しかしこの事情について最も詳しく知っているのは、ベトミンの時代から、ホー・チ・ミン政権に至るまで軍事面の最高指揮官であり続けた、ヴォー・グエン・ザップ将軍であることは、確かと思えました。

幼稚な思いつきながら、ザップ将軍、敗戦後ベトナムに残留し、将軍の指揮下に入った日本の将兵の詳細、その後について教えてください、と言う意味の文を書いて、新聞の投書欄に投書しました。当然?没になりました。
当時ザップ将軍は80代の高齢でしたから、早く聞いた方がいいのではと言う、一人で考えても仕方がない焦りを感じていました。

その後はっきり覚えていないのですが、10年位前だったか、NHKでベトナム残留日本兵のことを取り上げたドキュメンタリー番組が放送され、日本軍将兵から、軍事指導を受けたベトナム軍将兵の集い(当時の日本人上官?に感謝、記念するという趣旨だったと思います)がある、と実際に集まって来た人達に(来ていたのは、数人レベルだったと記憶しています)インタビューをして、内容は覚えていないのですが、残留日本軍将兵は確かにいたこと、ベトナム軍を指揮または指導する立場にあったことが事実と分かりました。
そしてこの時ヴォー・グェン・ザップ将軍が僅かな時間、登場して、ひと言日本軍将兵に感謝するという意味のことを述べました。おそらく初めての、当時のベトナム軍最高指揮官によるテレビ画面を通しての日本軍将兵残留肯定の言葉です。

ザップ将軍死去の報に感慨を抱きました。
少し調べてみると、残留日本兵については、その後研究も行われ、ベトナムでも公認、公表、共同研究の動きがあることを知りました。  《清水町ハナ》

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