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zoom RSS 思い出エッセイ〔461〕「9月のある日(1)」

<<   作成日時 : 2013/09/30 08:35   >>

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「異常気象の夏は終わった!?」「吉祥寺のこと」

「異常気象の夏は終わった!?」
ひと晩エアコンをつけなかった。多分初めてのことです。もう九月も終わるというのに。
朝は冷っとするほど涼しかったのに、お昼頃から、陽射しが眩しく暑くなったものの、空気が割りに乾燥している所為か、真夏の暑さとは違う、秋の気配を感じました。
おそらくこのまま徐々に秋は深まる・・・

それにしても、あの猛暑、夕立と言うより豪雨、雷がいつになっても止まない、そして特別警報も出た列島直撃の台風被害、今年の夏は普通ではなかった、そんな印象です。

京都と北陸に親戚がいるので、台風の被害はだいじょうぶだったか聞きました。
自分の所はダイジョウブだったけど、同じ地域でかなりの水害が出た所もあるということでした。

ウチも、台風も警戒しましたが、その前日に降った豪雨で、バルコニーに見る見る水が溜まり、20センチ近くもの高さになり、ビックリしました。雨の勢いに、一番端にある小さな排水口では、排水が追いつかず、バルコニー全体がプール状になってしまったのです。
マンションの上階で浸水、マサカ・・・夜中何度も起きて様子を見ました。バルコニーの縁が、窓の一番下より少し低いので、そこから外に溢れるのではと気休めを考えたりしました。

この信じられない現象?は今年2回目で、少し前に豪雨が降った時も、バルコニーに水が溜まりました。今迄一度も経験したことがない、激しい、雨の降り方でした。
雨が降り止んでも、すぐには水が引かない、一年前の塗装工事で、傾斜の付け方にミスがあるのではないか、などあれこれ思っていますが、とにかく、排水口がかなり高い柵の外側にあって、簡単に近づけないので、柵の間から手を伸ばして、箒で擦るようにしか掃除できない、何故だろう、ちょっと考えて、すぐ分かりました。柵がもっと外側についていたり、開き戸などが作ってあれば、子供が事故に遭う怖れがあるからでしょう。

わが家は西の角部屋で、初めて空全体が見えるところに住んだのですが(玄関の外へ出ると、新宿の高層ビル群も見えます)、最初の中なかなか慣れなかったのが、雷の稲妻で、全天のあちこちに稲妻の光が走るのが少々苦手でした。それも慣れたと思っていたのに、今年は雷が多くて、8月のいつ頃だったか、夕方から稲妻があちこちで激しく光り始め、一度は地面に落ちたらしく、三角形の太い稲妻が凄まじい雷鳴と共に地面を直撃した時は、心臓がドキドキしました。

もうカーテンを閉めようと言うのですが、家族はこんな豪快な景色はそうは見られないとか言って、言うことを聞きません。
普通は暫くしてから、止むのに、この日は激しくなるばかり。
遂には、黒い雲全体が、あちこちで光って、空に無数の稲妻の塊が発生したように見える始末。ベランダなどに今にも落ちそうで、さすがにカーテンを引くことになりました。
夜じゅう雷鳴が続いて、雨も激しく降り、こんな雷雨は初めて経験しました。

そして猛暑による熱中症患者数がうなぎのぼりに増え、特に亡くなった方は高齢者が多く、検索してみると、詳しい数字が分かります。
例えば、救急車による熱中症搬送者は、5万8千人に近いとありますが、当然それ以外に多くの患者がいるわけです。

高齢者が、就寝時、エアコンをつけなかったから熱中症になって、亡くなったという報道も度々目にしました。
私は、長年、就寝時にはエアコンを消していました。
家族が、エアコンをつけて置かないと、寝ている間に熱中症になるからと、必ずつけるように言って、消してあると、勝手につける始末。

体が冷えて目が醒める時も度々で、そんな時は消していましたが、ところが体がエアコンに慣れて来たと言うか、夏期後半にはつけたまま寝ることが当たり前になっていました。

冷房、エアコン、と言うのは、家電の中でも普及が遅かったと思いますし、今でも全室にエアコンを入れているお宅はそうは多くないと思われます。
電気の消費量も相当で、ウチも三室でフル稼働をしていた頃は電気料金は突出して高くなっていました。

大体つい何年か前まで、高齢者にエアコンはよくないと言われることもあったと思います。エアコンをつけなかったから、亡くなった、というような言われ方は、聞いたことがありません。

私が子供の頃は、赤ちゃんに扇風機をかけっ放しにしてはいけない、死ぬこともある、と言われていました。何らかの根拠があると信じられていたと思います。

学校は、暖房はあっても冷房はありませんでした。
子供達には夏休みがあるけど、会社は短い夏休みしかありません(昔は夏休みを設けている会社は私の知っている限りではありませんでした)。炎天下で働く人も多くいます。

熱中症は日射病と言われていて、暑い夏は、必ず帽子をかぶる、暑い盛りには外で遊ばない、外出は日陰を歩く、など注意事項があり、水分をとるようにと特に言われたことはありませんが、冷やした麦茶が夏になると用意されました。
氷などの冷たいものは、お腹をこわすことの方が心配され、水に氷を入れることはなかったし、外でかき氷を食べる習慣もありませんでした。

夜は、寝る前に戸を開け放して、ひんやりした夜風を入れて、冷気を充分にとり込む。
マイ団扇があり、蚊帳に入って寝る時も自分で風を送りながら、いつの間にか寝てしまう、という感じでした。

カンカン照りの日も多かったけど、家の中で日射病になったという話は聞いたことがなかったし、まして死に至るという話は、当時だったら、他に原因があると考えられたと思います。
新聞とラジオだけしかない頃で、例え熱中症で亡くなっても、報道されることがなかったと思いますけど。

20数年前、ヨーロッパで40度以上になる日もある暑さが続いて、死者も出たと言う時があって、団体旅行が中止になるケースも多かった時、私が申し込んでいたツアーは催行人数をギリギリ充たしていると、実施されることになりました。
死も怖れない猛者の集まりなどと冗談を言ったりして、出かけたわけですが、最初の国、ギリシャの暑さと食事の不味さ(今は美味しくなっているかも知れませんが)にはウンザリと言うより、この旅行無事に終えられるかなとチラと思いました。

特にアクロポリス(多分アテーナイの)神殿を訪れた時は、非常に暑く、神殿を一周することを一瞬躊躇したのですが、記念にしたいしと、大理石が磨耗してツルツル滑って歩きにくいのを歩き出し、もう戻ることもできないところまで来た時、この暑さ、周囲4キロもあると聞いたし(神殿の大きさを考えると、4キロは間違いか別の神殿を歩いたのかも知れません)、ダイジョウブかなと弱気になりました。

3分の2以上歩いた時、一緒だった人達はバラバラになって、近くに誰もいなくなり、暑さと疲れで汗もダラダラ流れて、それこそ熱中症状態になったけど、歩き続けるしかない、あと少しと、更に歩くといつの間にか数人以上の男達に遠巻きに囲まれていることに気づきました。服装などから、地元の人間と思える、所謂ガラが悪く見える連中です。神殿の外側はオリーブ畑、次第に囲みを狭めて来る。

意を決して?私は残った力を振り絞って、走り出しました。
そうしたら、何と男達も、逆の方向と言うか、思い思いと言うか、走り出し、あっと言う間に見えなくなってしまいました。
ホッとして、暑さと疲れと恐怖が極限の状態だったのが、一瞬で気分が楽になりました。

一番最初の訪問地、ギリシャが本当に暑くて、アブナイ経験もしたので、そのことばかりが今も印象に残っているのは、フェアではないとは思いますが、次のベネチアに着いて、運河が目の高さにあるレストランで、色々な貝がタップリ入った、パスタを口にした時、皆異口同音にホッとした!ここに来られてよかった、ほんとに暑かったわね、などと言って、やっとくつろいだ気分になれたのです。

横道に逸れてしまいました。
逸れついでに書き足す、と言うと、何ですが、これぞ熱中症と言う状態になったことがもう一度あります。
十数年前、ウォーキングをしている時、暑い日だったのですが、玉川上水沿いと言う木陰を歩いていたので、特に問題もなかったのに、途中で、道を変えた時、住宅街に迷い込んでしまい、スゴイ暑さに初めて気がつきました。35度前後あったのではと思います。
誰かに尋ねようと思っても、お昼時で、人影もなく、お店なども見当たらず、急速に気分が悪くなってきました。

電車の音を頼りに、私鉄の小さな駅に辿り着きましたが、すぐ電車に乗る気力もなく、無人のホームで、2、3台の電車をやり過ごし、やっと電車に乗り、終点に着いたところで、ウォーキングに疲れ、熱中症気味の時の特効薬、かき氷を食べた(飲んだ?)ところ、スーッと気分が回復しました。

私は、自身では、熱中症は、一杯の氷水、緊張や疲れからの解放、などちょっとしたきっかけで症状が回復するもの、と言う認識を持っていましたが・・・

今は、外へ出ても、バスや電車も、行き先の建物も、冷房が効いていて、その分、炎天下を歩いたりする時、温度差が大きく、それが体調に影響するのではと感じています。

熱中症、という字を目にしない時はなかったと言ってもいいこの夏、医療面のことは何も言えませんが、常にエアコン頼りで熱中症を防ぐと言うのも無理なことに思えます。
エアコンにしがみついていることもできないし。
温度の変化に体調を合わせられる体作りなどということはできないものでしょうか。

とにもかくにも異常気象の夏は終わったようです。
猛暑も、頻繁な豪雨や雷雨も、元は地球の温暖化が進んでいることに発していると言う記事も読みました。
秋の始まりに、来年の夏のことが頭をよぎると言うのも、あまり普通のことではありませんね。


「吉祥寺のこと」
「ゆらぐ吉祥寺ブランド」と言う気になる、新聞のタイトルが目につきました(『読売新聞』2013/09/27)。
「武蔵野の未来」と言う3回シリーズの(下)の記事です。
「駅利用は停滞、落ち込む商業」と言う、中見出しがあります。

今は、吉祥寺について詳しく考える、書く用意もありませんが、最近感じていることを一部書き留めるという感じで書いてみたいと思います。

記事は、中見出しの通り、吉祥寺駅の乗降客数が2000年度新宿に次いで2位だったのが(中央線新宿以西)、立川に逆転され、今は中野に差を詰められているということ、駅周辺の小売業の年間商品販売額も1997年には立川を大きく上回っていたのが、2007年に立川を下回ったとあります。

自分のことになりますが、長年殆ど縁のなかった立川を結構利用する?ようになったのは、ここ数年、墓参の帰りに、立川で降りて、故人が好きだった洋食屋さんのあるデパートでお店の名前を冠したお弁当で締めとするようになったことが始まりです。

吉祥寺には近鉄(後に三越)、伊勢丹、東急、の三店のデパートがあったのですが、二店が撤退して、今は一店しかありません。
この頃のデパートは、デパ地下を充実させたり、割引率の大きいポイント制を取り入れたり、集客の工夫をしていて、寧ろ二店以上で競合した方が活気に繋がるように思えるのですが。

立川は、駅ビルにも大型店が入っていますし、駅前と至近距離にデパートが二店あるのもちょっと降りて寄って行こうという気になりますし、両店とも入口に席が多くある休憩や待合を兼ねた場所をゆったり設けているのも、自然と足が向く気分になります。
歩きが続かない私は、広い立川駅構内を歩くと、まず駅前のデパートで休ませてもらいます。

吉祥寺は駅構内が複雑と言うか、整備されていないと言うか、待ち合わせをして、一度で会えるケースは少ないと言っていい程です。
前に何回も来ているからダイジョウブと言う人も、まず、待ち合わせ場所や商店街からは離れているメインの改札口に出てしまいます。

今から無理を言えないことを言っても、仕方がないと思いますが、駅と言うのは、やはり改札口を出たら、目の前に広場や商店街が広がっていることが望ましいように思います。
はるか以前から例えば南口はこういう構想、などと聞いていましたが、ここが井の頭公園に行く出口だろうかと言う、バス1台がやっと通れる細いゴチャゴチャした道の向こうに井の頭公園に続く道が見えると言う風景は変わっていません。
立川は、今も変わっているし、変わることはできないと思えた三鷹駅と駅前も変わりました。

吉祥寺駅に辿り着くのも結構時間がかかります。
交通事情が一番影響が大きいのですが、バスが、渋滞もさることながら、(以前、書いたことがあるのですが)、デパートなどがある通りからは一番遠い、言わば、吉祥寺駅の反対側の端に止まり、その間、エンエンと停留所がない、午前中、一つ手前、と言っても、終点からはずっと離れている「公園前」にも止まらない。
バス路線を変更するのは難しいのでしょうけど、ガード下を通って、右折して駅へ出ることができれば、乗客も助かるのに。

ウチのマンションの近くに、十数年の間に、多くのマンションが建って、バスは座れないことも多い。終点までに下車する人は皆無に近いので、立ったまま。
渋滞すれば、時間がかかる、歩きが続かなくなると、立つことも続かなくなる、だらしないことですが。
やむを得ずタクシーを利用することになります。外出回数がかなり減っているので、それ程負担にはなりませんが、大きなスーパーでまとめ買いをして、配達してもらう、それだけで帰る、買い物を楽しむという感じはありません。

若い人に魅力的な街作りと言っても、若い人は仕事を持っているから、休日しか来られない。平日の買い物客、主婦層や、高齢者層の存在も考えないと、この層が素通りしてしまうお店が殆どだと、買い物客の増加には繋がらないように思います。
第一武蔵野市の平均年齢は50数歳と言う数字を見ました。
駅ビルへの集中も外の商店街にはあまりメリットがないように見えます。

記事を読んで、思いついたことだけを書いてみました。
吉祥寺で、長年買い物をして来ました。
武蔵野市は、夫の、ほぼ終生の仕事場だったし、私の最後の仕事先も吉祥寺だったので、色々な意味でいい方向へ向かって欲しいと思っています−2013/09/28−《清水町ハナ》

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