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zoom RSS 思い出エッセイ〔454〕「7月のある日(2)」

<<   作成日時 : 2013/07/31 09:06   >>

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 「マンションの押売り」「ターシャのガーデン」「八甲田山遭難」

「マンションの押売り」
感じの悪いタイトルですが・・・
所謂オートロックのマンションに住んで、十数年になります。
バブルの時代は、超高級マンションが多く建てられ、色々機能もついていたでしょうけど、わが家は、バブルが終わってから、求めたので、築10年以上の普通の3LDKでさえ、1億などと信じられない値がついていたのが、大幅にダウンして、大雑把に言って、半額位まで下がった頃だと思います。今はまたその半額近い値まで下がってしまいました。

それでも、ここが終の棲家と落ち着いた気分でいられるのは、一つはオートロックであるために、ウチに用事がある人だけしか来ない、所謂押売り、それに類する人が来ないことも楽な静かな気分でいられる理由の一つだと思います。

入居して暫く、管理事務所が閉まる、夜、時折、設備関係の社名を名乗る人がチャイムを鳴らして、鬱陶しかったのですが、それもなくなって、結構長く、そのテの人達は来なくなりました。
防犯カメラを取り付けたり、防犯の設備が整って来たからかも知れません。

ところが、少し前の夜、設備関係(ある種のプライバシーなので、具体的に書くことは控えます)の売り込みの人が、マンションの玄関に来て、インターフォン越しにかなり執拗にある設備の取替えを勧める。

断っても、食い下がる、と言うか、巧みにインターフォンを繋ごうとする。
管理事務所が閉まってからの勧誘行為は止めてもらいたい、或いは、設備関係はマンションの理事会を通しているから、などと言っても、これは個人的な契約に関することだから、などと尚も続けるので、取り替えない、買わないと言って、切ったのですが、それから程なくウチの玄関のインターフォンを鳴らして、返事をする間もなく、また同じことを言い出す、さすがに気色ばんで、今玄関で断ったのに、何故ここへ、と言うと、他の家で開けてもらった、と、とにかく全く動じる気配もなく、シャーシャーとしている。

これ以上取り合う必要はないと、切ったのですが、自分が代わると横から言っていた家族が、他の家で開けてもらった、なんて、すぐ来たじゃないか、集金とかウソを言ってあけさせたんだ、などと言います。とにかく尋常でない食い下がり方、と言って、自信あり気な冷静な感じで話す、執拗な勧誘ぶりに、今後気をつけなくてはと思ったのですが、それから、二三日して、要注意事項の掲示が出て、最初にウチと同じ設備を売り込み、他のあれもこれも、と何箇所かの設備取替えを勧め、大きな請求額を言った、と、おそらくその時点で断ったのではと、思われる内容が書いてありました。
設備関係は、マンションで取り決めたことでは、とでも思い込んで、話だけなら聞いてもいいと思う方がいたのでしょう。

これだけの話なら、いくらでもあることでしょうけど、もう一つ気になったことがあります。
テレビを廻したら、ドラマをやっていて、会社の、重役か、とにかく役付きと思える人物が丁度しゃべったセリフです。
正確に覚えているわけではないのですが、いくつかのキーワードに驚かされました。

わが社は、高齢者をターゲットにして、(取り込んで)、○○や、○○を売り込んで来た、という意味のことを言っていたのですが、その社が高齢者に売り込んだと言う数種の品の中にウチに来た押売りの売り込み設備がありました。

ドラマとは言え、聞き捨てならないセリフです。実例を言っているのかどうか分かりませんが、中堅以上と見える会社が、高齢者対象を意識して、高額の設備関係の品を売って来た・・・そう言う実情がなければ、かなりシビアな内容を扱っているらしいドラマのセリフにはなり得ないのではないか。
そこにお金持ちがいれば、金融機関が狙う、と言うのとワケが違うと思います。

あの押売りも高齢者狙いだったのだろうか。夜は声が響くので、インターフォンに話しかける声はかなりの所まで聞こえます。ウチに真っ直ぐ来た感じでした。
もしかして、取りあえず話を聞いたらしいお宅も高齢者だったのかも知れない。

そう言えば、最近、見出しだけ見て、中身を読んでいないのですが、高齢者に何十万円だかの服を売りつけ、結局その店が入っているデパートが返金したと言う新聞記事がありました。
その店にも高齢者に対する売りつけマニュアルがあったのかどうか。対象によって、マニュアルをつくることまで、規制はできないかも知れませんが。

お金だけ取ってしまっては犯罪になりますが、高齢者は落とし易いと踏んで、例えば設備用品を、交換などが必要もないのに、売りつけたとしたら、リッパな押売り、不当セールです。
高齢者イコール弱者と言うわけではありません。押せば、落ちるものでもありません(と言う突っ張った姿勢こそがアブナイとは言われることですが)。
私自身は、父が亡くなってから、自分よりずっと高齢の、父の友人の方々に、こういう人生の送り方もあるということを教わって来ました。そのことをいつか書いてみたいと思っています。
押売りから、〆があらぬ方向へ行ってしまいましたが。


「ターシャのガーデン」
久しぶりにターシャ・テューダーの番組を見ました(NHK・BSプレミアム、7月22日)
今迄も、再放送かどうか気にせず見て来たので、一度見ているかも知れないと思いましたが、ちょっと違う、初めて知った(ような気がする)ことも多く、或いは編集によって、少し変わっている場面もあるのかも知れません。

例えば、ターシャと、グラハム・ベルは、お母さん同士が親しく、実際に会って、話を聞いたことがある、と言うことは、覚えていたのですが、その時は、ベルが黄色いバラが好きだという話だったと思います。
この日は、ベルは、ルピナスの花が大好きで、歩く時、両手にルピナスの種を持って、(アメリカ中に)蒔いて歩いた、ルピナスをアメリカに広げたのは、ベルであると言う話をターシャがしていたのですが、これは初めて聞いた話のように思います。

私は多分ルピナスの花を実際に見たことはなく、日本には少ない花ではないかと思いますが、特に北アメリカには多い花のようです。

ターシャのガーデンには蛇が多いとか、愛犬の益々肥ったコーギー犬は、蛇と遊ぶのが好きだそうで、実際に蛇が出て来て、じゃれているのですが、キャーンと言う悲鳴が聞こえ、もしかして蛇に咬まれたのではと思ったのですが、ターシャが全く無関心と言うか、振り向きもしないし、表情も変えないのに驚きました。

以前見た時は、高い所にある小さい飾り棚に、日本の蕎麦猪口が置いてあって、ターシャ自身が、日本のものと説明していたのですが、今回、蕎麦猪口の数が増えているような気がしました。ターシャの説明はありませんでした。

息子さん達やその奥さん達がターシャを手伝っている映像は何度か見たことがありますが、息子や孫、お嫁さん達が(他の人も)手伝ってくれたから、ここまでできた、といつにない、はっきりした感謝の言葉があり、「自分はlazyである」とはっきり言った、これは初めて聞く言葉のように思いましたが。心なしか、ターシャが球根を植える姿が、何となく心もとなく、ゆっくりのように見えました。

あの家を建てたのは、長男で、ターシャの注文通り、古い木材などを使って、18世紀風の(質素な)古びた感じの家を建てた、それも1971年(確か)と聞いて、その位しか経っていないのかとかなり驚き、これは初めて聞いたと思ったのですが、自分が書いたものをチェックしたら、ちゃんと書いてありました。記憶と言うのは当てにならない時がある、とあらためて思ったのですが(私の記憶力の問題かも知れませんが)、映像は、細かいところを記録して置いた方がいい種類のもの、と言うか、部分があると、かねてから思っていることを再確認した、と言うと大袈裟ですが・・・

電気もない、現代の環境からはかけ離れた生活、ターシャの古めかしい衣裳、あのガーデンは、18世紀のガーデンを装った、と言うと言葉が悪い、再現したものだったのだろうか。

こんな色とりどりのチューリップを見たことがあるかしら・・・

テレビを通して見る、ターシャのガーデンは、ほんの一部分で、実は広さが30万坪もあることは、以前見たように思います、ガーデンがある、バーモントは、アメリカきっての紅葉の美しさで有名と、その時期のガーデンのシーンがちょっと映されましたが、バーモント全体の見事な紅葉風景が紹介されたことがあると思う・・・
今迄紹介していない映像が多くあるでしょうから、これからも未見のシーンを色々見られると言うことでしょうか。

ご家族の話で、ターシャは、亡くなる前の2年程は、かなり自由がきかない毎日だったという話を以前聞いたことがあり、その間は(おそらく今も)、ご家族の手で管理されて来たのでしょう。

このガーデンは、自然に返すつもり、と言うターシャの今回の発言は、既に聞いたことがあり、ご家族の、例えば日本の方に公開できれば、と言う言葉も聞いたことがあります。
今はどうなっているのか、ターシャの意向に添いながら、公開もされているのか、いずれにしても、このガーデンの映像は貴重な記録となることでしょう。

ターシャの番組の紹介と言うより、自身の記憶力に?を感じながらのランダムな記述になってしまいましたが。


「八甲田山遭難」
ターシャの後に何というタイトル、と思われるかも知れませんが、次のテレビ番組が、映画【八甲田山】(1977年制作)だったからで、私はテレビで映画を見ることを殆どしないので、パスと思ったら、丁度、雪中訓練の実施目的についての場面でした。

遭難場面や、一人の指揮官の無謀な判断、行動が原因と言う印象しか残っていなかったので、そのまま少し見続けました。
訓練参加者、211名中199名死亡と言う惨憺たる遭難です。

対露戦が避けられないと言う情勢で、極寒地での戦闘に備えると言うのが、第一の理由で、更にロシアが、日本海から青森県に上陸した場合、上陸地からの後退が、八甲田山を越えるしか退路がない、ということが二番目の理由とされていて、そうだったのかと納得しました。

遭難の原因は、知識・準備不足、判断ミス、他、挙げられていましたが、実際には、相当の準備をして、それでも、不足(不測)の部分があったし、想像以上の天候の悪化、不運も重なったことが原因だったようです。
明治35年(1902)のことです。装備他、現在とは全く異なる時代です。

今見ても、迫真の場面の連続で、見ていられなくなって(映画製作は、実際の八甲田山の冬山で、過酷なロケが行われたと言われます)、他へ廻したり、またちょっと見たりでしたが、登山の番組は好きで見る方なのに、山の知識が殆どなく、八甲田山と言うのが、単独の山の名ではなく、18の火山群の総称であることを初めて知りました。
いくら退路がないと言っても、一つの山が完全に道を塞ぐと言うことがあるだろうかとちょっと調べてみて分かったことです。

10年近く前、紅葉の時期に、友人と東北旅行をした時、バスで、「八甲田山」に上って、こんななだらかな山だったのかと思ったのですが、バスで行ける一番高い所に行ったのだと思いますが、急に天候が変わったから、予定を変更して、すぐ出発と言われて、やはり天候が変わりやすいのだと思ったりしたのですから、無知はコワイものです。

この映画の中で、何回か、「雪の進軍」と言う軍歌が歌われますが、童謡や学校唱歌と同じく、軍歌は忘れないもので、メロディも、歌詞も(途中まで)何十年経っても覚えているから不思議です。意味深な歌詞なので、1番だけ書いてみます。

「雪の進軍、氷を踏んで、どれが川やら道さえ知れず、馬は斃れる捨てても置けず、
ここは何処ぞ皆敵の国、ままよ大胆一服やれば、頼み少なや煙草が二本」

最後に、「どうせ生きては帰さぬつもり」とかなり強烈な厭戦、軍批判の下りがあるので、太平洋戦争中、歌うことを禁止されたとありますが(net)、特に子供達は、そんなことはお構いなし、他の軍歌でも替え歌を作って歌っていました。

いずれにしても、「雪の進軍」には、雪中訓練では何が起きるか分からないと言う意味がはっきり歌われていて、八甲田山に向う時も、遭難後、僅かな生き残り組も、この歌を歌って、行進するのです―2013/07/30―《清水町ハナ》

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