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help リーダーに追加 RSS 思い出エッセイ〔157〕「昭和の生活と遊び4:20年代前後(東京のお正月)」

<<   作成日時 : 2009/01/12 16:56   >>

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 「私の故郷ではね、お正月のお雑煮のお餅に餡子が入っているんですよ」ずっと以前、料理研究家の土井勝さんがテレビで言われたことです。

(場所が)変われば変わるもの、と思いました。
土井勝さんは、私が最も敬愛した料理人の一人です。主にNHKの「きょうの料理」を通してそう思っていたのですが。

助手を使わず、最初から最後まで淡々とした同じ調子の優しい語り口で説明される。
関西のアクセントやイントネーションが土井さんの穏やかな雰囲気や口調に一層の柔らかさを与えていました。

我が家では、お米のとぎ方は、今でも当時の土井さんの教えに従っています。
お米に多めの水を入れて、最初の三回分位はササッと手で軽くかき混ぜたら、素早く水を替えます。糠臭さがお米に付くのを防ぐためです。

それから、水ヒタヒタの状態で、かなり強くガシガシとお米をとぎ、同じく素早く水を換えて、白い濁りがとれるまで続けます。
白米の美味しさを最大限に引き出すため、と言葉は違うかも知れませんが、そのように言われたと思います。

今はこのとぎ方には異議が出るでしょう。お米の栄養分が流れてしまうとか、それから当時より精米も進んでいて、そこまでとぐ必要もなくなっています。
しかし、我が家では、ガシガシの回数と力の入れ方を少し弱くして、今も基本的に同じスタイルです。

今年のお正月のバラエティ番組で、出演者が出身県別に分かれ、その土地の食習慣などが他とどう違うかを比較する、お雑煮などは、実際に作って、出演者が試食するというのがあり、興味深く見ました。

お雑煮一つで、隣り合う県でもここまで違うかと思わせられ、またそこの出身者は殆ど例外なく同じ習慣を共有していることに、東京は、生粋の江戸、或いは東京の食文化が保たれている例が少ないことをあらためて感じさせられました。

私は、すぐに土井さんの餡入りお餅のことを思い出し、それが登場するか見ていたところ、出て来ました。香川県でした。調べてみると、土井勝さんも香川県の出身でした。

我が家は、東京風のお雑煮でも、かなり前から、昔とはダシが違い、東京風とは言えず、強いて言えば、我が家風でしょうか。

昔ながらの東京のお雑煮のダシは、鶏のガラを使います。
ある時期まで、鳥肉やさんは勿論、普通の肉屋さんでも、お正月前には、鶏ガラを必ず置いていたものです。

自宅でスープを作る時にも、鶏ガラを使うことが多かったのですが、いつ頃からか、コンソメの素というのか、固形や顆粒のものが出回るようになって、結構美味しいので、そっちに転向する人も増えたのか、鶏ガラそのものをあまり見かけなくなりました。
うちが鶏ガラを使わなくなって、10年以上経つでしょうか。

現状より、タイトルの、昭和20年前後について、まず語るのが先ですね。

お雑煮から始めたので、私の子供の頃のことを少し書いてみたいと思います。
もの心つく頃には既に戦争中で、次第に食料を始めとする物不足状態が進んでいました。

でもお正月のお雑煮は何とか食べられたと思います。
長方形ののし餅を三枚か四枚、お米屋さんか、餅屋さんか、はっきり覚えていないのですが、配達して来ます。配給制になっていたかも知れません。

まだ暖かく柔らかい内に切り分けなければなりません。
包丁を使わせてもらう機会は少ないのですが、このお餅切りは子供も手伝います。
大根を輪切りにしたのを傍に置いて、まず縦に4,5センチ程に切り、それを更に長方形に切り分けます。

お餅の粘りで包丁が切れなくなってきたら、大根にすーっと刃を通します。
そうすると、また切れるようになります。
切ったお餅は、一緒にしておくとくっついてしまうので、新聞紙などを広げた上に並べます。

お雑煮に入れる前にお餅を焼きます。これも子供の役目で、火鉢の五徳にのせた餅網にお餅をのせて、菜箸を手に、色よく焦げ目がついて、柔らかくなるまで、何回もひっくり返したり、場所を変えたりして、その中に一箇所プーっと膨れて来ると、「あ、子供ができた」などと言ったものです。

今のように均等の火ではないので、全体が膨れる前に、プクッと音がして、小さいコブのようなものが出来ると、そろそろ焼き上がるというサインです。
オーブン・トースターで、目盛りを‘お餅’に合わせて、チーン、出来上がりというのと違って、結構気を遣って、焼いたものです。

焼き上がったお餅をお雑煮に入れて、ちょっと火を通すだけで、煮るということはしません。
お雑煮の具は、東京風は非常にと言ってよく少ないと思います。
里芋、鶏肉、椎茸(乾燥)、ほうれん草は入れたり入れなかったり、それに仕上がり間際、或いはお椀に盛った後で、三つ葉を散らす。そんなものです。

我が家では、必ず柚子の皮を削いだものをのせますが、私の子供の頃は、そういう香り付けのようなことはあまりしなかったように思います。

具沢山のお雑煮も多いようですが、昔の東京風のような具の少ないタイプは、お雑煮は、スープとお餅、それに三つ葉でもあればという、具が少ない方を好む人には向いていると言えます。

おせちは、数の子、黒豆、きんとん(サツマイモだけの場合が多かったと思いますけど、瓶詰めの栗を使って、栗きんとんを作る時もありました)、昆布巻き、田作り(ごまめ)、伊達巻。紅白の膾(なます)を人参と大根の千切りで作り、蕪の菊花作りと言って、カブに縦横に細かく切れ目を入れて、それを押し開くようにして、菊の花に似せて、甘酢に漬けたものもありました。
野菜の煮物では、八つ頭だけが楽しみでした。

実を言うと、お正月が来るのは、子供にとって、大変楽しみなことでしたが、お正月料理というのは、それほど美味しいものはなく、しかし、縁起物だからと、ひと通り取り分けられる、酸っぱいだけのナマスとか、田作りとか、苦手なものの方が多かったように思います。

一月一日の朝は、いつもと違って、洗面所ではではなく、外の井戸で顔を洗いました。
最初に顔を洗う水を若水と呼びました。手の切れそうな冷たい水で、顔を洗うと、皮膚が強ばって、ガチガチになったものです。
冬は、洗面所の水も非常に冷たくて、普段は、金盥に薬缶のお湯を少し入れて、生暖かくした水で顔を洗いました。
今のように、水栓をひねると、お湯が出るに決まっているなんて、思いつきもしませんでした。

夜は、湯たんぽを入れるのですが、安全のためにしっかり包んであるので、そんなに暖かいものではなく、最初に足を入れる時の布団の冷たさと言ったら、まして、誰かの冷たい足に触れたりしようものなら、飛び上がってしまいそうになります。

今は、手がかじかむ、という言葉を知らない子供もいるのではないでしょうか。
霜焼け、あかぎれは、体質にも拠るのでしょうけど、寒い所で水仕事をする者にはつきもの。井戸端で洗濯をするねえや(住み込みのお手伝いさん)は、いつも真っ赤に手を腫らしていました。

初詣は一日に行くと決まっていたように思います。
私の所は、大体いつも明治神宮。着物を着て、家族や親戚と出かけました。近くに神社がある時は、そこにも欠かさずお参りをしました。
荻窪に住んでいた時は勿論、馬橋に引越してからも、天沼八幡宮には必ずお参りに行きました。

戦中の疎開を始まりに、私もあちこちに移り、関西にも行き、東京へ帰って来た時には、荻窪に住む親戚はいなくなっていて、天沼八幡様にも長くご無沙汰しました。
たまたま、近くまで行ったので、お参りをしたところ、神主さんとお会いして、昔のことをちょっとお話したら、お箸を下さいました。

お正月の二日は、お年始廻り。と言って、うちは、大勢の親戚が荻窪の祖父母の所に集まりました。

百人一首は大人も子供も、二手に分かれて、子供は、自分の好きな札を何枚か自分の前に置くことを許され、そればかりを見つめているのですが、伯母達は容赦なく電光石火の如く、目の前の札を奪って行きました。

私の母はかなりの巧者で、札をパチンと弾いて飛ばす技が得意でした。
男性は麻雀。何故か子供達に花札も許されていて、私も結構強かったのですが、今は遊び方も札の名前すら忘れてしまいました。

福笑い、双六(明治時代の旧いもので、上がりは何と、日韓併合の提灯行列)、いろは歌留多など。
外では、羽根突き、凧揚げ、独楽回し(ベーゴマではなく、大きな独楽)など、ごく普通のお正月遊び、しかし何故かお正月以外には遊ぶことがなく、押入れの奥から取り出し、お正月が終われば、またしまうのです。

一月七日は七草粥です。春の七草、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを入れたお粥を作るのですが、これは苦手でしたね。
当時は大変な野菜嫌い。それが、春の七草なんて、そこらの雑草のようなものですから。
お砂糖を入れるのですが、それが却って、気持ちが悪くて、いくらも食べられませんでした。
今やお粥、雑炊好きで、嗜好というのは、年と共に大きく変わるようです。

嫌いと言えば、12月の冬至の日に食べさせられる冬瓜。死ぬほど嫌いでした。どういう料理法で食べたかも覚えていません。
それが今は、中華スープ仕立てで、トロミをつけた単純な調理が大好物。冬瓜を見かければ、買うほどです。

お正月の最後の伝統的な食べ物は鏡開きの小豆粥、或いはお汁粉です。
昔は、冷凍庫などは勿論なく、お餅を冷蔵するということはないので、すぐカビが生え、そのカビを削り取って、食べるのですが、鏡開きは一月11日で、鏡餅を金槌で割ると、中までカビが生えていることがあります。

黒カビがダメだったか、とにかく赤、青、黄色と派手なカビがつくのですが、大体とれば問題ないという考え方があって、小豆粥やお汁粉に小さく切って入れるのですが、お赤飯好きなので、小豆粥も好きでした。

お汁粉は甘ければ甘いほど美味しいという考え方で、今では信じられないほどドッサリお砂糖を入れるのですが(戦況が逼迫して来た頃、特に敗戦後すぐは、お砂糖は全く手に入らなかったのですが)、これは、私が家庭を持っても、かなり長く続けていた習慣ですから、甘―いお汁粉の思い出には、後年の記憶も紛れ込んでいるかも知れません。

神社などで、お正月飾りなどを焼くドンド焼き。微かな記憶はあるのですが、どこということは思い出せず、これもどこかに見物に行った時の記憶かも知れません。

核家族化と共に、好きでもないものを伝統的な習慣であるからと用意し、結局手をつけず、棄てるというのもどうかと思い、というか、形だけ整えればいい、あとは自分達の好きなものをという考え方が優先して、我が家もお雑煮とおせちは、子供の頃とは相当変わりました。

お料理に凝っていた時期は、年末には築地の場内に買出しに行きました。
場外でも、水前寺海苔やカラスミなどお正月だけ買う、近場では売っていないものを買ったものです。

更に、注文おせちの出現。我が家は、オードブル好きなので、その系統で、美味しそうなのを一品注文します。
数の子、野菜の筑前炊きなどは、必ず作り、蒲鉾や伊達巻、きんとんなどは、出来たものを買います。
お頭つきは、ウチでは、大海老をワインや野菜でボイルしたもの。単純にマヨネーズで頂きます。

一番変わったのはお雑煮かも知れません。
鶏ガラのスープが年の所為か、脂っこく感じられ、かなり前から使わなくなり、かつお節のダシに、コンソメの素を加え、お醤油をちょっと入れたもの。非難の声がどこからか聞こえそうですが、家族皆が気に入っていました。

具は少なめというのは変わらないのですが、きれいに見えることも考えて、紅白の蒲鉾を薄く切って入れ、生の梅麩とか手毬麩を飾り、三つ葉と柚子は欠かしません。

今年はごく地味にお正月を過ごしました。お正月の賑わいというのは、もう過去のことでしかない、そういう人生の時期に差しかかったのだと思います。  《清水町ハナ》

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