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まだ仕事残ってたんだけど蘭のためならと、いくらも経たないで、摩耶から電話がかかって来た。 王招については、実は、彼が教室をやめる直前、警察が来てね、あ、微妙なことだから、教室や関係者には、内緒だからと断った。 連中は、まず、王招をどうして、この教室に受け容れたのか、残留孤児でもないのに、と聞いてきた。実は、私も彼を入れた経緯をよく知らなかったから、調べて、答えるって言って、どうして、管轄違いの警察がそんなことを聞きに来るのか、聞き返したら、ちょっと慌ててたね。密入国者の疑いがある、それと他の件で外国から照会があった、そんなことを言ってた。 王招は、そのやりとりを聞いていたかのように、翌日から来なくなった。警察もそれっきり来なかった。彼について新しい情報を得た、お世話をかけた、そんな短い挨拶があったけど。 だから私もそれっきり王招を受け容れた経緯をチェックしていない。調べてみるけど、担当者が変わっているし、時間がかかるかも知れない。 あ、そうそう。警察には、こっちは残留孤児またはその家族ということで受け容れてる、書類もそうなってるって、言ったら、警察がそうではないことは調べがついてる、みたいなことを言って、で、あたしがどういう風に調べがついてるのかって、まあ、ちょっと開き直ったら、上司みたいなのが、慌ててとりなしたんだ。 こっちも調べるけど、警察関係者はもっと詳しい情報を持っているわけだ。 ランは、あんたの紹介。最初の紹介者が国府田さんだって聞いたし、河原浩司さんが、保証人になってるから、そういう場合、つまり保証人がしっかりしている場合、うちは緩い半官半民組織だから、大体、受け容れるよ。教室経営の資金も私達が集めた寄付も入っているし。 どっちにしても、もう少し、調べてみる。 それと、あたし、近い中にまたタイに行くよ。あんたが来たら、向こうで会えるかも知れない。 タイのこと、特に難民キャンプのことなら、結構強い。もうちょっとポイントを絞って聞いてくれたら、答えられることは答える。本気で言うと、知り合いも結構いるから、必要なことは、できる限り調べてやるよ。 今回のタイ行きは、現場じゃなくて、主にバンコックで、ペーパーの仕事なんだ。勿論現場に行く機会もあるけど。 少しは余裕があるし、時間的っていうより、気分的にだけど。 ペーパー、いじってると、案外、字面以上のものが見えてくるから、分かったことを教えてやるよ。あんたも気を効かして、裏を読むんだね。 最初に、浩司も一緒で、電話を聞いていることを話し、浩司もひと言挨拶をしていたが、子機で聞いていた浩司が、国府田君とは、お知り合いなんですかと口を挟んだ。 摩耶は、国府田は現地では知る人ぞ知る存在と言ってから、タイ国境の難民キャンプで調査をしていたこともあった。何か特別待遇という感じで、それがどういうルート、コネか、よく知らないと答えた。 仕事の上で、アドバイスをもらうために何回か会ったことがある、現地や日本で、関係者のパーティーなんかでもよく見かけた、そんな風に国府田との関係を簡単に話した。 ご存知だと思うけど、タイ国境難民キャンプには、カンボジア難民が殆どで、ベトナム難民も少しいる。カンボジア難民は、ポルポト派が主。他の勢力のトップもいる。 国府田は、そういう人にもコネがあると聞いたことがある。 ベトナム難民は、現政府と敵対していると言っても、とにかくベトナム軍がカンボジアに侵攻しているということで、迫害というほどでもないけど、肩身が狭い思いをしている、そのトップ・クラスに国府田は顔がきくと聞いたこともあるなどと語った。ただ、国府田とはここのところ、結構長く会っていない、ともつけ加えた。 いずれにしても、今は思いついたことだけ話しているから、ご希望だったら、私の分かる範囲で紙にして送りますよ、摩耶はそう締めくくった。 国府田について、また伺うこともあると思うのでよろしくと浩司は言った。 国府田の今の事情には触れなかった。 国府田の現況、黙ってて、麻耶さんには悪いことしたけど、長く会ってないっていうし、今話しても、負担をかけるだけだから、もう少しこっちが調べないと。 彼女の言う通りポイントを絞る必要がある、浩司は自分に言い聞かせるように言った。 結城大佐の所へ行って、まだ日も経っていないのに、また神戸行きということになるけど、と既に決めたことを、浩司にしてはめずらしく、遠慮がちに響く口調で言った。 そんな、何度でも行きましょうよ、必要なんだから、励ますような調子になったのが気が引けた。 ―摩耶さんの話を聞いて、僕はまだ国府田のことで、知らないことが結構あると思ったよ。僕は彼のようなフィールド・ワーカーじゃないから。 似たような地域の研究者は、相手が質問してこない限り、自分の研究については、こんなことをしているっていうこと位で、詳しくは話さないんだよ。エチケットっていうか、ルールっていうか。しかし、親友だったら、もっと詳しいことを聞いておくべきだった。 僕は、ちょっとした方向転換をして、まだ、素人並みの仕事しかしてないから、国府田に話すべきことを持っていないも同然なんだ。 今思うと、彼は、僕の論文に全部目を通していて、それとなく、役立つヒントをくれていた。こんな状況になって、初めて気がついた。 彼はいつも、親しい親戚の家に行くように、気軽に、身軽に、結構タフなフィールドへ出て行った― 浩司がそういう、国府田にとっての日常茶飯事的な事を話していながら、国府田がいなくなった、と表現するのは、自分には実感できない喪失感を伴った危機感があるのだろう、と蘭は思った。 神戸の舞子にある、国府田の昔の家に住む、ドイツ人、ゲルハルト・シュレール夫妻に電話をかけた。 ご主人は海外出張だそうだ、奥さんが、是非来てくれ、国府田のことで話したいことがある、夫より自分の方が、国府田とは長い付き合いだって言ってる。 短めの電話の後、浩司はそう告げた。 私達は、信じられないほど身軽に動けるようになっていた。現実に仕事が休みだからということがあるが、どこへ行くのも、遠方へ行くという実感がないほどモチベーションが強く、全く無関係な行動と思えて、実は密な繋がりがあることを肌と勘で実感していたのだろう。 翌日、新幹線で神戸に着くと、浩司は、まず国鉄で明石駅まで行き、小さい私鉄で、舞子駅まで引き返すのが一番分かりやすいと言った。 四人掛けの椅子の窓側に席をとり、須磨を過ぎると、もうすぐ見える、ほら、あれ、と、浜の松林が始まる辺りにある、一軒の家を指差した。 邸宅と言っていい、大きな家だが、何よりも、その家を囲う、城壁のように大きな石を積み上げた、石塀、いや、やはり城壁と言った方がいいだろう、屋敷そのものが堅固な城のように見えた。 国道に面しており、海と国道の間には、一種の堤防なのだろう、頑丈なコンクリートの壁があり、その向こう側には砂浜があるのだろうが、その邸は、海の中に聳え立っているように見えた。電車が速度を上げるまでの間にかなり観察できた。 海岸が浸蝕されて、かつて拡がっていた白砂青松の名に相応しい砂浜は、見る影もないと言う。 シュレール夫人は、夏休みなら、何日か泊まって行って欲しいと言ったが、初めて訪れる家にそれもと遠慮したところ、国府田優から話を聞いているし、実は浩司の母親と昔会ったこともあるという。せめて一泊でもと強く勧められ、当日はご厄介になると言った。 そんな風な申し出に、浩司は、何だかちょっと安心しちゃうなと言った。私も同感だった。 明石で降りて、軽い昼食をとることにした。 駅前の映画館を見て、浩司は、 「あ、ここまだあるのか」と懐かしげな声を上げ、国府田親子と映画を観たことがある、と話した。ちょっと特別な用事で来たんだけど、と真顔で言ったが、詳しいことは話さなかった。 繁華街の寿司屋に、刺身定食ランチとあり、これにしようと異口同音に決めた。 鯛に、蛸の刺身もあり、「へー、生の蛸の刺身があるのか」と浩司が誰に言うともなく言うと、親父さんが、 「蛸が生きてないとダメなんで、この辺だけの名物ですよ」と答えた。 東京の方やね、と言って、サービスですわ、と蛸の天婦羅を出してくれた。 へー、揚げると、こんなに柔らかくなるんだ、うまいな、ビールが飲みたいけど、そうもいかないな、などと浩司は初めてくつろいだ様子を見せた。 |
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